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第25話

グスタフの喉から、獣のような濁った息が漏れ出た。


「……おのれ、若造が……! この私が、貴様ごときに……っ!」


男は懐から黒ずんだ魔石を取り出し、床へ叩きつけた。亀裂の走った魔石から、どす黒い魔力が噴出する。議場の天井に禍々しい術式が広がり、血のような赤い雫がぽたりと落ちた。


前世の処刑前夜、王都を濡らしたあの禁忌魔術――空気中の魔力を汚染し、強制的に暴走を引き起こす術式を、会議場全体に解き放とうというのだ。


「すべて灰燼に帰すがいい! 私を裁くなど、何人にも許さん!」


議場に悲鳴が響き渡る。だが、私の足元は寸分たりとも揺るがなかった。


「無駄な足掻きです、元宰相閣下」


私は手にした杖の石突を、床へ静かに打ち鳴らした。


あらかじめ議場の四隅に配置していた術式が、白銀の光を放って立ち上がる。カイとノアが仕掛けていた対抗結界が瞬時に連動し、グスタフの黒い魔力を四方から挟み込んだ。汚染された魔力は外へ広がる隙すら与えられず、透明な光の膜の内側へ圧縮されていく。


「な……術式の起動が、これほど速いだと……!?」


「あなたが禁忌に手を染めていることなど、最初から織り込み済みです。発動条件、魔力の波長、展開速度――すべて三年かけて解析し尽くしました」


私は淡々と告げながら、魔力を一段引き上げた。白銀の光が赤い術式を完全に呑み込み、霧散させる。汚染された雨粒は一滴たりとも床を汚すことなく、澄んだ空気だけが議場を満たした。


最後の切り札を消し去られたグスタフは、目を見開いたまま両膝をついた。その場に崩れ落ちた男の額から、脂汗が滝のように流れ落ちていく。


「終わりです」


私が冷ややかに告げると、セリア王女が毅然とした足取りで壇上の前へと進み出た。


「近衛兵、反逆者グスタフを拘束しなさい。抵抗するならばその場で斬り捨てても構いません」


「はっ!」


重厚な鎧の擦れる音とともに、近衛兵たちが一斉にグスタフを取り囲んだ。屈強な兵士たちに両腕を捻り上げられ、かつて王国に君臨した宰相は無様に床へ押しつけられる。


「離せ! 無礼者どもが! 私は王国の宰相だぞ! 王族の血も引かぬ下賤な小僧に、この私を裁く権利などあるものか!」


喚き散らすグスタフの前に、私は歩み寄った。胸元から取り出した書類の束を、その眼前に広げて見せる。


「ええ、私個人にあなたを裁く私刑の権利はありません。しかし、法にはその権利がある」


私は議場に響き渡る声で、一枚ずつ書類を読み上げた。


「魔獣暴走を誘発させた禁忌薬物の横流し記録、筆跡鑑定付きの指示書原本。国王陛下を害そうとした猛毒の調合指示書と、侍医クラウスの全容自白調書。そして、あなたが私を陥れるために作らせた、偽造発注書の原本と印章」


一枚読み上げるごとに、周囲の貴族たちから息を呑む音が漏れる。これまでグスタフの威光に怯え、あるいはその甘言に靡いていた者たちも、もはや完全に顔色を失っていた。言い逃れの余地など、塵芥ほども残されていない。


「これらはすべて、法務監査局および王室直属の検証魔術師によって真正性が証明された『絶対の証拠』です。いかなる権力を用いようと、消し去ることはできません」


グスタフの顔が、屈辱と絶望で歪む。見下していたはずの青年に、自らが最も得意としていたはずの「書類と手続き」によって完膚なきまでに叩き潰されたのだ。その事実は、男の傲慢な自尊心を芯から打ち砕いた。


「……貴様……最初から……」


「お引き取りを。あなたの行くべき場所は、議場ではなく地下牢です」


私が短く告げると、近衛兵たちがグスタフの体を強引に引き起こした。豪華な装飾の施された法服は泥と汗に汚れ、かつての威厳は見る影もない。男は何かを呪詛のように呟きながら、重い扉の向こうへと引きずられていった。


静まり返った議場に、ただ私の足音だけが響く。周囲を見渡せば、宰相派に属していた貴族たちは一様に視線を伏せ、恐怖に肩を震わせていた。


私は眼鏡の位置を直し、セリア王女へ深く一礼した。


「王女殿下。不審な動きを見せていた残党の身柄、ならびに隠匿資産の差し押さえは、カイ率いる隠密部隊によってすでに完了しております。宮廷内の浄化に、滞りはございません」


「見事でした、レオン団長」


セリア王女は柔らかな、しかし確固たる意志を秘めた眼差しで私を見つめ返した。


「あなたの知略と勇気によって、王国は破滅の淵から救われました。……この恩義、王家は決して忘れません」


その言葉を合図にしたかのように、議場に割れんばかりの拍手が湧き起こった。地方領主たちをはじめ、これまで沈黙を強いられていた中立派の貴族たちが、一斉に賛辞の声を上げる。三年前、罵声と嘲笑の中で処刑台へと向かわされたあの光景とは、何もかもが真逆だった。



◆ーーーー◆



数日後、王宮の大広間にて叙勲式が執り行われた。


病床から回復された国王陛下が玉座に座し、その隣にはセリア王女が凛とした姿で控えている。広間を埋め尽くす文武百官の視線が集まる中、私は赤い絨毯の上を歩み、玉座の前で片膝をついた。


「魔術師団長レオン」


国王の重厚な声が広間に響く。


「そなたは類まれなる知謀と力をもって国家の危機を未然に防ぎ、反逆の徒をことごとく断罪した。その功績は王国の歴史においても比類なきものである」


国王は立ち上がり、儀礼用の長剣を私の肩へと置いた。


「よって、そなたに公爵の爵位を授ける。さらに、空席となった宰相の地位に就き、我が王国の舵取りを担うことを命ずる」


広間がどよめき、直後に地鳴りのような歓声が上がった。一介の魔術師団長から、国政の頂点たる宰相への抜擢。前例のない大出世であったが、これに異を唱える者は誰一人としていなかった。私が積み上げた完璧な実績と証拠の前に、反対できる根拠など存在しないからだ。


「謹んで、拝命いたします」


私は頭を垂れ、静かに応じた。手渡された宰相の印章は、ずっしりとした確かな重みを持っていた。



◆ーーーー◆



式典の夜、王宮の最上階にあるテラスで、私は一人グラスを傾けていた。澄んだ夜風が、新調された宰相の礼服を静かに揺らす。


背後から軽やかな足音が近づいてきた。


「ここにおられたのですね、レオン宰相閣下」


振り返ると、祝宴のドレスを纏ったセリア王女が、悪戯っぽく微笑んでいた。


「王女殿下。抜け出してしまい申し訳ありません」


「構いませんよ。主役であるあなたが一番疲れているはずですから。……外の空気は美味しいですか?」


「ええ、格別です」


私は街並みを見下ろした。王都の灯りが星屑のように瞬き、遠くの広場からは民衆の祝祭の歌声が風に乗って届いてくる。


懐から、かつてゲイツから押収した懐中時計を取り出した。内部の空間魔術を解除し、修復したその時計は、今や正確に時を刻んでいる。


短針と長針が、あの運命の刻限を指し示した。


前世の私が、濡れ衣を着せられて断頭台の刃に首を落とされた、まさにその日、その時刻。


空を見上げる。そこにあるのは、血のように不気味な赤い雨ではない。吸い込まれそうなほどに深く、澄み渡った満天の星空だった。


「どうされましたか?」


不思議そうに首を傾げるセリア王女に、私はグラスを掲げて見せた。


「いいえ。……ただ、これ以上ない美酒だと感じていただけです」


運命は、完全に書き換えられた。


私はかつて奪われた命と誇りを、自らの知略と仲間の力で取り戻したのだ。最高権力者としての責任は重く、これからの道のりにも新たな政敵や困難が待ち受けているだろう。だが、二度と無力なまま散ることはない。


私は星空に向かってグラスを傾け、自らの新たな始まりに、静かに祝杯を挙げた。

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