第22話
掲げられた紙片を目にした瞬間、議場を満たしていた喧騒がぴたりと止んだ。
冷え切った空気の中、ヴィクターの視線が私の手元へと吸い寄せられる。彼の神経質な細い目が、信じられないものを見るように見開かれていた。
「……なんの真似だ、レオン卿」
グスタフが不快そうに額の肉を寄せる。贅沢な指輪を嵌めた指が、肘掛けの金装飾を苛立たしげに叩いた。
「偽造した書類など、何の証拠にもならん。貴様の悪あがきに付き合っている暇はないのだ」
「偽造かどうかは、筆跡と魔力署名を照合すれば瞬時に判明しますよ」
私は淡々と応じ、書類の束を軽く振った。
「ここにあるのは、王都近郊の防衛網を意図的に麻痺させ、暗殺部隊を引き入れるための詳細な配置転換指示書です。末尾には、ヴィクター殿の魔力紋様が刻印された公式印が押されている」
議場がざわめく。左右に並ぶ貴族たちの間で、囁き声が波のように広がっていった。
ヴィクターは顎を引き、唇を一文字に結んで私を睨みつけている。その冷淡な仮面の下で、思考が高速で回転しているのが見て取れた。
「馬鹿げた言いがかりですな」
ヴィクターは平然を装って鼻を鳴らした。
「そのような紙切れ、どこから持ち出してきたのか存じませんが……私の印鑑を模造するなど、魔術師団長の手にかかれば造作もないこと。単なる捏造です。私が暗殺部隊などと関わる理由がどこにあるというのです」
「そう主張されると思いました」
私は会議場の後方へ視線を送った。
そこには、腕いっぱいに革張りの分厚いファイルを抱え、緊張で肩を強張らせた小柄な青年が立っていた。
「ノア、頼む」
「は、はいっ!」
ノアは怯えたように身を縮めながらも、足取りは乱さずに歩み出た。彼は円卓の各席へ向かい、震える手で素早く書類を配り始めていく。
「これらは、王都の裏路地に潜伏していた襲撃部隊の隠れ家から、昨夜押収された活動記録の写しです。金貨の流れ、武器の調達元、そして彼らが受け取っていた指示の日時が克明に記されています」
かつて私に刃を向け、そして今は別の主のために働いたある男が、完璧に回収してきた一連の記録だ。プロの仕事に抜かりはなかった。
「な、なんだこれは……」
最前列に座る地方領主の一人が、配られた紙面を凝視して呻く。
「資金の出所が……ヴィクター卿の個人口座と完全に一致しているぞ」
「それだけではありません」
私は議場の中心へと歩みを進めた。
絨毯を踏みしめる靴音が、静まり返った空間に高く響く。
「先ほどヴィクター殿は、私が魔獣暴走を誘発する薬物を調達したと証言されましたね。しかし、その薬物を実際に発注・受領した業者の帳簿、および配送を担当した御者の証言録取書がこちらにあります。受取人としてサインされているのは、ヴィクター殿の専属従者です」
「くっ……!」
ヴィクターの喉から、押し殺したような音が漏れた。
彼は知略に長けた男だ。だからこそ、突きつけられた証拠群がどれほど強固で、反論の余地がないかを誰よりも早く理解したのだろう。
逃げ道はすべて塞がれていた。
「さらに、第二王女セリア殿下の私室に仕掛けられた毒物についてもお話ししましょう」
私は周囲を見渡しながら、声を張り上げた。
「殿下の部屋に置かれていた特製の香炉。その煙は、特定の魔獣毒が空気中に散布された際、防衛反応として青く変色する仕掛けになっていました。そして数日前、香炉は見事に変色した。その際、換気口の近くで不審な動きをしていた侍医から押収された毒薬の調合記録——そこに記されていた署名もまた、ヴィクター殿のものでした」
「で、でたらめだ……!」
ヴィクターの声が裏返った。
いつも冷静沈着を気取り、感情を交えずに他人を裁いてきた男が、見るも無残に取り乱している。額には脂汗が滲み、高級な文官服の襟元を落ち着きなく掻きむしった。
「私は……私は指示など出していない! そんなものはすべて状況証拠に過ぎない!」
「状況証拠ではありません。動かぬ物証と、複数の第三者による証言です」
法と証拠こそがすべてを決するこの国において、これ以上の決定打はない。
議場を支配していた空気は完全に逆転していた。貴族たちの軽蔑と恐怖の眼差しが、今やヴィクター一人へと集中している。
「……ヴィクター」
重々しい声が、玉座の脇から響いた。
グスタフだ。
宰相は冷酷な眼差しで、自らの側近を見下ろしていた。その瞳には、長年仕えてきた部下に対する情など欠片も残っていない。
「閣下……!」
縋るように顔を上げたヴィクターに対し、グスタフは吐き捨てるように言い放った。
「見損なったぞ。まさか私の預かり知らぬところで、私利私欲のために暗殺部隊を動かし、王女殿下にまで危害を及ぼそうとしていたとはな」
「な……閣下、何を仰って……!? 私は、すべてあなたの——」
「黙れ!」
グスタフの怒声が議場を震撼させた。
「私への弁解など無用だ。我が国の法に背き、王室を脅かした罪、万死に値する。衛兵! この不届き者を今すぐ連行しろ!」
即座に議場へ踏み込んできた近衛兵たちが、抵抗する力を失ったヴィクターの両腕を掴む。
ヴィクターは反論の言葉すら喉に詰まらせ、ただ呆然と、己を切り捨てた主の顔を見つめていた。己の計算の全てが打ち砕かれ、信じていた権力にあっさりと踏み潰された男の、哀れな末路だった。
引きずられていく側近の背中を見送りながら、グスタフはわざとらしく重いため息をつき、首を振った。
「まさか私の腹心にこれほどの逆賊が紛れ込んでいたとは……監督不行き届きについては、後ほど相応の責任を取らねばなるまいな。だが、これで魔術師団長への嫌疑も晴れたというもの。一件落着だ」
グスタフはそう言って、この場を強引に締めくくろうとした。
トカゲの尻尾を切り落とし、自らは無傷のまま幕を引く。かつて幾度となく繰り返されてきた、この男の常套手段だ。
だが、私がこれで満足するとでも思っているのだろうか。
「お待ちください、宰相閣下」
議場を出ようとする衛兵たちの足音が止まる。
グスタフが不機嫌そうに振り返り、眉を吊り上げた。
「……なんだ、レオン卿。貴様の無実は証明されたのだ。これ以上、何の文句があるというのだ」
「ヴィクター殿の罪は確定しました。しかし、彼のような実務官僚が、独断で王都防衛結界の権限を弄び、王室転覆を企てることなど可能でしょうか」
私の問いかけに、議場の貴族たちが息を呑む。
「何を馬鹿なことを。彼奴が裏で勝手に手を引いていたと、証拠が示しているではないか」
「ええ、ヴィクター殿が実行犯の一人であることは間違いありません。しかし、彼を動かしていた『真の首謀者』が他に存在します」
「根拠のない妄言を吐くな!」
グスタフの声に、微かな焦燥が混じる。
私は動じず、制服の内ポケットへ再び手を伸ばした。
指先が触れたのは、かつて失脚させた裏切り者の副団長から回収し、厳重に保管していた金属の塊だ。
冷たい感触を確かめながら、私はそれを議場の中央へと取り出した。
銀縁の眼鏡を押し上げ、傲慢な権力者の目を真っ直ぐに見据える。
「では、宰相閣下。この品に見覚えはありませんか」
私の手のひらの上で、鈍い輝きを放つ古びた銀色の時計。
長針も短針も狂ったまま静止した、『壊れた魔術懐中時計』を高く掲げた。




