天才学者の観察と、甘い放課後(?)
「ちょっとルチア! どこを触っているのですか! いい加減にしなさいっ!」
エリスの怒声が狭い室内に響き渡る。彼女は僕の前に割り込むと、両腕を大きく広げて僕を庇うように立ち塞がった。
「固い……! 想像以上の密度……! 骨格も筋肉の付き方も、私たちの解剖学の常識を遥かに超えているわ……!」
当のルチアと呼ばれた少女は、エリスの制止など耳に入っていない様子だった。白衣のポケットからノートとペンを取り出し、メガネのブリッジをクイッと押し上げながら、鼻息荒く猛烈な勢いでメモを走り書きしている。
「ルチア、あなた……! ヒロさんは神聖な『伝説の存在』なのですよ!? そんな不躾に触れて良い方ではありません!」
「神聖だからこそ科学的な記録を残す必要があるんじゃない! ええい邪魔よエリス、ちょっと退いて! 私はもっと近くで彼の声帯の振動を測定したいの!」
「だ、ダメです! ヒロさんにこれ以上近づくことは許可しません!」
押し問答を繰り広げる二人。だけど、ルチアの素早い手つきから逃れるのは容易ではないらしく、彼女はエリスの脇からすり抜けるようにして、再び僕に顔を近づけてきた。
「ねえ、ヒロ……って言うのね? 体調はどう? 頭痛や目まいは? 異世界転移による次元酔いの症状はある?」
「あ、いや……頭はちょっと痛かったけど、エリスが淹れてくれたハーブティーを飲んだら落ち着いたよ」
僕が答えると、ルチアはピクッと眉を動かし、メガネの奥の琥珀色の瞳を大きく見開いた。
「声……! 低くて、胸の奥に直接響くような独特の周波数……っ! はぁぁ……これが『男の子の声』……なんだか耳の奥が熱くなってくるわね……」
「ル、ルチア……!? 顔が赤くなっていますよ!」
エリスの指摘通り、先ほどまで冷静な学者肌だったルチアの頬は、あっという間に朱に染まっていった。彼女は自分の胸に手を当て、速くなる鼓動を確かめるように深呼吸をしている。
「おかしいわね……脈拍が120を超えている……。未知のフェロモンによる影響……? いえ、ただの生理現象とは思いえない胸のときめきが……」
ルチアは混乱したように頭を振ると、視線を僕の顔に戻した。好奇心と、少女特有の照れくささが入り混じった、なんともいえない甘い表情だ。
「……ヒロ。あなた、私のおやしき……じゃなくて、研究室に来ない? もっと詳しくあなたのことを調べさせてほしいの。もちろん、嫌なことはしないわ。美味しいお菓子も用意するし、私の特別なコレクションも見せてあげる」
「ちょっとルチア! 露骨な誘惑はやめなさい! ヒロさんは私の保護下にいるのです!」
「エリスこそ、自分一人でヒロを独占しようとして狡いわ。騎士団の職権乱用じゃない?」
「ど、独占だなんてそんな……っ! 私はただ、安全のために……!」
顔を真っ赤にして反論するエリスと、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべるルチア。二人の美少女に板挟みにされ、僕は苦笑いするしかなかった。
「あのさ、二人とも……」
僕が声をかけると、二人はピタリと動きを止め、緊張した面持ちで僕を見つめてきた。
「二人とも僕のことを心配してくれてありがとう。でも、いきなり色々と起きすぎて、少し頭を整理したいんだ。だから、喧嘩はやめてくれないかな?」
僕がそう言って優しく微笑むと、効果は劇的だった。
「「〜〜〜〜っ!?」」
二人は同時に両手で顔を覆い、言葉を失った。
「微笑んだ……! 男の人が、私に向かって優しく笑いかけてくれた……!」(エリス)
「だ、ダメ……心拍数が測定不能レベルまで跳ね上がったわ……これが『男』の破壊力……!」(ルチア)
二人が赤面して悶絶していると、部屋の窓の外から、甲冑の擦れ合う重厚な音が近づいてくるのが聞こえた。
「――エリス・フォンドネル! ルチア・ヴァレンシュタイン! 中にいるのは分かっているぞ!」
凛とした、しかし重厚で威厳のある女性の声が外から響き渡る。
「この気配……まさか、騎士団長様!?」
エリスがハッと息を呑んだ。
「街での騒ぎを聞きつけてやってきたみたいね……。ふふ、面倒なことになってきたわ」
ルチアが苦笑いを浮かべる。
扉の外には、この国の治安を束ねる最高責任者――騎士団長が控えているようだった。僕という『男』の存在が、いよいよ国全体を動かす大きな波紋となり始めていた。
「ヒロさん……大丈夫です。私が必ず、あなたをお守りしますから」
エリスは不安そうな表情を一瞬見せたものの、すぐに強い意志を宿した瞳で僕を見つめ、そっと僕の手を握りしめた。その温もりが、これからの波乱を予感させつつも、どこか心地よく僕の心を包み込んでいた。




