第23話
静まり返った大会議場に、銀色の懐中時計が鈍い光を投げかけていた。
「……それがどうしたというのだ」
グスタフは鼻で笑ってみせたが、その眉間には明らかな苛立ちが刻まれていた。
「ただの壊れた時計ではないか。そのようなガラクタを掲げて、何をごまかすつもりだ」
「ガラクタ、ですか。そう思わせることこそが、この品の本来の狙いでしたね」
私は指先に微量の魔力を集めた。青白い光が時計の竜頭を包み込む。カチリ、と硬質な音が室内に響いた。
「針が動かないのは、内部の機構が破壊されているからではありません。歯車の隙間に極小の空間魔術が編み込まれ、別の用途に使われていたからです。かつて私が失脚させたゲイツ元副団長が、肌身離さず持っていた品ですよ」
術式の結び目を丁寧に解いていく。時計の蓋がひとりでに開き、内部から圧縮されていた空間の歪みが広がった。空中に浮かび上がったのは、何重にも封蝋が施された数枚の羊皮紙だった。
「なっ……!」
議席の最前列で、グスタフの息が詰まる音がした。
私は羊皮紙を手に取り、議場全体に見えるよう広げた。
「ここにあるのは、ゲイツ元副団長宛てに下された極秘の指令書です。筆跡の魔力鑑定、そして末尾に刻印された宰相家の固有魔力印章――すべて本物であることを、先ほど監査局の記録と照合済みです」
議場がにわかにざわつき始める。私は朗々と、そこに記された文面を読み上げた。
「『魔術師団の備品調達を装い、禁忌指定物質を王都地下の研究施設へ搬入せよ。手筈通り団長の印を偽造した発注書を作成し、露見した際はすべての責任をレオンに被せるべし』……さらに、先日の王都上空で観測された魔力汚染、あの異様な赤い降雨を引き起こした地下実験の認可署名までもが、ここに含まれています」
「で、でっち上げだ!」
グスタフが激昂し、立ち上がって机を叩いた。
「そのような紙切れ、いくらでも偽造できる! 魔術師団長ともあろう者が、謀略のために小細工を弄するなど言語道断!」
「偽造とおっしゃいますか。ですが閣下、固有魔力印章は王家の管理下にある特殊な魔導具でしか刻印できません。この会議場にいるどなたが調べても、あなたの魔力波形と寸分違わず一致します」
冷ややかに告げると、グスタフの顔から血の気が引いていくのが見て取れた。
だが、追撃はこれだけで終わらない。
「魔術師団への罪の擦り付けだけではありません。閣下の罪状は、さらに重いものがございます」
議場の後方から、凛とした足音が響いた。
控えていた侍女のマリアンヌが、恭しく頭を下げながら中央へと進み出る。彼女の手には、厳重に封印された木箱と一冊の記録帳が収められていた。
「王女殿下の侍女、マリアンヌでございます。セリア殿下の命を受け、王宮内に仕掛けられた奸計の物証を持参いたしました」
マリアンヌは木箱を開け、中から銀製の小ぶりな香炉を取り出した。その表面は、金属が腐食したかのように赤黒く変色している。
「この香炉は、セリア殿下の私室に置かれていた特製品です。特定の毒素や有害魔力に反応すると、内部の触媒が反応して煙の色と金属の色を変える細工が施されておりました」
マリアンヌの冷徹な声が、静まり返った議場に響き渡る。
「数日前、陛下が倒れられた直後、王女殿下の部屋でこの香炉が激しく反応いたしました。漂っていた成分を解析した結果、陛下へ処方されていた滋養薬に極微量ずつ混入されていた遅効性の毒物と、完全に一致いたしました」
どよめきが貴族たちの間に波紋のように広がった。
「国王毒殺……? まさか、本当に……」
「ヴィクター卿の独断ではなかったのか」
貴族たちの囁きを遮るように、マリアンヌは記録帳を掲げた。
「さらに、陛下の治療を担当していた侍医クラウスの自白調書をここに提出いたします。クラウスは家族を人質に取られ、宰相閣下の私設部隊から毒薬を受け取り、陛下の薬湯へ混ぜるよう強要されていたと証言しております。彼の家族は昨夜、無事に救出され、現在は近衛の保護下にあります」
「ぐっ……おのれ、侍医風情が……!」
グスタフの喉から、押し殺したような唸り声が漏れた。
かつて彼が絶対的な自信を持って張り巡らせた蜘蛛の巣は、今や一本残らず断ち切られ、逆に彼自身の首を絞める縄となっていた。
「言い逃れはできません、グスタフ閣下」
その時、玉座の隣に控えていたセリアが、静かに立ち上がった。
黄金の髪を揺らし、気品に満ちた足取りで壇上の縁へと歩み出る。その碧眼には、王族としての確固たる覚悟と、不正を許さぬ強い光が宿っていた。
「セリア殿下……」
グスタフが助けを求めるように視線を向けたが、セリアはその視線を氷のように冷たく跳ね返した。
「宰相グスタフ。私は第二王女の名において、レオン団長およびマリアンヌが提出したすべての証拠の正当性を保証します」
透き通るような声が、広大な会議場の隅々まで届いた。
「そなたは長年にわたり父王の忠臣を装いながら、裏では王家の威光を失墜させ、国を私物化しようと画策してきました。魔術師団長を陥れようとした陰謀、王都を危険に晒した禁忌の実験、そして何より――父王の命を奪おうとした大逆の罪。もはや弁明の余地はありません」
「殿下! お待ちください! 私は王国の将来を憂うあまり――」
「黙りなさい!」
セリアの鋭い一喝が、グスタフの見苦しい弁解を断ち切った。
「王族を傀儡とし、己の野望のために民の平穏を脅かす者を、これ以上この国の重職に留めておくわけにはまいりません。近衛兵、反逆者グスタフを捕縛しなさい!」
セリアの号令とともに、議場の扉が左右に開き、完全武装した近衛騎士たちが一斉になだれ込んできた。
逃げ場を失ったグスタフは、よろめきながら後退した。
かつて宮廷の頂点に君臨し、他者の命運を指先一つで弄んでいた大貴族の姿は、そこにはなかった。見下していたはずの若い魔術師と、飾り物として侮っていた王女によって足元を根底から崩され、屈辱と恐怖に顔を醜く歪ませている。
私は眼鏡の奥の瞳で、その哀れな姿を冷然と見据えた。
かつて理不尽な罪を着せられ、無力なまま散っていった記憶が脳裏をかすめる。だが今、法と証拠の名のもとに裁かれるのは、他ならぬ黒幕自身だ。
「終わりです、グスタフ閣下。あなたが築いた砂の城は、完全に崩壊しました」
私の宣告に、グスタフはがたがたと震え出した。
しかし、包囲を狭める騎士たちの足音が近づいたその瞬間、男の喉から掠れた笑いが漏れ出た。
「……く、くく……ふはははは!」
張り詰めた空気を切り裂くような、狂気を孕んだ哄笑。
「終わるだと? この私が、貴様のような若造の手で終わらされてたまるか!」
グスタフは懐へ手を滑り込ませると、禍々しい紫色の光を放つ小さな宝珠を引き抜いた。
「王宮ごと消し飛ぶがいい、無能どもが!」
男が叫び、禁忌の魔導具に魔力を注ぎ込もうとした。




