狼ちゃんの想い
アヴィエラ視点
晩餐会の後、殿下は風呂に入られた後、すぐに床に入られてしまった。いつもなら、少しばかりお話をしてから眠られるのに。自ら手を下し、その最期を看取ったことが、やはり堪えているようだ。
少し心配だったことと、胸の奥にあるドロドロとした、よく分からない感情に突き動かされ、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。薄暗い中でミー様の顔を覗き込むと、寝顔はどこか苦しそうで、涙を滲ませていた。
思わず体が動いた。椅子から立ち上がってベッドに腰掛け、昔したように頭を撫でる。そして、尻尾をお腹のあたりへ、そっと触れさせた。そうすると、苦しそうだった顔が少し和らいでいるように見えた。
ミー様は昔から、怒られたり、辛いことがあったりしても、一人で抱えてしまう。寝ている間に泣いたり、悪い夢を見たりすることも多かった。そんな時は、こうやっていると少しは和らいでいるようだった。
ゆっくり、ゆっくりと時間が過ぎていく。少し強張っていた顔から険が取れた頃、そっと離れた。隣の部屋へ行き、自分のベッドに潜り込む。けれど、自分の中にあるドロドロとした感情が分からない。
分からないのか、それとも分かりたくないのか、自分でも判断がつかない。今までこんな感情には蓋をして、考えずに眠りについたのに……。そんなことを頭の中でぐるぐると考えているうちに、いつの間にか眠っていた。いつもの時間に起き、朝の準備を進めて殿下を起こす。
けれど、胸の奥にあるドロドロとした感情は、喉に刺さった魚の骨のように、いつまでも抜けない。
違和感だけが、ずっと残ったままだ。殿下を起こしたが、今日は朝食を取らず、豆茶だけでいいとのことだった。殿下は基本的に紅茶派で、豆茶はあまり飲まれない。それに、朝も基本的には食べるのに……。
やはり、昨日のことが堪えているのだろうか。そうして、朝のブリーフィングの時間となった。
「では、本日のブリーフィングを始めます。本日の司会は、私、アヴィエラが務めさせていただきます。予定としては、ギーブ商会に一日滞在予定ですが、他に何かございますでしょうか?」
「第五から特にはない。演習もまだ実施中で、決着もついていない状況です。護衛班からも特にない。今日もこちらに引き抜かせていただきます」
「そーっすね、護衛としても特にないっす」
「私……から……特には……無い。今日……一人……絞って……情報……絞り出す……予定」
「俺からは特にないな。昨日は後片付け、ご苦労だった」
殿下は皆の話を聞いていらっしゃる。けれど、どこか気が逸れているようだった。
「かしこまりました。他に何かございますでしょうか?無いようでしたら、馬車が到着するまで待機。その後は解散で。本日も事故なく行きましょう」
こうして馬車に揺られ、またギーブ商会へ向かった。商会に到着すると、地下へ向かう。長い迷路のような通路を進んでいく。
「アヴィエラ……また……ここ……待ってて。突き当り……トイレ……ある……何か……あれば……立哨……聞いて。今日……悲鳴……響かせる……気分……悪く……なったら……下がって」
「かしこまりました。ここでお待ちしております」
立哨が扉を開ける。昨日の鉄さびや焼けた肉、尿の臭いがまだ残っていたのか、鼻についた。扉が閉まる。しばらくすると、廊下には魔石灯が光るのみで、静寂に包まれていた。
だが、扉の向こうからは、くぐもった絶叫が聞こえる。鉄さびの匂いも、扉の隙間から漏れ出している。中を想像して目を閉じ、耳と鼻を塞ぎたい。
けれど、それをしては皇太子付きの奴隷として失格だと思い、心を奮い立たせる。どれくらい経っただろうか。
暇だったので、ちらりと横にいる立哨を観察してみる。一言も喋らず、サボって寝ることもない。警戒を緩めることもなく、ただ扉の前に立っている。覆面をしているため顔は分からない。
だが、目元と、扉を開けたときにちらりと見えた手首から、年老いた元軍属で、多分右利きだと推測する。全身黒の服を着て、指ぬきの手袋。腰には室内戦用の短剣を吊っている。動きからは、左足を軽くかばっていることも分かる。けれど、それ以上は人物像が読めない。
ふと、第五の副団長二人の立ち姿を思い浮かべる。首から下の情報を抜き出していく。振る舞いから、貴族位を持った獣人。護衛。剣だけでなく、短槍・長槍も使える。多分、弓も魔石銃も使える。
指にはタコがあった。斬った張った以外もできる。腹芸も政治もできる。青タンまみれ、チェリー。そんな人物だったと、情報を抜き出していく。
思考を巡らせていると、不意に声をかけられた。
「それで、私のことは分かったか?奴隷ちゃん」
「っ!?大変失礼いたしました」
「それで?暇だし、私に関して何が分かったか教えてもらおうかしら。三秒以内に答えてね」
何やら、こちらが尋問されているような気分だ。
「多分、元軍属の右利き。左足をかばう動きですが、古傷では?」
「30点ってところね。内容は合ってるけど、読み取れる情報が足りなすぎよ。罰として、少しだけ講義してあげる」
そう言って、一度見ただけで覚えるための方法や、どこを見るべきかなどを簡単ではあるが教えられた。護衛として、危害を加えてきそうな人物や、思い詰めた顔をしている人物なら分かる。けれど、それ以上の分析まではできなかった。
今まで、こんなことを考えたことなどなかった。気がつくと、先ほどまで聞こえていた苦痛に悶える声が止んでいた。中から開けるように合図がある。扉を開けると、水と布を用意するように言われた。
バケツにたっぷりと水を汲み、中へ差し入れる。全員が覆面をしているので顔は分からないが、殿下はどこか元気がないように見えた。
時間が経っても、中から音は聞こえてこない。周りを薄く広く警戒しながら、私は自分に足りないものを考えてみる。
今まで、こんなことを考えるなどなかった。……誰かに相談する……?誰に……。私が個人的に会えて、相談できる相手……。そう考えていると、殿下たちは休憩するらしい。
中をちらりと見る。椅子に座らされ、後ろ手に手錠をされ、頭に麻袋をかけられた女がいた。
頭から水を滴らせ、衣服の所々に血が滲んでいる。私はその場を離れ、休憩室へ向かった。
「情報が出たが、裏取りをしたい。どっちに聞く?」
「隊長格……後回し……徹底的……折る……喋らない。アヴィエラ……折った……聞く」
「どちらにしろ夜、全員で会議だな」
「分かった……ゴンドフィナ……参加……要請する」
事態が動き出した。休憩室の一見穏やかな空気の中でも、どこか殿下はいつも通りを装いながらも沈んで見えた。朝から何も食べていないので、果物を用意していただく。けれど、あまり食が進んでいないようだった。
どうすればいいのだろう。
昨日の夜からずっと、殿下のことが気になっている。けれど、私はこういう時にどうすればいいのか分からない。自分なら仕事で紛らわせる。それで今まで、何も考えずに済ませてきた。
けれど、殿下はそういうことを隠してしまわれる方だ。ならば、どうすればいいのか。ルミナ様が席を立つタイミングで声をかける。
「ルミナ様、ちょっとだけお時間よろしいでしょうか?」
今日は殿下の一番近くにいるルミナに話しかけてみる。彼女は自分から動くことはあまりなく、口数も少ない。けれど、人をよく見ている。
「ん……?何……?様」
「その……。殿下の心理面が気になりまして」
「今日……気持ち……沈んでる……それで?」
やっぱり、喋らないだけで人をよく見ている。
「沈んでいらっしゃいますよね。こういった時、皆様どうしているのかと思いまして。私は仕事で紛らわせましたが、殿下はそういうことを隠してしまわれる方なので」
「時が解決……慣れる……日常……紛らわせる……忘れる。日常一番」
それ以上は言わなかった。けれど、言いたいことは分かった。受け入れることができなければ、心が死ぬ。酒か、男か、良からぬ薬か。
それとも、自分の体を殺すか……。そんなことを、『分かっているだろう?』そう言われているようだった。
日常……。
その言葉を頭の中で転がす。私にとっての日常は、殿下のお世話をすること。殿下にとっての日常は……。考えても、すぐには答えが出ない。
「アヴィエラ……街……出た……一緒……出たい」
「私と……?」
よく分からないが、頷こう。
「分かりました。時間ができましたら、是非に」
ルミナがこちらを見る。
「それと……殿下……誘って……一緒に……街の……日常……過ごす」
それもいいか。私だけなら、一緒に何をしたらいいのか分からない。けれど、ルミナ様も一緒なら何とかなるだろう。何より、気晴らしにでもなるかもしれない。
「じゃあ……午後……始める。付いて……きて」
「はい」
今度は別の部屋へ向かう。先ほどの情報の裏取りをするのであろう。私から何かするということはない。待つことが仕事だ。けれど、その後には……。
殿下とルミナと3人一緒で、街の日常を過ごす。そのことだけが、今は少しだけ気になっていた。
アヴィエラも少しづつ変わって、メスになり女になれるかのう?




