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第26話

王宮の長い回廊を吹き抜ける風には、もはや焦燥も冷気も混じっていなかった。


大広間での断罪劇が終わった直後、城内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていたが、それは破滅への混乱ではなく、秩序を取り戻すための慌ただしさだった。


「逃がすな! 門を固めろ!」


遠くで衛兵たちの怒号が響く。だが、その声に焦りはない。宰相グスタフの失脚に伴い、王宮の裏門から逃走を図ろうとしていた残党たちの動きは、すでに完全に封じられていた。


裏庭へと通じる通用門に足を向けると、そこにはすでに決着のついた光景が広がっていた。


石畳の上には、派閥の貴族や私兵たちが無様に組み伏せられている。その中心で、腕組みをして豪快に笑っている男がいた。地方領主のバルドだ。


「おいおい、手応えがねえな。大口を叩いていた割には、腰が引けてやがる」


バルドは大剣を鞘に収め、足元に転がる男の襟首を軽く蹴飛ばした。彼が率いてきた屈強な私兵たちが、手際よく残党の身柄を縛り上げていく。


「無駄な抵抗はおやめなさい。あなた方の退路は、最初から存在していませんよ」


頭上のバルコニーから、ひらりと音もなく舞い降りてきた影があった。灰色の外套を翻したカイだ。足音ひとつ立てずに着地した彼は、軽く肩をすくめてみせる。


「団長、裏口は完全に押さえました。金目の物を持って逃げようとした連中も含めて、全員確保です」


「ご苦労だった、二人とも。迅速な対応に感謝する」


私が声をかけると、バルドが太い眉を上げて振り返った。


「おお、レオン殿! いやあ痛快だったぞ。あの傲慢な連中が、言い逃れもできずに青ざめていく様は実にいい見ものだった。長年、中央の連中に煮え湯を飲まされてきた地方の鬱憤が、一気に晴れた気分だ」


「あなたが迅速に兵を動かし、王都の要所を押さえてくれたおかげです。バルド閣下の協力がなければ、これほど完璧な包囲は不可能でした」


「よしてくれ、礼を言うのはこっちだ。あんたが集めた証拠の確かさがあったからこそ、俺たちも大義名分を持って動けたんだからな」


バルドは快活に笑い、私の肩を力強く叩いた。その手の重みには、単なる政治的打算を超えた確かな信頼が宿っていた。


カイが静かに歩み寄ってくる。


「これで外堀は完全に埋まりましたね。グスタフの私兵団も、各拠点で武装解除に応じています。もう、あの男の息の根を繋ぐ駒はどこにもありません」


「ああ。すべては想定通りに進んでいる」


カイは小さく口元を緩めた。日陰者として蔑まれてきた己の術と知見を存分に振るい、巨大な権力を引きずり下ろしたことへの、誇らしげな満足感がその瞳に宿っていた。


「……あんたについてきて、正解だったよ」


「君の働きがあってこそだ、カイ。これからも頼りにしている」


短く言葉を交わし、私は次に向かうべき場所へと視線を向けた。残党の処理は済んだ。だが、王国の安寧を確実なものにするためには、もう一つ、果たさねばならない重大な役目があった。



国王の寝室は、重苦しい沈黙に包まれていた。


天蓋付きの豪奢なベッドの傍らには、第二王女セリアが静かに控えている。彼女の細い指先は祈るように組まれ、寝息を立てる父王の顔を見つめていた。


「セリア殿下」


私が静かに扉を閉めて入室すると、彼女は弾かれたように顔を上げ、深い安堵の息を漏らした。


「レオン……。会議の件、聞き及びました。グスタフの罪は、完全に白日の下に晒されたのですね」


「ええ。彼が張り巡らせていた不正の網は、すべて証拠によって断ち切りました。もう二度と、王家を脅かすことはありません」


私は懐から、琥珀色の液体が入った小さなガラス瓶を取り出した。


「そして、これが最後の仕上げです。あなたの部屋に置かれていた香炉から検出された毒物の組成を完全に解析し、調合した解毒薬です」


グスタフが王宮内で密かに用いていた遅効性の毒。それは香の煙と混ざることで効果を発揮し、徐々に標的の生命力を奪う極めて悪質なものだった。だが、事前にその仕組みを暴き、成分を特定していたため、対抗する解毒薬の精製は完了していた。


セリアは息を呑み、胸元に手を当てた。


「本当に……父は助かるのですね」


「私を信じてください」


私はベッドに歩み寄り、侍医の補佐を受けながら、意識を失っている国王の唇を湿らせ、ゆっくりと薬液を流し込んだ。


解毒薬に含まれる魔力が体内に行き渡ると、国王の胸元から淡い光が広がり始めた。濁っていた肌の色から青ざめた土気が引いていき、浅く乱れていた呼吸が、徐々に深く規則正しいリズムを取り戻していく。


セリアがベッドの縁に両手をかけ、父親の顔をじっと見つめる。


やがて、閉ざされていた瞼が微かに震えた。


「……う……む……」


掠れた呻き声とともに、国王の瞳がゆっくりと開かれた。混濁していた光が消え、理知的な視線が天井から周囲へと巡る。


「父上……! 父上、おわかりになりますか!」


セリアが感極まった声を上げた。国王は弱々しく息を吐き出しながら、娘の顔を認識すると、安心させるように微かに指先を動かした。


「セリア、か……。私は、随分と長い悪夢を見ていたようだな……」


「悪夢はもう終わりました。すべて、レオンが……彼が私たちを救ってくれたのです」


セリアの言葉を受け、国王の視線が私へと移った。


私は片膝をつき、深く頭を垂れた。


「魔術師団長レオン。国王陛下の御快復を、心よりお慶び申し上げます」


国王はゆっくりと息を吸い込み、天井を見つめて事態を反芻するような沈黙を置いたあと、静かに口を開いた。


「……大広間での騒ぎは、夢現の間に聞こえていた。グスタフの専横、そして余を毒牙にかけようとした企み……そのすべてを、そなたが暴いてくれたのだな」


「臣下として、当然の務めを果たしたまでにございます」


「謙遜を申すな。国を蝕んでいた最大の病巣を断ち切り、王家の血統を守り抜いたのは、他ならぬそなたの知略と勇気だ。もしそなたがいなければ、この国はグスタフの手によって完全に食い物にされていたであろう」


国王の声には、病み上がりとは思えぬ威厳と、それ以上の深い感謝が込められていた。


「そなたの類稀なる功績に対し、余は最大の報いをもって応えねばならぬ。そなたに公爵の位を授け、空席となった宰相の地位を託したい。この国の未来を、そなたの力で導いてくれまいか」


王室の最高権力者としての言葉に、セリアが誇らしげに微笑み、私に視線を送った。


かつて無力なまま断頭台へと送られたあの日から三年。張り巡らされた陰謀の罠を先回りし、一つずつ証拠を積み上げ、合法的に敵を追い詰めてきた日々の成果が、今この瞬間に結実していた。


「謹んで、拝命いたします。我が全知全能を捧げ、王国に揺るぎなき繁栄をもたらすことを誓います」


私が応えると、国王は満足そうに頷き、再び静かに目を閉じて休息に入った。



寝室を出ると、廊下の窓から柔らかな陽光が差し込んでいた。張り詰めていた空気は完全に霧散し、城内を包む光はどこまでも穏やかだった。


隣を歩くセリアが、ふと立ち止まって私を見上げた。


「お疲れ様でした、レオン卿……いえ、新しき宰相閣下とお呼びすべきかしら」


悪戯っぽく微笑む彼女の表情には、長い闘争から解放された少女らしい柔らかさが戻っていた。


「これまで通りの呼び方で構いませんよ、セリア殿下」


「ふふ、そうね。あなたには、その方が似合っているわ」


セリアは窓の外、青空の下に広がる王都の街並みを眺めた。


「本当に、長い道のりでした。あなたが最初に私の手を取ってくれたあの日から、すべてが変わった。私をただの飾り物ではなく、一人の人間として信じてくれたからこそ、私は今日まで戦うことができました」


「信じていたのは私の方です。あなたの聡明さと覚悟があったからこそ、私たちはここまで辿り着けた」


嘘偽りのない本心だった。知略や証拠がいかに完璧であっても、それを行使するための立場と正当性を支えてくれたのはセリアであり、暗躍してくれたカイや、後ろ盾となってくれたバルドたちの存在だった。


孤立無援のまま真面目さだけを抱えて散っていった過去の自分とは違う。確かな証拠を握り、信じるべき仲間とともに勝ち取った勝利だった。


胸の奥に、波立つことのない静かな充足感が広がっていくのを感じる。


「これからは、新しい国造りが始まりますね」


セリアが前を見据え、希望に満ちた声で呟いた。


「ええ。ですが、まずは今日という日を、無事に終えられたことを喜びましょう」


私は穏やかに微笑み、歩みを再開した。


運命の日は、もはや断罪の悪夢ではなくなった。仲間たちとともに歩むこれからの時間に思いを馳せながら、私は確かな足取りで、光の満ちる回廊を進んでいった。

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