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第4話

「団長……その時計は、証拠保管庫へ移しますか?」


ノアのたどたどしい声に、私は意識を現実へと引き戻された。


窓の外の分厚い雲から視線を外し、手元の懐中時計を見下ろす。


「いや、私が預かる。下手に動かせば、内部に編み込まれた空間魔術の術式が崩壊する恐れがある。解析には慎重を期さねばならない」


私は懐中時計をローブの深いポケットに滑り込ませた。


指先に残る冷たい金属の感触が、ふと別の記憶を呼び覚ます。


首筋に当てられた、断頭台の荒い木肌。そして、容赦なく振り下ろされる刃の冷たさ。


あの日、私はすべてを奪われた。真面目に魔術を極めるだけで生き残れると信じていた、お人好しな自分への激しい嫌悪感とともに。


だが、刃が首に落ちた瞬間、私は三年前のこの執務室で目を覚ました。


机の上には、前世で私を破滅へと導いた『軍事物資および魔道具の追加発注書』が置かれていた。


あの偽造された紙切れ一枚から、私の反撃は始まったのだ。


発注書への署名を拒絶し、宰相派が仕掛けた最初の罠を粉砕した。そして今日、表向きは忠実な団長を演じながら、前世で私を裏切ったゲイツを合法的に追放することに成功した。


だが、これはまだ始まりに過ぎない。


権力に固執し、国を私物化する宰相派。彼らを完全に破滅させるには、言い逃れのできない完璧な証拠が必要だ。


私が集めた証拠が敵の権力によって握り潰され、再びあの冷たい刃を首筋に当てられることだけは、絶対に避けねばならない。


二度と同じ轍は踏まない。感情ではなく、確実な証拠に基づいて行動し、裏切り者には必ず相応の報いを受けさせる。


「ノア」


「は、はいっ」


「君には、これからも私の手足となって動いてもらう。覚悟はいいか」


私の問いかけに、ノアは小さく、だが力強く頷いた。


◆ーーーー◆


王宮の奥深く。宰相グスタフの執務室に隣接する豪奢な部屋で、ヴィクターは手元の報告書を淡々と読み進めていた。


一糸乱れぬ高級な文官服に身を包んだ彼は、神経質そうな細い目を微かに眇める。


「……ゲイツが、魔術師団から追放されたと」


感情の読めない冷淡な声が、静まり返った室内に落ちる。


報告に上がった密偵は、床に膝をついたまま震える声で答えた。


「は、はい。定例会議の場で、レオン団長が完璧な証拠書類を提示したとのことです。横領と文書偽造の事実を突きつけられ、ゲイツ副団長は反論すらできず……そのまま捕縛されました」


「愚かな男だ。己の痕跡すら満足に消せないとは」


ヴィクターは報告書を机に放り投げた。


ゲイツなど、宰相の野望を実務面で支えるための使い捨ての駒に過ぎない。彼が失脚したこと自体は、ヴィクターにとってどうでもいいことだった。


問題は、レオンの動きだ。


政治の泥仕合には無関心で、真面目に魔術の探求だけをしている操り人形。それが彼らのレオンに対する評価だった。


偽造した発注書に署名させ、適当な罪を着せて排除する。そのはずだった完璧な計画が、根底から狂い始めている。


「あの男が、自ら証拠を集めて部下を切り捨てた……」


ヴィクターは細い指先で机をトントンと叩いた。


ただの偶然か、それとも背後に誰か知恵者がいるのか。いずれにせよ、予想外の反撃を見せたレオンをこのまま放置するのは危険だ。


「計画の修正が必要ですね。あの目障りな団長には、早々に退場していただきましょう」


冷淡な呟きは、誰に宛てたものでもなかった。


ヴィクターの胸中にあるのは、忠誠心よりも自身の知的好奇心を満たすための冷徹な計算だけだった。


◆ーーーー◆


「ぼ、僕が……団長の、正式な補佐官に……?」


魔術師団長室。


丸眼鏡の奥で目を丸くするノアに、私は静かに頷いた。


「そうだ。今回のゲイツの不正調査において、君の実務能力と情報収集能力は完璧だった。私には、君のような優秀な人材が必要だ」


「優秀だなんて……僕なんて、ただ書類を整理するのが得意なだけで……」


ノアはオドオドと視線を彷徨わせ、抱えていた書類の束をぎゅっと抱きしめた。


「その書類整理が、ゲイツを追い詰めたんだ。自信を持て」


私は努めて穏やかな声で告げた。


味方と認めた者は、最後まで守り抜く。それが私の譲れない決意だ。前世のように、自分の甘さで大切な味方を失うわけにはいかない。


「君には今後、私の暗躍を裏から支えてもらう。魔術師団内の情報網の構築、そして予算の徹底的な管理だ。宰相派の息がかかった連中に、一滴の甘い汁も吸わせるな」


「……はいっ!」


ノアの表情から迷いが消え、真剣な光が宿った。


「団長が僕を評価してくださったこと、一生忘れません。必ず、ご期待に応えてみせます」


深く頭を下げるノアを見届け、私は机の上の地図を広げた。


王国の全土が描かれた古い羊皮紙。


ゲイツを排除し、足元を固めた今、次なる脅威に備えなければならない。


前世の記憶が正しければ、宰相派が次に仕掛けてくるのは「地方での魔獣暴走」を利用した濡れ衣工作だ。


彼らは意図的に辺境の結界を緩め、魔獣を暴走させる。そして、その防衛失敗の責任を魔術師団長である私に押し付けるのだ。


「ノア。編成記録に存在しなかった例の幽霊部隊が、書類上で管轄していることになっている第七辺境の結界稼働状況と、現地の直近の魔獣討伐記録をすべて洗い出してくれ」


「第七辺境……ですか? あそこは比較的平和な地域のはずですが」


「表向きはな。だが、水面下で何かが動いている兆候がある」


私は地図の一点を指差した。


「独自の調査部隊を編成する。表立った動きは避け、隠密行動に長けた者だけを選抜してくれ。宰相派が動く前に、我々が先手を打つ」


「承知いたしました。すぐに候補者のリストを作成します」


ノアが足早に執務室を退出していく。


扉が閉まる音を聞きながら、私は銀縁眼鏡の位置を直した。


敵は強大だ。だが、未来の知識と確実な証拠があれば、必ず出し抜ける。


◆ーーーー◆


薄暗い執務室の中で、ヴィクターは一枚の羊皮紙を見つめていた。


そこには、王室の紋章とともに『地方視察の予定』と記されている。


「魔術師団長がどれほど足掻こうと、大局は変わりませんよ」


ヴィクターは感情の交じらない声で呟き、羽ペンを手に取った。


羊皮紙に記された視察の目的地。そこは、王都から遠く離れた辺境の地だった。


「舞台の準備は整いました。あとは、主役をそこへ誘い込むだけです」


神経質そうな細い目が、冷たい笑みの形に歪む。


彼の手元にある視察予定表には、ある高貴な人物の名前が記されていた。


宰相派は、一体誰を標的にして魔獣暴走を引き起こそうとしているのか。


窓の外で、遠く雷鳴が轟いた。

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