第11話
国王毒殺計画。この最悪の盤面を、どうひっくり返してやろうか。私の胸の奥で、冷たい闘志が静かに燃え上がっていた。
翌朝、その闘志は冷や水によって急速に鎮火させられることになった。
執務室の扉が乱暴に開き、ノアが雪崩れ込んできた。
彼の腕には、自分の背丈ほどもある書類の束が抱えられている。
「団長……! 大変です、財務省から急ぎの通達が来ました」
丸眼鏡の奥で、ノアの目が怯えたように泳いでいる。
私はペンを置き、彼が机に雪崩れ落とした書類の束に視線を向けた。
「落ち着け。何があった」
「今期の魔術師団の特別予算が、すべて凍結されました。機材の更新費用も、消耗品の購入枠もです」
ノアはたどたどしい敬語で言いながら、一枚の公文書を差し出した。
そこには、辺境警備の予算見直しという名目で、魔術師団への資金供給を一時的に停止する旨が記されていた。
署名欄には、財務卿のサインがある。だが、その背後にいるのは間違いなくグスタフだ。
「……合法的な嫌がらせというわけか」
私は眼鏡のフレームに指を添え、冷たい溜息を吐いた。
毒殺計画をジンから聞き出した直後の、このタイミング。
敵は裏で暗殺や毒殺といった強硬手段を進めながら、表舞台でも確実に私の手足を縛りにきている。
「第二王女殿下を通じて、王室会議に抗議を上げることはできないでしょうか」
ノアがすがるような目で私を見る。
私は首を横に振った。
「無理だ。セリア殿下は私たちにとって強力な後ろ盾だが、まだ表立って宰相派と全面衝突できるほどの政治的基盤はない」
彼女を救出し、信頼を得たことで、情報網は確かに強化された。
だが、予算の凍結という正攻法の政治圧力に対しては、王女の権威だけですぐに覆せるものではない。
魔術の力で敵を吹き飛ばすことは簡単だ。
しかし、それでは前世と同じように反逆者の烙印を押されるだけだ。
「ノア、君には苦労をかけるが、既存の予算内でやり繰りするしかない。各部隊への物資配分を再計算してくれ」
「は、はい。僕がなんとかします……!」
ノアは書類の束を抱え直し、小走りで執務室を出て行った。
扉が閉まると同時に、胃の奥が鉛のように重くなるのを感じた。
前世で私を絡め取った、あの息苦しい政治の泥仕合。
どれほど強大な魔力を持っていようと、書類一枚で身動きが取れなくなる。その無力感が、じわじわと足元から這い上がってくるようだった。
◆ーーーー◆
夜の帳が下りた執務室に、二つの影が音もなく現れた。
一人は黒い外套を纏ったジン。もう一人は、闇に溶け込むような装束の隠密魔術師カイだ。
「調べはついたか」
私が問うと、カイが一歩前に出た。
「はい。ジンから得た情報をもとに、毒殺の実行犯として選ばれた人物を特定しました。国王陛下付きの、初老の侍従です」
「なぜその男が選ばれた?」
「彼の妻と娘が、宰相派に拉致されています。人質を取られ、錬金術師から受け取った毒を陛下の食事に混ぜるよう脅されているようです」
カイの報告に、私は眉をひそめた。
グスタフのやり口は、どこまでも陰湿で容赦がない。
自らの手を汚さず、弱者を脅迫して王を殺させる。
「侍従を寝返らせることはできるか?」
「難しいでしょうね」
ジンが飄々とした口調で肩をすくめた。
「家族の命が懸かってるんだ。俺たちがあんたの味方になれって言ったところで、首を縦に振るわけがねえ。裏切れば、即座に家族が消されるんだからな」
彼の言う通りだ。
証拠を集めるためには、実行犯である侍従をこちら側に引き込み、グスタフの指示であったという証言を得る必要がある。
そのためには、まず人質を無傷で救出しなければならない。
「カイ、ジン。君たち二人に命じる。侍従の家族が監禁されている場所を特定し、救出経路を確保しろ」
「了解しました。私の隠密魔術と、ジンの情報網を合わせれば、場所の特定は容易いはずです」
カイが静かに頷く。
ジンも口角を上げ、軽い足取りで窓枠に飛び乗った。
「任せな、雇い主殿。プロの仕事を見せてやるよ」
二人の姿が、夜の闇へと溶けていく。
優秀な手駒を得たことで、私の手札は確実に増えている。
彼らが家族を救出すれば、侍従はこちらに寝返る。そうすれば、毒殺計画を未然に防ぎつつ、グスタフを追い詰める決定的な証拠が手に入る。
盤面は、まだ私に有利なはずだった。
◆ーーーー◆
翌日の深夜。
執務室の空気が微かに揺らぎ、カイとジンが姿を現した。
だが、二人の表情は昨日とは打って変わって険しかった。
「どうした。場所は特定できたのか」
私が尋ねると、カイが重々しい口調で口を開いた。
「場所は、王都郊外にある廃修道院です。ですが……手が出せません」
「手が出せない?」
私は怪訝に思い、ジンの顔を見た。
彼は忌々しそうに舌打ちをし、黒い外套の襟を乱暴に引っ張った。
「宰相の側近が直々に指揮を執ってやがるんだ。修道院の周囲には、何重もの禁忌魔術の結界が張られてる」
「禁忌魔術だと……」
「ええ」
カイが頷く。
「私の環境偽装でも誤魔化せないほどの、異常な高密度感知結界です。少しでも魔力の乱れが生じれば、即座に内部に伝わります」
それはつまり、隠密魔術による潜入が不可能であることを意味していた。
「結界に触れた瞬間、中にいる見張りが人質を殺す手筈になっているんでしょう。強行突破すれば、俺たちもタダじゃ済まねえし、何より家族の命はない」
ジンの言葉に、執務室は重い沈黙に包まれた。
私は机の上で両手を組み、思考を巡らせる。
圧倒的な魔力を行使して、結界ごと修道院を吹き飛ばすことは可能だ。
だが、それでは中にいる人質も命を落とす。
家族が死ねば、侍従は絶望し、毒殺を実行するか自害するだろう。
どちらに転んでも、グスタフの罪を証明する道は絶たれる。
「……結界の解除はできないのか」
「外部からの干渉を一切受け付けない構造になっています。術者を倒すか、内部から破壊するしかありません」
カイの答えは、絶望的なものだった。
予算凍結によって表の動きを封じられ、裏の工作も強固な結界によって阻まれる。
グスタフは、私が証拠を集めて反撃に出る可能性を完全に潰しにきている。
彼の冷酷な知略が、真綿で首を絞めるように私の選択肢を奪っていく。
「団長、どうしますか」
カイの問いかけに、私はすぐには答えられなかった。
窓の外では、冷たい風が木々の枝を揺らしている。
前世で断頭台に引きずり出された時の、あの無力感が蘇る。
どれほど足掻いても、権力という見えない壁に阻まれ、大切なものを守れない。
「……少し、考えさせてくれ」
絞り出すように言った私の声は、ひどく掠れていた。
ジンとカイは何も言わず、ただ静かに一礼して姿を消した。
一人残された執務室で、私は暗い窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
タイムリミットは刻一刻と迫っている。
侍従が毒を受け取り、決行の日を迎えるまでに、あの強固な結界を破り、家族を救出しなければならない。
だが、その方法は今の私には見つかっていなかった。
静かな不安が、冷たい夜気とともに胸の奥へと染み込んでいく。
私はただ、無力な自分の両手を見つめることしかできなかった。




