第24話
紫の閃光が、大会議場の豪華なシャンデリアを不吉に照らし出した。
グスタフが掲げた宝珠から漏れ出る魔力は、かつて王都を濡らし、人々の理性を狂わせかけたあの不気味な気配とまったく同じ性質のものだった。かつて私を陥れるために裏で弄ばれていた、禁忌の魔術術式。
「ひ、悲鳴を上げろ! 全員道連れだ!」
血走った目を剥き出しにし、グスタフが唾を飛ばす。宮廷の頂点に君臨していた男の、それが最後の悪あがきだった。
議場にいた貴族たちが一斉に悲鳴を上げ、出口へ向かって殺到しかける。近衛兵たちも、かつてない高密度の魔力反応に足を止め、腰の剣に手をかけたまま息を呑んでいた。誰もが破滅の爆発を予感し、顔を青ざめさせている。
だが、私はその場から一歩も動かなかった。
眼鏡のブリッジに指先を触れ、静かに視線を男の足元へと落とす。すべては、想定の範囲内だ。
「ノア、カイ。配置通りに」
短く告げた私の声は、騒然とする議場の中で驚くほど澄んで響いた。
議場の四隅、壁際に控えていたノアが、抱えていた書類の束を素早く足元に置き、青白い顔を引き締めながら胸元から小型の魔導具を取り出した。丸眼鏡の奥の瞳には、かつてのような怯えはない。
「は、はいっ! 展開術式、同期完了してます……!」
ノアが叫ぶと同時に、天井の梁の影から、音もなく灰色のローブが舞い降りた。カイだ。
カイは手にした短剣の切っ先を床の絨毯へと突き刺し、あらかじめ仕掛けておいた魔術刻印に自身の魔力を流し込んだ。軽薄な笑みを完全に消し去り、鋭い眼光をグスタフへと向けている。
「へっ、往生際の悪いこった。団長の手のひらの上で踊ってるって、まだ分からねえのかよ」
二人の魔力が交差し、大会議場の床一面に青白い幾何学模様が浮かび上がった。
対抗結界――『四方連鎖封殺陣』。
グスタフが暴走させようとしていた宝珠から吹き出す紫の濁流は、床から立ち上がった光の檻にぶつかり、甲高い金属音のような破砕音を立てて霧散していく。外へ広がろうとする破壊の力は、寸分の狂いもなく内側へと圧縮され、行き場を失って宝珠の中へと押し戻されていった。
「な……なんだと!? ば、馬鹿な! この禁忌の術式を、なぜ初見で相殺できる!?」
グスタフが愕然として叫ぶ。男の手の中で、宝珠は黒ずんだ灰のように変色し、ぽろぽろと音を立てて崩れ落ちた。
「初見、ですか」
私は冷然と告げ、ゆっくりと歩みを進めた。
「あなたにとっては今思いついた苦し紛れの策でも、私にとっては三年も前から知っている既知の術式ですよ」
足音が、静まり返った議場に硬く響く。
前世で私が無実の罪を着せられ、断頭台へと送られたあの日。空を覆っていたあの赤い雨こそが、あなたが秘密裏に進めていた大規模禁忌魔術の実験残滓だった。あの術式の構成式、魔力波長、そして中和に必要な対抗術式の術理など、私はこの三年間で数千回と頭の中で解体し、対策を完璧に構築し終えている。
「貴様……貴様ァッ!」
グスタフは剥き出しの憎悪を込めて私を睨みつけたが、その両足はすでに自重を支えきれず、がくがくと震えていた。
力技による道連れすらも封じられた今、彼に残された武器は何一つとして存在しない。
カイが音もなく背後に回り込み、退路を完全に塞いだ。ノアは乱れた息を整えながら、手際よく記録用紙に結界起動時の魔力ログを書き留めている。これすらも、グスタフが議場で禁忌魔術を行使しようとした動かぬ証拠として記録される。
「ノア、議長へ渡す追補の書類を」
「は、はい! ただいま!」
ノアが小走りで近寄り、私の手元に分厚い革表紙のファイルを差し出した。そこには、先ほど暴発しかけた宝珠の出所、横領された国庫金との照合記録、そしてグスタフが裏で接触していた闇商人たちの売買帳簿の控えがすべて網羅されている。
私はそれを受け取ると、壇上の玉座に座る国王代理たる重臣たち、そして凛とした表情で前を見据えるセリア王女の前へと進み出た。
「諸卿、および王室の皆様。ご覧いただいた通りです。宰相グスタフは、自らの横領と反逆の証拠を隠滅するため、この神聖なる議場において禁忌兵器を用い、全員の抹殺を試みました」
私の淡々とした言葉に、先ほどまで恐怖に竦んでいた貴族たちから、怒号と非難の声が一斉に沸き起こった。
「なんて男だ……! 我々まで巻き込むつもりだったのか!」
「これほどの証拠が揃っていて、なお反省の色すらないとは!」
「反逆者だ! 明確な大逆罪だぞ!」
かつてグスタフの顔色を窺い、その権勢に傅いていた者たちですら、保身のために一斉に掌を返して宰相を罵倒し始める。政治とはそういうものだ。権力を失った者に差し伸べられる手など、この宮廷には一つとして存在しない。
グスタフは床に膝をつき、呆然と周囲の罵声を浴びていた。
かつて何人もの政敵をその冷酷な指先一つで断頭台へと送り、法を私物化してきた大貴族が、今や自分が敷いた法と証拠の網に囚われ、身動き一つ取れなくなっている。
「グスタフ閣下」
私は男のすぐ目の前に立ち、見下ろした。
男が顔を跳ね上げる。その瞳には、かつて私を見下していた傲慢な光の代わりに、底知れない屈辱と絶望が宿っていた。
「……なぜだ。なぜ、貴様のような若造が……私の完璧な計画を……すべて先回りできるのだ……」
絞り出すような、血を吐くような問い。
私は眼鏡の奥で、わずかに目を細めた。
真面目に魔術を究め、国に尽くしていれば報われると信じていたかつての私は、あなたのその傲慢な権力闘争によって命を奪われた。政治の泥仕合を軽蔑し、書類の裏に潜む悪意に気づかなかった無知ゆえに、私はすべてを失った。
だが、一度命を落とし、地獄の底から這い上がってきた私は、二度とあなたの思い通りには動かない。
「あなたが私を、ただの世間知らずな魔術師だと侮っていたからです」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
それは、国王の署名と王室の刻印が押された、正式な拘束命令書。私がこの三年間、敵の罠を一つずつ解体し、味方を増やし、王室の信頼を勝ち取ることによって手に入れた、合法的な『力』の結晶だ。
「あなたの罪状は、王族毒殺未遂、軍需物資の不正横領、禁忌魔術の不法行使、ならびに国家反逆罪。……もはや、いかなる弁明も通じません」
グスタフの唇がわななき、言葉にならない呻きが漏れる。
セリア王女が壇上から立ち上がり、澄んだ声で近衛兵たちへ下知を飛ばした。
「近衛隊、反逆者グスタフの身柄を確保しなさい。……これ以上の発言は一切認めません」
「はっ!」
完全武装の近衛兵たちが一斉に踏み出し、床にへたり込むグスタフの両脇を固める。
男は引きずり起こされながら、なおも私を睨みつけようとしたが、その視線はすでに虚空を彷徨っていた。築き上げた権勢のすべてが崩壊し、自らが立っていた足場が跡形もなく消え去ったことを、ようやく理解したのだ。
私は懐中時計を取り出し、静かに蓋を開けた。
針は、定められた時刻を正確に刻んでいる。
前世で私の首が断頭台の刃によって落とされた、まさにその日、その時刻まで、あとわずか。
だが、台の上に立つのは私ではない。
「チェックメイトです、宰相閣下」
私は宣告を下し、冷徹にその瞳を射抜いた。




