第3話
「横領された莫大な資金は、どこへ消えた……?」
私の呟きに、ノアは青ざめた顔で首を横に振った。
窓の外では、王都の空に再び分厚い雲が広がり始めていた。
真実の糸口を掴んだ代償として、底知れぬ闇が口を開けて待っている。
そんな不穏な予感が、冷たい風と共に執務室を吹き抜けた。
それから三日後の午前。
魔術師団本部の最上階にある大会議室には、重苦しい空気が立ち込めていた。
月に一度、各部隊の隊長や幹部が集まる定例会議。円卓を囲む十数名の魔術師たちは一様に押し黙り、立ち上がって声を張り上げる一人の男に視線を集中させていた。
「――以上が、ここ最近のレオン団長による職務怠慢の数々です!」
派手なローブを着崩した副団長、ゲイツ。
彼は手元の羊皮紙を大げさに振りかざし、芝居がかった口調で周囲に訴えかけていた。
「本来であれば即座に決裁されるべき備品発注書が、何日も放置されている。さらには、一部の部隊に対する不透明な指示。これは明らかに、魔術師団長としての職務を放棄していると言わざるを得ません。宰相閣下も、この事態を深く憂慮しておられます」
宰相の名前が出た瞬間、幹部たちの間に動揺が走った。
ゲイツは満足そうに口角を上げる。権力者の威光を笠に着て、自分より上位の者を蹴落とす。それが彼の常套手段だった。
かつての私なら、ここで魔術の探求に没頭するあまり事務処理が疎かになっていたと素直に謝罪していただろう。そして彼に実務の多くを委ね、結果としてあの偽造書類に署名させられることになったのだ。
だが、今の私は違う。
私は銀縁眼鏡の位置を直し、静かに彼を見据えた。
「団長には、ご自身の進退について真剣に考えていただきたい。魔術師団の未来のために」
ゲイツが自信満々に締めくくると、会議室は水を打ったような静寂に包まれた。
誰もが私の反応を窺っている。
私はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「素晴らしい演説だったよ、ゲイツ副団長」
私の穏やかな声に、ゲイツは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「君がそれほどまでに、団の規律と予算の透明性を重んじていたとは知らなかった。私の決裁が遅れていたことで、多大な心配をかけたようだね」
「分かっていただければ結構です。実務は俺が引き受けますので、団長はどうかご休養を――」
「だが、私が時間をかけていたのは、遊んでいたからではないんだ」
私は言葉を遮り、会議室の重厚な扉に向かって視線を送った。
合図とともに扉が開き、小柄な青年が姿を現す。
私の直属の部下となったノアだ。彼は自分の背丈ほどもある大量の書類を積んだ台車を、ひどく緊張した面持ちで押してきた。
「だ、団長……ご指示の品を、お持ちしました」
オドオドとした態度は相変わらずだが、その目に迷いはなかった。
私は台車から分厚い帳簿の束を手に取り、円卓の中央にどさりと置いた。
「私がここ数日、決裁を遅らせてまで確認していたのは、これだ」
ゲイツの眉がピクリと動いた。
「第七辺境警備部隊への魔道具支給費。過去三年間、毎月決まった額が引き出されている。決して少なくない額だ」
「そ、それが何か? 辺境の防衛は我が団の重要な任務です。正当な予算執行ですが」
ゲイツは余裕を装って鼻で笑った。
私は手元の羊皮紙を一枚めくる。
「現在の魔術師団の編成記録に、第七辺境警備部隊という部隊は存在しない。過去十年を遡ってもだ」
会議室がざわめいた。
ゲイツの顔から、さっと血の気が引く。
「な、何を馬鹿な……記録の記載漏れか何かに決まっている! 俺は確かに支給の手配を――」
「ノア」
私が短く呼ぶと、ノアはビクッと肩を震わせながらも、手元の資料を広げた。
「す、すべての送金記録と、編成記録の魔力痕跡を照合しました。存在しない幽霊部隊への送金を承認し、予算を引き出していた署名は……ゲイツ副団長、あなたのものです」
ノアが魔力を流し込むと、書類の上に青白い光が浮かび上がり、偽造された署名の痕跡が鮮明に映し出された。
王国は厳格な証拠至上主義の法治国家だ。魔力痕跡を伴う文書の偽造は、言い逃れのできない決定的な証拠となる。
「で、でっち上げだ! そんな書類、俺は知らない!」
ゲイツは激昂し、机を叩いた。実力不足を指摘されたときのように、声を荒らげて誤魔化そうとする。
「俺を陥れるための罠だ! こんな気弱な三流魔術師の作った資料など、何の証拠にもならない!」
「三流はお前だ、ゲイツ」
私の冷ややかな声が、会議室に響き渡った。
ゲイツは息を呑み、目を見開く。
「彼の緻密な魔力操作と情報処理能力は、お前の浅知恵など遠く及ばない。これを見ろ」
私は次々と書類を机に叩きつけた。
「ダリウス商会との不正な取引記録。備品発注書の偽造。そして、横領した資金の隠し口座への送金履歴。すべてに、お前の魔力痕跡が残っている」
言い逃れのできない完璧な証拠の山。
それは、かつて私が彼らにやられたことの意趣返しだった。逃げ道を塞ぎ、周囲を固め、確実な証拠で追い詰める。
ゲイツの唇がわなわなと震え始めた。神経質そうに泳いでいた目は、今や恐怖に見開かれている。
「ち、違う……俺は、宰相閣下のために……」
「宰相が、こんな杜撰な横領を指示したとでも言うつもりか?」
私が冷酷に問い詰めると、ゲイツは膝から崩れ落ちた。
自分が絶対の安全圏にいると信じていた男が、すべてを失って破滅する瞬間。
あの断頭台で味わった絶望には遠く及ばないが、それでも十分な転落だった。
「だ、団長……俺が悪かった!」
ゲイツは床に這いつくばり、見苦しく命乞いを始めた。
「魔術の才能がない俺は、こうでもしないと地位を保てなかったんだ! どうか、どうか見逃してくれ! これからは犬のように働くから!」
「君の貢献は十分に理解した」
私は冷たく見下ろした。
「法廷で、その涙ぐましい努力の成果を存分に語るといい」
私が指を鳴らすと、待機していた衛兵たちが踏み込んできた。
彼らは抵抗する気力も失ったゲイツの両腕を掴み、乱暴に引き起こす。
「やめろ! 離せ! 俺は副団長だぞ! 宰相閣下が黙っていないぞおおお!」
無様な叫び声を上げながら、ゲイツは会議室から引きずり出されていった。
その声が遠ざかるまで、幹部たちは誰一人として口を開かなかった。彼らもまた、証拠の重みと私の容赦のなさを理解したはずだ。
裏切り者には必ず相応の報いを受けさせる。
それが、二度と断頭台に立たないための私の第一歩だった。
◆ーーーー◆
その日の午後。
主を失った副団長室で、私はゲイツの私物を検分していた。
横領の証拠はすでに十分だが、彼が宰相とどのように連絡を取り合っていたのか、その経路を特定する必要があった。
「団長、これは……」
書類棚を整理していたノアが、小さな木箱を持って私の元へ来た。
中に入っていたのは、古びた銀色の懐中時計だった。
表面には細かな傷が無数にあり、蓋を開けても針はピクリとも動いていない。ただのガラクタにしか見えない代物だ。
「ゲイツの私物か?」
「はい。机の隠し引き出しの奥に、厳重に保管されていました。ですが、壊れているようです」
私はその懐中時計を手に取った。
冷たい金属の感触。
だが、指先に微かな違和感を覚えた。
「……いや、ただのガラクタじゃない」
私は銀縁眼鏡の奥で目を細め、時計の内部に意識を集中させた。
極めて微弱だが、確かに魔力の残滓がある。
それも、通常の魔道具に使われるような単純な術式ではない。歯車とゼンマイの隙間に、極小の空間魔術が精巧に編み込まれているのだ。
「空間魔術……?」
ノアが驚いたように呟く。
空間魔術は高度な技術を要する。ゲイツのような凡庸な魔術師に扱える代物ではない。
間違いなく、宰相派の息がかかった高位の魔術師が作成したものだ。
針の動かない時計。
その内部に隠された、見えない空間。
横領の隠蔽とは次元の違う、底知れぬ闇の気配がそこにあった。
この懐中時計に隠された密命とは、一体何なのか。
冷たい金属の塊を握りしめながら、私は窓の外を見た。
王都の空を覆う分厚い雲は、まだ晴れる気配を見せていなかった。




