第8話
王都の城門をくぐり、馬車は王宮の敷地へと滑り込んだ。
事後処理と領地の復興支援に目処をつけ、帰還を果たした私は、自室の執務机の前に立ち、静かに息を吐いた。
窓の外には、変わらぬ王都の街並みが広がっている。
だが、私の内側は三年前とは決定的に違っていた。
目を閉じれば、今でも鮮明に蘇る。
鉄錆のような匂い。群衆の罵声。そして、首筋に落ちた断頭台の冷たい刃の感触。
あの絶望の淵から、私は三年前のこの部屋へと帰還した。
目を覚ました机の上には、かつての私を破滅に追いやった偽造発注書が置かれていた。
あの時、私は署名を回避し、最初の罠を粉砕した。権力に固執する冷酷な宰相派に対し、今度は完璧な証拠で彼らを断頭台へ送るという信念を固めたのだ。
表向きは忠実な団長を演じつつ、私を裏切った副団長ゲイツを罠に掛けて合法的に追放した。それを皮切りに、裏で宰相派の不正の証拠集めを本格的に開始した。
そして今、辺境での魔獣暴走を未然に防ぎ、セリア殿下という強固な政治的後ろ盾を得て帰還した。
手応えは確実にある。
私は手元の木箱を手に取り、部屋を出た。
◆ーーーー◆
その日の午後、私は約束通りセリア殿下の私室を訪れた。
「お待ちしていました、レオン」
セリアは豪奢な金髪を揺らし、柔らかい笑みを浮かべて私を迎えた。王族としての気品を保ちながらも、その表情には私に対する深い信頼が滲んでいる。
私は持参した木箱を開け、中から銀細工の美しい香炉を取り出した。
表面には精緻な植物の紋様が彫り込まれており、一見するとただの美術品のようにも見える。
「これが、馬車でお話しした護身具です」
「とても美しい細工ですね。これが私を守ってくれるのですか?」
「ええ。この香炉には特殊な魔術が施されています。微弱な魔力を帯びた香を焚くことで、周囲の毒素や悪意ある魔力干渉を中和する結界を張るのです」
私は香炉をサイドテーブルに置きながら、静かに説明した。
「王宮内とはいえ、何が起こるか分かりません。どうか、常にこの香炉を焚いておいてください」
「分かりました。あなたがそこまで言うのなら、必ずそうしましょう」
セリアは疑うことなく頷いた。
彼女の真っ直ぐな碧眼を見つめながら、私は内心で冷たく計算を巡らせていた。
この香炉は確かに護身用としての機能を持つ。だが、真の目的は別にある。
香炉が放つ微弱な魔力は、特定の条件下で「ある痕跡」を記録し続ける。将来、王室会議の場で宰相の罪を暴くための、決定的な罠だ。
すべてを説明することはできない。彼女を政治の泥沼に深く巻き込むわけにはいかないからだ。
「あなたの心遣い、感謝します。これで少しは安心して眠れそうですわ」
「殿下の安全こそが、私の最優先事項ですから」
私は深く一礼し、部屋を後にした。
◆ーーーー◆
夜。執務室の窓辺に立ち、王都の夜景を見下ろしていると、背後の影が不自然に揺らいだ。
「戻りました、団長」
足音もなく現れたのは、灰色のローブを纏ったカイだった。
「ご苦労。首尾はどうだ?」
「バッチリですよ。あんたの読み通り、辺境の魔獣暴走を仕組んだ連中の尻尾を掴みました」
カイは飄々とした口調で言いながら、数枚の書類と小さな魔石を机の上に放り投げた。
「宰相派の工作員が、非合法工房とやり取りしていた取引記録の写しです。それと、魔獣を操るために使われた特殊な魔道具の残骸。魔力痕跡もバッチリ保存してあります」
私は書類に目を通した。
「素晴らしい。これで、辺境の件が単なる事故ではなく、意図的に引き起こされたものであると証明できる」
「それにしても、あんたの指示は的確すぎますよ。まるで未来を見てきたみたいだ」
カイは肩をすくめながら笑った。
「ただの予測に過ぎない。だが、これでまた一つ、奴らを追い詰めるためのパズルが組み上がった」
私は書類を丁寧に揃え、鍵付きの引き出しにしまった。
「引き続き、宰相派の動きを探ってくれ。特に、ヴィクターの動向には注意しろ」
「了解です。俺の隠密魔術なら、誰にも気づかれずに潜り込めますからね」
カイは自信ありげに笑い、再び影の中へと溶けていった。
手駒は確実に増え、証拠は集まりつつある。
私の心の中に、確かな手応えと冷たい炎が燃え上がっていた。
◆ーーーー◆
王宮の一角。宰相派の執務室では、重苦しい沈黙が支配していた。
ヴィクターは神経質そうな細い目を細め、机の上に広げられた報告書を睨みつけていた。
「……辺境の魔獣暴走計画が、完全に失敗しただと?」
感情を交えない淡々とした声だったが、その奥には激しい苛立ちが隠されていた。
完璧なはずの計画だった。セリア王女を事故に見せかけて葬り、同時に魔術師団の防衛失敗をでっち上げる。一石二鳥の策だったはずだ。
それが、あのレオンによってすべて先回りされ、潰された。
「奴は、どうやって我々の計画を察知した……? いや、それだけではない。ゲイツの件といい、今回の件といい、奴の動きはあまりにも不自然だ」
ヴィクターは指先で机をトントンと叩きながら、冷徹な思考を巡らせた。
レオンは以前のような、政治に無関心なお人好しではない。明らかに意図を持って我々を妨害し、何かを企んでいる。
このまま放置すれば、いずれ宰相閣下の計画そのものに致命的な影響を及ぼすだろう。
「小細工はもはや通用しないか」
ヴィクターは引き出しを開け、一枚の経歴書を取り出した。
そこに記されているのは、裏社会で名を馳せる凄腕の暗殺者、ジンの名前だった。
「直接的な排除。それが最も確実で、効率的だ」
ヴィクターは冷酷な笑みを浮かべ、暗殺者への命令書にペンを走らせた。




