羊ちゃんの恋に堕ちる音 閑話
ラクトーシャ視点
わたしは……いや、あーしはラクトーシャ・ファティマ。侯爵家ファティマ姓を名乗るが、生まれは妾腹で貴族としての継承権はないし、実家にはその……もう迷惑をかけたくないから、基本的に家名は名乗らない。
だけど父も母も、異母姉達も皆優しく、貴族の一員として、女性として、そして文官としても困らないだけの教育を受けさせてくれた。それなのに、きっとこんな血なまぐさい世界に入るとは思っていなかっただろう。
だが、あーしは貴族教育や期待を裏切って家を飛び出し、路上生活で荒れて、幼年騎士学校にも行かず、後に兵士になって従騎士を経て騎士になってしまった。
勝手に家を飛び出したから怒られるとか、家の敷居を跨げないと思っていた。だが、従騎士に任じられたと報告しに帰宅した時には、家族皆が笑顔で喜んで送り出してくれた。
聞いてみれば、推薦や身元保証までこっそりしていたから、従騎士になれたし、その後騎士に任じられたのだ。
皇都に帰って来て報告書を上げて、今日は護衛任務もないし殿下が来る予定もない。あーしをイジメる先輩も来ないし、何よりの休日だ。
騎士と知られたくないから、剣は吊っていない。持っているのは暗器だけ。宿舎住まいだが、街に行くにあたって気張らず、髪は下ろしたまま、街娘がするような格好でぶらぶらする。
中心地の広場に行っても良いのだが、今日は気分を変えて、西地区の立ち飲み屋台が多くある公園方面に行ってみることにした。
お酒を飲むのも良いのだが、つまみを食べることが好きなのだ。こんな時、かわいいあのいたずらっ子がいてくれて、酌でもしてくれるなら美味しいだろうなと思う。
が、いないし、どうせいたらいたで弄られるのが目に見えている。
適当に屋台で串焼きとラガービールを買い、公園のベンチに座って楽しむ。そうすると、男の子……多分、十歳にもなっていないような男の子が二人、キョロキョロとしつつ歩き回っている。
小綺麗とは決して言えない。孤児院にいれば、基本的な生活はできる。だが、そこから漏れる子だっているのだろう。
そう思って視界に入れていると、スリをしていた。
中々手際が良い。対象はそれなりに酔っているのか、注意力がないのからで、一人が財布を盗み、中身を抜いてもう一人に渡す。受け取った方が何食わぬ顔で対象の懐に財布を戻していた。
見事な動きだ。あーしも人のことを言えないようなことだってしたことがあるので、無視していた。
だが、買って飲み食いしているのを見られ、あーしを標的にしてきた。それも手を変えて、ジュース売りだ。一人がジュースを売り、客が目の前の子供に集中したところで、もう一人がスる。
古典ながら常套手段だ。話しかけられてからすぐにスられたので、スった子と目の前の子を思わず捕まえてしまった。
「ほらー、だめっすよー。あーしの財布を盗もうだなんて。どこのガキっすか?」
「ちっ、離せよ!クソババアが!」
「兄ちゃん!離せ!」
「無駄っすよ。それなりに鍛えてるから、こんなガキを捕まえるのも楽勝っす」
やはり近くで見ると、この子供達はかなり痩せていて、汚れていて、非力だ。歳も七、八歳くらいかと思ったが、栄養状態が悪いから、多分もっと年上だ。洋服もツギハギだらけの七分袖で、二の腕の部分を隠しているが、最近ついたと思われる痣がある。
ジュースを売っていた兄の方は左足を庇うような立ち方をしている。あれは、足の骨折を適切に治療しなかったため、痛みを堪えて庇うような歩き方をしているのだろう。
「何でこんなことしてるっすかー?孤児院なら飯も教育もしっかりしてるはずっすよ」
「ちっ、孤児じゃねえよ。生きるためだよ」
「なんか悪いか!?」
「あぁ、そういうことっすか。じゃあ、お前達の腕の一本でも折るっすか」
「なっ、そ、そこまでするようなことじゃねえだろ!やるなら俺だけにしろよ!」
「やめて!お願いだから兄ちゃんを傷つけないで」
この反応は、やはりそうだ。やられたことがあるからこその反応。それも、母親とかに毎日殴られているのか、服の下は多分、痣だらけだ。
生きていくために誰かから盗む。殴られないために盗む。
そんな生活をしていて、顔や腕を叩いたり殴ったりしないのは、周りにバレないようにするためだろう。
「ちっ、許してやるから、そのジュース買わせろっすよ」
「えっ?叩かない……?」
「叩かない?」
「いくらっすか?言ったら離してやるっすよ」
「じゃ、じゃあ銅貨三枚」
「言ったぞ!さっさと離せよ!」
離す時に確認をしたかったので、一旦腕を高く上げ、服がめくれるようにしてから離した。子供は尻もちをついたが、腹と背中には、鞭で打たれた傷が治った痕や、真新しい傷が多く見られた。
「ほら、離したっすよ。ジュース注ぐっす」
「いてぇな、ババアが」
「大丈夫っ?!、兄ちゃん!」
尻もちをついて悪態をついているが、こちらも確認したかっただけなので、そんなに強く倒したわけではない。大丈夫なはずだ。
ジュースを催促する。多分、この先も想像どおりなら、胸糞悪いことになるだろう。
「はい、おねーちゃん」
「ちっ、ババアが。味わえよ」
「じゃあ、頂くっすよ。お前達の分も買ったら、飲むっすか?」
「い、いらないよ」
「けっ、誰がいるかってんだ」
「じゃあ、頂きます」
そう言って、ほんのわずか口に含む。舌に、安いジュースにはない塩っぱさを少し感じた。
やはり薬が入っている。睡眠薬として使ったり、酒に入れて昏倒させ、男を襲う時に使う定番の薬。その特徴的な味で第五騎士団に入ると嫌と言っても、飲まされ身体に叩き込まれる味だ。
やっぱりか……そう思い、ぷっと吐き出す。子供達は驚いているが、事前に決めていたのか、逃げ出すのが早い。
どちらを追うかと言えば、弟の方だ。兄は弟を気遣い、囮になって逃げるつもりだろう。足が悪いから逃げ足も遅い。自分が捕まるつもりなのかもしれない。
だが、ここで兄を捕まえるつもりはない。弟を気づかれないように尾行する。
素人だし、子供だったので、警戒はしてもこちらのことには気づかず、治安の悪い地区の家まで戻った。
そこで少し見張っていると、一時間ぐらいして兄が戻ってきたと思ったら、家の中から女性の怒鳴り声が聞こえてくる。
中を覗けば、同じような年頃の子供達が四、五人立たされていた。そして、鞭を持った中年の女性が怒鳴っている。
「今日の稼ぎはこれだけかい!?少ない子は罰を与えなければならない。お前のためだ!」
吐き気がして、あーしはすぐに離れた。生まれは妾腹だが、優しく育てられ、貴族の社会も知っている。
それでもグレて犯罪に手を染めたことがある。だからこそ、子供達を犯罪に使う奴は大嫌いで、反吐が出る。
確かに外国には、子供を洗脳し、兵士や特攻要員、暗殺者に仕立て上げるなんてことをする、人ですらないような奴もいる。
だが、ここは帝国だ。そんなことはないはずだ。神殿が許すはずもない。
だが、虐待を官憲に垂れ込んでも、すぐには動かないだろう。こいつが金を渡して揉み消す可能性もありえる地区だ。
少し考える。そして、絶対権力者と最近仕事をしたことを思い出した。
だが、彼に頼っても良いのかどうか、非常に悩む。
あーしは騎士だから、上に報告し、判断を仰ぐのが筋だ。けれど、彼らを見捨てることになると思うと、できない。
閣下は優しい方だけど甘くはない。きっと、『官憲に話を持っていきなさい。騎士と官憲の仕事は違うってのは分かってるわね』と諭されてしまう。
決めた。彼に頼ろう。騎士でなくなろうと、私は手が届く範囲なら、助けられるなら助けたいのだ。
そう思い、ここから急いで館に走る。こんな格好で、皇族と会うにしても、女として失格どころか失礼だと思うし、不審者丸出しの汗だくな格好だ。
門衛に名乗り、殿下へのお目通りを願う。いらっしゃることを祈りながら待っていると、門衛がかなり警戒して剣の柄に手をかけ、中から人を呼んでいる。
しばらく待つと、メイド服を着たアヴィエラがやって来た。タオルを渡される。
「大丈夫です。通してください」
そう言って、門衛に告げてくれた。
「それで、そんな格好でどうしたのですか?」
「殿下に相談したいことがありまして……」
言葉を濁してしまう。卑怯だと分かっている。
アヴィエラはため息をつき、呆れたように、
「こちらです」
と案内してくれた。
「失礼します。不審者の確認ができました。先程の門衛から、ラクトーシャ様が不審な格好で面会を求めて来られているとの報告がありましたので、確認し、お通ししました」
「失礼します。夕方にお約束もなく、このような格好で参りましたこと、大変申し訳ありません。お力を借りたく思い、参上いたしました。殿下に対してこのような不敬に当たることは分かっています。これが終わりましたら、職を辞する覚悟でございます。どうか、話だけでも聞いていただけないでしょうか」
「そこまでの気概か。まあ、そこに座れ。ヴィー、運動時に飲むような塩水ともう一枚タオルを出してやれ。すごい汗だ。話してみよ」
殿下は一息置いてから続けた。
「私に権限や権力はない。だが、話を通すことはできる。聞くだけ聞いてみよう」
スリと昏倒強盗をしていた子供達の話をする。そして、殿下が孤児院にも繋がりのある立場であること、私の上司であるヴァリラ閣下を通して官憲に話をしていたら時間がかかってしまうかもしれないこと。
その間に、犯人が証拠を隠すか、逃げる可能性があることも話していく。アヴィエラも聞いているが、彼女にも聞かせていく。
「そうか、内容は分かった。気になることがある。お前に関わることだ。嫌なことかもしれないが、正直に答えてくれ」
殿下は真っ直ぐこちらを見る。
「なんで、そんな子供達を気にかける。お前は貴族家出身だろ?兵士上がりとはいえ、今は騎士だ。まして貴族出身なら分かるはずだ。己の職務と責務があることを」
「兵士だったことも、知っていらしたのですね」
少し息を吐く。
「長くなりますが、聞いていただけますか。ヴァリラ閣下にしか話していない、汚泥にまみれた経歴です」
「構わん。話してみろ」
「正直に言えば、私は妾子でも家族は優しかったのですが、家出をして路上住まいをしていました。孤児院や救済院には行けませんでした。家に知られたくなかったので」
そこまで話してから、私は一度俯いた。
「暮らすためには、一人でスリや屋台の商品を盗むなどしておりました。決して強盗や傷害など、人を傷つけるようなことはしていませんよ?」
「ほう」
「そんな時、同じようにスリをしている子供とかち合ってしまったんです」
「子供同士で縄張り争いか」
「はい。そこで殴り合って別れました。ですが、何回か会ってしまうと、殴り合うのも馬鹿らしくなって友達になりました」
当時の光景を思い出すし、貴族としてではない初めての友だち。そして……。
「あの時は、それなりに楽しかったんですよ。そんなある時、その子が顔に青痣だらけで、調子が悪そうにしながらもスリをしておりました」
「家族に何かされていたのか?」
「ええ。勿論、動きが悪いから失敗して逃げる羽目になっていて、あまりにも調子が悪そうだったので聞いてみたら、家族に盗ってこないと妹のご飯が抜かれてしまうと言うんです」
「ほう。子供のスリとはおかしいと思ったが、大人が子供を使っていたか。最低な状況だな。続けろ」
「ええ。私の父も母も、異母姉達も皆優しくしてくれましたし、信じられませんでした。ですが、私と同じぐらい痩せていたうえ、痣だらけで……否定できなくなってしまいました」
私は拳を強く握る。あれが最大の間違えだ。
「だけど私は、彼女に何もしてやることができなかったんです。一緒に路上で住もうと言いましたし、逃げようと手をつなぎました」
あの時の声が、今でも耳に残っている。
「でも、『私、帰らなきゃ、帰らなきゃ』と……」
「洗脳されていたのか」
「今なら、そうだったのだと分かります。でも、あの時の私は何もしなかったんです。その日は手を離してしまいました」
喉が詰まる。
「すると、二日後ぐらいだったか……すごく青い顔で、ふらふらしながらもスリをしようとしていました」
私は苦笑する。
「スリって、軽快な動きと手先の器用さが必要なんすよ。フラフラな状態でできるようなことじゃないんです」
あの時を思い出すと、今の私なら無理矢理にでも孤児院に連れていき、保護と治療を受けさせれば良かったと思う。
そんな、たらればの後悔が出てくる。
「倒れそうだったし、世間知らずのあーしは放っておけなかったので、彼女の家に連れて行ったんです。嫌がりながらも、無理に連れていき、家に入れて……それで、放って帰ったんですよ」
「?何も問題ないように聞こえたが、『普通の家ならば』と注釈が付きそうだな」
「普通の家ではなかったのですよ」
苦い顔になる。
「昔、何回かこっそり覗き見をした所、彼女にスリをさせ、機嫌が悪ければ子供を殴り、蹴り、酒を飲みながら『悪かった』と泣くなんてことをするクズな女の家でした」
「……」
「そこで、小さな妹の面倒を見つつスリをして金を稼ぐなんてことをしてました。流石に調子が悪いのだから、面倒を見るだろうと、その後どうなるかを考えていませんでした」
「それで?」
「彼女を家に送り届けてから、一切彼女を見ることはありませんでした。他の路上生活者にも聞いてみても、『見ていない』とのことでした。嫌な予感がしたんです」
「それで、何をやったのですか?」
アヴィエラが静かに問いかけてくる。
「貴女は優しいですよね」
「優しいなんて、そんなものじゃないです」
私は首を横に振った。
「その家に行き、中に入ると、昼間っから酒を飲んでいる女がいたので、『彼女はどうした』と聞いた所、『いなくなった』と言うんです」
「……」
「彼女は妹だけは案じていましたので、信じられず探しました。荒れ果てた家で見つかるのは痕跡と、小さな少女だけでした」
あの時の少女の顔を思い出す。
「少女に聞いてみると、『ねーね、冷たくなって、お母さんがいなくしちゃった』と言うんです」
「……」
「理屈は分からないのですが、直感で分かりました。女が殴ったのか、蹴り飛ばしたのか。傷を負わせ、治療させず、病気になって……死なせたのだと」
「……それで?」
「そこからは、よく覚えていないのですが……女を殴って昏倒させたのか、その少女を連れて官憲に出頭しました」
私は苦笑する。
「そこで最初は私が誘拐したと疑われていましたし、スリとしても目をつけられていたので、かなり絞られました。でも、少女が保護されて、ほっとしました」
「……犯罪奴隷なら、兵士にすらなれないですよね?どうなさったのですか?」
「経歴には傷はありませんでした」
アヴィエラと殿下に私は答える。
「私が誘拐したと思われていた女の家を家宅捜索した所、床下から彼女の遺体が見つかりまして。私は誘拐の容疑が晴れましたし、女への傷害については有耶無耶にされました」
「その少女は?」
「孤児院に行きました」
少しだけ、声が軽くなる。
「次は官憲にスリを追及されるかと思いましたら……」
当時の言葉を思い出す。
「『その元気があるなら兵士になって、国の正義のために働け。路上で死ぬなら、兵士になって護るために死ね』と強く脅され、兵士になりました。最初は兵士なんて、規則、規則、命令でくだらないと思ってました」
あの頃を思い出して苦笑する。
「ですが、次第に隣の同期のため、班のため、誰かを護るための戦う力が欲しいと思うようになると、力も技量も付きました」
そして、人生の転機を思い出す。
「そんな頃、第5騎士団から従騎士の選抜に選ばれました」
あの時、従騎士の選抜に選ばれた時は驚きすぎて、同期に叩いてもらったほどだ。痛かったし、『路上暮らしのあーしが、なんであーしが?!』と驚いた覚えがある。
「兵士上がりの騎士なんて珍しいし、知る限り大規模戦闘もなかった。武功を立てたという話も聞かないから、不思議に思っていたが……そういう理由だったか」
「兵士になる時には、家名はないと嘘をついて所属してたんですよ。身元調査でバレてましたけど」
苦笑する。家に家族に迷惑ばかりかけたなと。
「従騎士になり、その後騎士になることができて……あーしの命を懸けて誰かを護るために戦えるようになりました」
そこで、私は目を伏せる。
「だけど、私の中には、死なせてしまった彼女への後悔が拭えないんです」
「……」
「言い訳ではないですが、家ではなく孤児院に入れていれば。護れていたら。たら……って」
拳を握る。
「子供をクズなことに使う奴を許せない自分がいるんです」
しーんとしてしまう。貴族家に生まれていたら、普通は従騎士からスタートする。
それが兵士からというのは、よほどのやらかしものだ。
「そうだったのか」
殿下の声は静かだった。
「言いたくない過去だろう。聞かせてくれてありがとう」
そして、問いかけてくる。
「お前個人の望みは、どうしたい」
「正直に申しますと、剣であの女を斬り殺したいです」
迷いなく答えた。
「ですが、私の剣は誰かを護るためにあると、死んだ彼女に誓いました」
「……」
「なので、今すぐに助け出して、生活を孤児院に移してあげたいです。例え親と離されようと、それがあの子供達の幸せだと。独善だとしてもです」
私は頭を下げる。
「一刻も早く動くために、殿下のお力を使わせてください。代償として、私は職を辞しても構いません」
「なんでまあ、俺の側に来るやつは、こうも濃いかね……」
殿下が苦笑している。
「別に、この話を聞いてお前をどうこうしようという気はない。で、作戦は?」
「ほっぽりだすこともできないし。私も協力させて頂きます」
殿下とアヴィエラが仕方ないって顔でいる。そして、そう言えばとアヴィエラに尋ねられる。
「ちなみに、なんであーしって言うのです?固い喋り方もできますよね?気になります」
「それは、死なせた彼女が『あーし』って言ってるのを、私が真似しているからですよ」
「……」
「真似してるのは言葉遣いもそうです。この血と教育で染みついた言葉遣いは、そう簡単には抜けません。だからっすよ!」
少しあの笑顔を思い出して笑ってしまう。
「彼女はいっつも笑顔で、誰にも心配をかけまいとしてたっす。明るく元気にしてるのに憧れたからっすよー」
最後に、少し照れながら言った。
「わかったっすかー!」
表情は笑顔でいられるだろうし、そう簡単に見破られない自信はある。だが、殿下に見つめられるとこの仮面の下まで見透かされているような気分になってしまう。
「ラクトーシャが死なせたわけではないなんて、慰めにもならない下らない言葉が欲しいんじゃないだろ?」
殿下は私を見る。
「行動が、権力が、欲しいんだろ?分かったよ、貸してやる。」
そこからは殿下とアヴィエラに作戦を話し、立案し、修正していく。そして、アヴィエラと侍従に指示を出し、街の官憲にはこれから向かうと先触れを出す。
ヴァリラ閣下には、殿下から『おたくの子猫をお預かりするが、傷つけずに帰します』と報告を入れられてしまう。私からすべきなのに……。
そこからは、殿下の来訪に大慌てした官憲と私、殿下、アヴィエラで虐待の現場を押さえ、私が見た二人の子供から聴取をした。
子供達を親から引き離して保護することが即座に決まり、これから親の刑罰も決められることになる。
だが、刑罰とかは官憲達の役目だ。
私が関わるべきではない。一段落して、アヴィエラが神殿へ走ってもらっていると、気がつけば夜中になってしまった。
腹も空いただろう。折角だし、食べていけ。
そう殿下から誘われたので、お腹も空いていたし、断るのも悪い。二人で軽食を食べていると、侍従が殿下に何かを耳打ちしている。
しばらくすると、思わぬ人が入ってきて、私は驚いた。
「お食事中に失礼いたします。夜分遅くに大変申し訳ありません。うちのどら羊がお邪魔してると聞いてな。籠に入れて持ち帰りに来ました」
「すまない、こんな状況で。流石に腹減ってな。適当に掛けていてくれ。非公式だから、誰もいなかったことになっている」
「んぐっ!こ、これは、座ったままで失礼いたしました!」
「良い。座ってろ。まだ食事中であったろう。ゆっくり食べろ」
ヴァリラ閣下は、私をじっと見る。
「お前の最後の騎士としての食事かもしれんぞ?」
そう言いながら、私の前の空いている椅子に座る。上官をすっ飛ばした。しかも、殿下に直接頼った。
これは騎士としても、本気で終わりかなーと思っていると、殿下から思わぬ言葉が出る。
「もー、そんなイジメないでください。彼女に相談を受けてから、私が責任を持って貴女に一報を入れ、了承を得ないまま彼女を動かしたのですから、責めを受けるのは私ですよ」
「殿下!私が勝手にやったことですので!殿下の責任では……」
「と、うちの隊のどら羊ちゃんは言っているが、どうしますよ?」
ヴァリラ閣下が殿下を見る。
「同情は禁物ですよ?どうせ、この件に肩入れした理由は話されたんでしょ?」
「ああ。そこ、チェリーなど野良猫の話は聞いたさ」
殿下がこちらを見つめ、ヴァリラ閣下に言い返している。
「それが判断材料になったことは間違いない。だが、決断したのは俺だ。上が責任を取るのは当たり前だ。もしどら羊ちゃんを野良にするなら、俺が貰っても構わんよな?そして、こんなことまでしてるんだ」
そう言いながら、殿下が私の横に立つ。いきなり頭を優しく撫でられた。
安心していろと言わんばかりに。
「殿下も、何気に私のこと、どら羊扱いしてません……?」
「ラクトーシャ、お前は黙っとけ」
殿下に叱られて、ヴァリラ閣下が口を挟む。
「純情チェリーなどら羊め。お前の行動は、軍人としては褒められたものではない。だが、ちゃんと私より上に相談しやがった。
うちのどら羊は、洗って乾かして、まだまだ芸を仕込みつつ毛並みを整えている真っ最中なので、簡単には渡しませんよ」
「ちっ、くれないか。このふわふわな触り心地が気持ちいいんだがな」
顔が赤くなるのが分かる。だけど、何か言うと撃たれる。
言わない。羊も鳴かなければ撃たれない。私を飛び越え殿下とヴァリラ閣下が怪しいことを相談しようとだ。
「あげませーん。彼女自身が貰い手を見つけたら、金額次第で考えまーす」
ヴァリラ閣下が軽く笑った。
「それで、ラクトーシャ・ファティマ。貴様へ告げることがある。心して聞け」
急に真剣な眼差しと声色になる。思わず椅子から立ってしまう。
「はっ!どのような処罰も覚悟しております」
「騎士団から貴様への賞罰は特にない」
ヴァリラ閣下は、一度言葉を切った。
「だが、私個人としては伝えることがある。一回しか言わん。よーく聞けよ。
お前の過去が戦う原動力になっているのは知っていて、うちの隊の従騎士選抜に加えた」
その声には、いつもの厳しさとは違うものがあった。
「頑張ってここまで来たな。誇れ、騎士ラクトーシャ・ファティマ」
目の前に座ったヴァリラ閣下から、罰や叱責を受けると覚悟していた。
それなのに褒められた。
驚いていると、隣に立っていた殿下から、ちょいちょいと袖を引かれる。
「聞けよ」
そう言われ、私は殿下を見る。
「私からも賛辞を贈ろう」
殿下が静かに言った。
「帝国では個別に剣に誓う。だが、誰しもが剣に誓ったことを破ることなく、騎士を全うできるとは限らない」
真っ直ぐ私を見つめてくる。
「だが、ラクトーシャ。お前は激情に飲み込まれることなく、誓いを護りきった」
そして、静かに告げる。
「敬意を表します、騎士ラクトーシャ・ファティマ。
子供を護ったな。よくやった」
何も言えない。理解が追いついてきたのか、段々と目頭が熱くなってくる。
目の前がぼやけてくる。目を擦るが取れない。
ぼやけが取れるどころか、ますます酷くなってくる。
気がつけば、自分は泣いていた。
誰にも言えない、暗く誇れない過去を肯定された。
私個人を認められ、褒められた。その嬉しさから、涙が溢れ出てしまう。
「ラクトーシャ、胸を貸してやる。ここでは誰も見てないし、聞いてないから、吐き出してしまえ」
そう言われ、気がつくと、私は彼を抱きしめながら大泣きをしていた。
抱きしめると、彼の体温が暖かく、心地よい安心感を与えてくれた。
そして、彼から抱きしめられ、頭を撫でられる。こんな暗い過去を持つ私を認めるという、最高の幸せを与えられている。
それを噛み締めてしまっては、もう離れることができないかもしれない。抱きしめられたまま泣いているから、ぐちゃぐちゃになった顔を彼に見られないで良かった。
今まで私は、騎士になる前の自分を肯定してくれる誰かが欲しくて戦っていたわけではなかった。罪悪感から逃げていたのだ。
護衛任務で礼を言われても、達成感を得ても、満足を覚えなかった。
それが、どうだ。私より少しだけ背が小さく、力を込めれば折れてしまいそうなほど繊細な身体を持つ我が君から伝わってくる優しい暖かさは。言葉は、他のどんな言葉や報奨よりも嬉しいものだった。
独占はできなくとも、私も隣にいて、声を、体温を、暖かさを少しでも分けてほしいとすら思ってしまう。
アヴィエラ。
お前が私に嫉妬しているのは知っている。
だが、私も貴女に嫉妬する。
この手が届く範囲にある幸せが、羨ましい。
あーこれは堕ちたのう・・・。




