第12話
王宮の会議室は、重苦しい空気に包まれていた。
窓の外では灰色の雲が垂れ込め、今にも冷たい雨を降らせそうだった。
円卓を囲む貴族たちの視線が、一斉に私へと突き刺さる。
「魔術師団の予算運用には、重大な疑義がある。さらに先日の魔獣暴走における対応の遅れ……これらは全て、団長であるあなたの責任だ」
円卓の向かいで、財務卿の息がかかった官僚が声を荒らげた。
机の上には、私が軍事予算を横領したとする告発状が叩きつけられている。
過去の記憶がフラッシュバックする。
かつて私を断頭台へと追いやった、見え透いた濡れ衣の数々。
予算凍結によって表の動きを封じられた私は、ここで反論できずに失脚するはずだった。
だが、私は手元の鞄から数枚の書類を取り出し、静かに卓上へ滑らせた。
「それは奇妙ですね。私が調べたところ、その消えた予算は、あなたの管理するダミー口座へ流れていましたが」
「なっ……!」
「加えて、魔獣暴走の直前、あなたが非合法の魔獣商と接触していた記録もあります。予算凍結は、ご自身の横領を隠蔽するための工作だったのでは?」
官僚の顔から血の気が引いていく。
未来の知識を頼りに、ノアに集めさせた決定的な証拠だ。
周囲の貴族たちがざわめき、官僚は言い訳を口にしながら衛兵に引きずり出されていった。
これで表舞台での圧力は消え、攻守は逆転した。
私が派手に立ち回り、宰相派の目をこちらに引きつける。その隙に、裏でジンとカイが動く。
それが、あの夜の無力感から捻り出した私の反撃だった。
会議室を出て、人気のない回廊を歩き出した直後。
懐に忍ばせていた通信用の魔術具が、けたたましく振動した。
「団長……!」
耳に当てた瞬間、ノイズ混じりのカイの声が飛び込んできた。
「カイ、どうした。救出は成功したのか」
「罠だ……! ヴィクターの野郎、最初からここを……!」
背後で凄まじい爆発音が響き、通信が途絶えた。
心臓が冷たい手で鷲掴みにされたように跳ねる。
私は回廊を駆け出し、魔術師団の空間跳躍陣へと向かった。
回廊の窓から見える空は、どんよりとした鉛色に沈んでいた。
私の足音だけが、冷たい石造りの床に虚しく響き渡る。
ジンとカイの潜入能力を疑っているわけではない。彼らは裏社会で生き抜いてきた本物のプロだ。
だが、相手はあのヴィクターだ。
効率と結果を最優先する冷徹な男が、私が表で動くことを見越して、裏に致命的な罠を仕掛けていないはずがなかった。
焦りが胃の奥を冷たくしていく。
空間跳躍陣の間に飛び込み、待機していた部下を制止して自ら起動式を組み上げる。
膨大な魔力が陣を駆け巡り、視界が白く染まった。
◆ーーーー◆
王都郊外の廃修道院。
転移陣を抜けた私の目に飛び込んできたのは、崩れ落ちた石壁と、渦巻く黒い炎だった。
強固な禁忌魔術の結界が、建物を内側から焼き尽くそうとしている。
「カイ!」
瓦礫の陰で、灰色のローブが血に染まっていた。
カイが自身の体を盾にして、怯える女性と幼い子供を庇っている。クラウスの家族だ。
彼らの周囲には、黒い炎が生き物のように迫っていた。
私は躊躇うことなく、両手に膨大な魔力を集中させた。
「吹き飛べ」
冷たい怒りとともに放たれた広域殲滅魔術が、空間そのものを歪める。
轟音。
禁忌魔術の結界がガラスのように砕け散り、廃修道院の半分が跡形もなく消し飛んだ。
土煙が晴れるのを待たず、私はカイのもとへ駆け寄った。
ジンも瓦礫の中から姿を現し、舌打ちをしながら周囲を警戒している。
「しっかりしろ、カイ!」
「……団長、すまねえ……俺の、ミスだ……」
カイの息は浅く、全身に呪いの火傷を負っていた。
気配を消すことに長けた彼が、これほどの重傷を負うとは。
「喋るな。君はよくやった」
私はカイの傷口に治癒魔術を施しながら、周囲を警戒した。
「素晴らしい威力だ。さすがは魔術師団長」
瓦礫の向こうから、事務的な足音とともにヴィクターが姿を現した。
一糸乱れぬ高級な文官服。その顔には、感情の読めない冷淡な笑みが張り付いている。
「だが、感心しませんね。正規の手続きを経ず、歴史的建造物を独断で破壊するとは。これは明らかな、不法な武力行使です」
「……罠を張ったのはお前か、ヴィクター」
「人聞きの悪い。私はただ、不審者が侵入した際の防衛機構を設置しただけですよ」
ヴィクターは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「表の会議で手駒を一つ失いましたが、まさかあなたが自ら尻尾を出してくれるとは。これで、あなたを糾弾する正当な口実ができました」
彼の狙いは最初からこれだったのだ。
私が表で反撃に出ることを読み切り、裏の工作部隊を炙り出す。
そして、私が仲間を見捨てられない性格であることを利用し、強引な魔術行使を引き出した。
「……退くぞ」
私はジンに視線で合図を送り、カイと家族を抱え上げた。
ヴィクターは追ってくる様子もなく、ただ冷ややかに私たちの撤退を見送っていた。
◆ーーーー◆
王都の地下にある隠れ家。
カビの匂いが漂う薄暗い部屋で、私は血に染まった自分の両手を見つめていた。
ベッドに横たわるカイは、高熱にうなされている。
呪いの侵食が深く、私の治癒魔術でも命を繋ぎ止めるのが精一杯だった。
「……あんたの計画を、俺が……」
うわ言のように繰り返すカイの言葉が、私の胸を鋭く抉る。
一瞬、指先が止まった。私は何も言い返さず、ただ彼の額に冷たい布を当て直した。
ジンが部屋の隅で腕を組み、無言で壁に寄りかかっている。
彼の表情もまた、暗く沈んでいた。
隣の部屋では、救出されたクラウスの家族が毛布に包まっていた。
だが、彼らは極度の恐怖と衰弱により、まともに会話ができる状態ではない。
これでは、クラウスに家族は無事だと伝えても、証言台に立たせることは不可能だ。
毒殺計画の実行犯を寝返らせるという私の目論見は、完全に頓挫した。
表舞台での勝利は、ヴィクターの手によって無価値なものにされた。
不法な武力行使という新たな罪状が、私の首に巻きつこうとしている。
頼みの綱だった情報網はカイの負傷により機能不全に陥り、証言者も得られない。
冷たい夜気が、石壁を抜けて私の肌を粟立たせる。
タイムリミットは、もう目の前まで迫っている。
私はただ、静かに響くカイの荒い呼吸音を聞きながら、暗闇の中で立ち尽くすことしかできなかった。




