お話会と狼ちゃんの怒り
開けてもらった扉から、ようやく房の外へ出る。そこで、ようやく自分の状態に気がついた。背中に汗をびっちょりかいていた。
ちらりとルミナを見る。俺とは違い、顔色一つ変わっていない。その隣では、アヴィエラがルミナを睨んでいる。
「アヴィエラ……睨まない……視線……鬱陶しい。嫌なら……宿へ……帰って……邪魔」
「……申し訳ありません」
アヴィエラはすぐに頭を下げた。
「ですが、あの部屋で聞いた声……。それに、あの臭いまで……。少し、取り乱してしまいました」
「そう……」
ルミナはそれ以上何も言わず、俺たちを別の部屋へ案内した。そこは、先ほどの地下室とはまるで別世界だった。綺麗に掃除された休憩室。
テーブルには普通のお茶と豆茶が用意され、ソファには菓子まで置かれている。俺たちは、それぞれ腰を下ろした。だが、誰も喋らない。重苦しい沈黙だけが、部屋を支配している。
こういうとき、ラクトーシャみたいな奴が一人でもいれば、『なーに辛気臭い空気するっすか!』して空気をぶち壊してくれるんだがな。
今はいない。
しばらくして、ルミナが小さく呟いた。
「ごめん……」
アヴィエラが顔を上げる。
「殿下……ああいうの……見せたくなかった」
ルミナは俺を見る。
「殿下……優しい。たぶん……こういうの……見たら……傷つく」
そして、アヴィエラを見る。
「でも……兵士……命令……従う……必要ある……アヴィエラ……綺麗な心……持って……いて……ほしい。それと……少し……嫉妬した」
「……嫉妬、ですか?」
「アヴィエラ……殿下……大事にしてる。私は……それが……羨ましかった」
ルミナは淡々と話している。だが、その言葉の一つ一つには、先ほどまでとは違う感情が滲んでいた。
「だから……八つ当たり……した。ごめん」
「……それは、謝らなくてもよろしいかと」
アヴィエラが静かに答える。
「私も先日、第九騎士団長閣下から言われました。私は甘い、と」
一度、目を伏せる。
「それなのに私は、自分の感情だけを優先して、ルミナ様のお気持ちを考えておりませんでした」
ルミナは少しだけ考えるように黙った。それから、俺たちを見る。
「殿下……明るい……大きな……光」
ルミナは、窓のない部屋の壁を見る。
「でも……光……大きいほど……影……大きい」
「……」
「私たち……その影」
静かな声だった。
「表……正規戦力……だけでは……足りない」
「何をする必要がある?」
「奪還……報復……」
短い言葉だった。だが、その二つだけで十分だった。
「だから……アヴィエラ……協力……必要」
ルミナはアヴィエラを見る。
「殿下……だけじゃない。アヴィエラ自身に……お願いしたい」
そして、深く頭を下げた。
「協力……してほしい」
俺は思わず目を見開いた。ヴィーは奴隷だ。普通なら、命令される側だ。ましてや、こんな場所で働く人間が、奴隷に頭を下げてお願いするなんてことはない。それをルミナはやった。しかも、俺を通して命令すれば済む話だ。
それなのに、ルミナはアヴィエラ自身に頼んでいる。
「ルミナ様!?」
アヴィエラが慌てて立ち上がる。
「どうか頭をお上げください!私などに、そのようなことをなさらないでください!」
「嫌」
「え?」
「これ……私の……やり方」
ルミナは顔を上げない。
「必要。だから……なんでもする」
「なんでも、とは……」
「足……舐める。尻尾……舐める」
「おやめください!」
アヴィエラの顔が真っ赤になる。
「そんなことをされたら、ルミナ様の立場が……!」
「立場……どうでもいい」
「よくありません!」
「私は……アヴィエラ……仲間だと思ってる」
「……」
「仲間……傷つけるの……嫌い」
ルミナは、そこでようやく顔を上げた。
「だから……嫌われたくない」
先ほどまで地下室で、何の感情も見せずに三人を痛めつけていた女とは思えなかった。俺は、そこで初めて気づいた。ルミナは冷たいわけじゃない。
少なくとも、目の前の相手を人間として見ている。自分が嫌われることを恐れながら、それ以上に、仲間を傷つけることを嫌がっている。
ただ線引がハッキリしているだけ。
「……ですが」
アヴィエラが俯く。
「私は殿下の奴隷です」
「殿下……言い訳……使わない」
「……!」
「私は……アヴィエラ本人に……聞いてる」
ルミナの声が、少しだけ強くなる。
「協力……したい?したくない?」
「……」
「嫌?……気持ち……言って」
アヴィエラは黙った。長い沈黙だった。
「殿下の奴隷です……。」
「それでも……聞く」
ルミナは、まっすぐアヴィエラを見る。
「アヴィエラ……どうしたい?」
俺は、ここで口を挟まないことにした。ここで俺が答えてしまえば、話は簡単に終わる。
だが、それでは意味がない。これは、ヴィー自身が答えを出すための話だ。だから、黙って見ていることにした。
やがて、アヴィエラが口を開いた。
「……嫌です」
「……」
「この地下へ連れてこられたことも」
「うん……知ってる。」
「地下室の外に置かれて、中で何をしているのか見せてもらえなかったことも私だけ、外側にいるように扱われたことも……嫌でした」
声が震えている。だが、今までとは違う。
「……そう……やっと……本当のこと……言った……アヴィエラ……奴隷だから……って言えば……考えなくて……いい」
「……!」
「嫌い……怖い……も……いい」
ルミナは淡々と続ける。
「でも……考えること……やめる……駄目」
アヴィエラが顔を上げた。
「私は……嫌われて……いい。怖がられて……いい……それ……私の仕事」
そして、ルミナは俺を見る。
「殿下……もし……いつか……暴君になったら」
「おいっ」
「誰も……止められなく……なったら……」
俺は何も言えない。
「その時……アヴィエラの言葉が……届く……外から……見る……人間……必要」
ルミナはアヴィエラへ視線を戻す。
「私たち……影。だから……アヴィエラ……必要」
俺はそこで、大叔母様が言っていた言葉を思い出した。ルミナには「難がある」。あれは、こういうことなのかもしれない。
神殿が動くのは、箱庭そのものが壊れそうになったとき。だが、その箱庭の管理者が暴走しそうになったとき。近くで、それを止められる人間がいる。それが、ヴィーなのかもしれない。俺としては、この重苦しい空気から逃げ出したい。
だが、俺がここから出ようにも、地下施設の道順なんて覚えていない。それにここで俺が口を挟むのは、たぶん違う。ヴィー自身が、答えを出そうとしている。
だから待つ。しばらくして、アヴィエラがゆっくりと口を開いた。
「私は……奴隷です、生まれたときから、その立場にありました」
静かに、言葉を重ねる。
「奴隷として扱われることに慣れていました。命令されることにも、誰かの意思に従うことにもいつしか、自分で考えることすら、やめていたのだと思います」
アヴィエラは自分の手を見る。
「感情を表に出すことも避けていました。怒ることも、嫌だと言うことも」
そして、少しだけ苦笑した。
「殿下すら……自分の理想に合わせようとしていたのかもしれません。ですが、城の一部の方々や、神殿の方々を除けば、私を一人の人間として見てくださる方は、ほとんどいませんでした」
ルミナは黙って聞いている。
「そんな私に……ルミナ様は、奴隷だからではなく、私自身として協力を求めてくださった、ならば、私は考えなければならない」
アヴィエラがルミナを見る。
「ルミナ様の仕事だけを見て、怖がって、嫌うのではなく、その人が、どんな考えを持ち、何を大切にしているのかを見るべきなのでしょう」
アヴィエラは深く頭を下げた。
「大切なことを教えていただき、ありがとうございます」
「……」
「ルミナ様は……感情を表に出すのが苦手なだけで、とても優しい方なのですね」
「違う……」
「え?」
「私……優しくない」
無表情ながら、少し顔が紅くなっているが即答だった。
「それに……同性愛……違う……私……かわいい……男性好きっ」
アヴィエラが固まる。俺も固まる。
「……ふふっ」
アヴィエラが笑った。
「そういうところも含めて、ルミナ様なのですね、もし私が男性でしたら、惚れてしまっていたかもしれません」
「私は……男性……好き」
「残念ですね」
「うん……残念」
二人が顔を見合わせる。そして、同時に笑った。
「それでは、ルミナ様……これからは、私も協力させてください」
「……ありがとう」
ルミナが少しだけ笑った。だが、すぐに何かを思い出したように俺を見る。
「でも……殿下……許可……いる」
俺は肩をすくめ、苦笑しながら言う。
「ヴィーの好きにすればいい、どーせ甘ちゃんなんだ、俺はいっぱい協力してこい」
「かしこまりました!」
「じゃあ……これから……よろしく……アヴィエラ」
そう言って、ルミナが微笑んだ。ほんの少しだけ。恥ずかしそうに。
その笑顔を見て、俺は少し驚いた。
……ちゃんと可愛らしく笑えるんじゃないか。
「もう……むり……喋り……すぎ……疲れた」
ルミナがソファへ倒れ込む。そのまま、顔からソファへ突っ伏した。
「三十分……倒れる……気に……しないで」
「……」
寝た。完全に寝た。俺はルミナを見る。なるほど。あの「難がある」というのは、こういうことか。
感情がないわけでも、人付き合いが嫌いなわけでもない。単純に喋るのが、めちゃくちゃ苦手なのだ。
それでも、今日は無理をして喋った。アヴィエラが気持ちを伝えるために。そして、限界まで頑張った結果がこれ。
俺は、眠っているルミナを見る。……まあ、頑張ったんだろう。しばらくして、ルミナが目を覚ました。そして、自分がソファへ突っ伏して寝ていたことに気づく。
「……」
顔を赤くする。
「……忘れて」
「無理だろ」
「……忘れて……」
そんなやり取りをして、第1回の尋問は終わった。具体的な質問も、ほとんどしていない。
ただ、精神を削る。このあと小さな箱へ入れられる。動きを最小限にされ、部屋を暑くされる。水も、できるだけ飲ませない。
そして明日、また質問会をするらしい。……俺は、そろそろ行かなければならない。
このあとには、最後の晩餐が待っている。
おーあのアヴィエラが珍しく怒っておる、変な頑固さがあるからの。




