至高の存在と不器用な距離感
「いいですか、絶対に私の後ろから離れないでくださいね……!」
街に入ってからというもの、エリスは終始落ち着かない様子で、何度も振り返っては僕の顔を確認していた。
彼女が着ている甲冑の隙間から覗く首筋は、依然としてほんのりと赤みを帯びている。僕と視線が合うたびに肩を跳ねさせ、大慌てで前を向き直す姿は、先ほど巨大なモンスターを一撃で仕留めた剣士と同一人物とはとても思えなかった。
それにしても、街の状況は異常だった。
石畳の綺麗な街路を行き交う人々は、見渡す限り全員が女性、いや、少女や若い女性ばかりだ。果物屋の店主も、馬車を操る御者も、談笑しながら歩く女学生の集団も。どこを見ても、僕以外の『男』の姿は存在しない。
(本当に、僕しか男がいないんだ……)
呆然と街並みを眺めながら歩いていると、すれ違う人々の視線が次々と僕に集まり始めた。
「ねえ、見て……あのエリス様の後ろにいる人……」
「なにあれ、すごく背が高くて……それに胸の膨らみが全くない……?」
「嘘でしょ……? まさか、あの姿って童話に出てくる……」
「『男』……? 本当に実在するの……!?」
ざわめきは波紋のように一瞬で通り全体へと広がっていった。
人々は立ち止まり、口元を両手で覆いながら、信じられないものを見る目で僕を凝視している。中には、あまりの衝撃に手に持っていたリンゴを地面に落としてしまう店主や、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう少女までいた。
「ひっ……! 視線が集まりすぎています……! 早く私の家へ行きましょう!」
エリスは焦った様子で僕の手首をキュッと掴んだ。
「あ……」
触れ合った瞬間、バチッと電撃が走ったかのようにエリスは体を震わせた。彼女の手は小さく、そして驚くほど熱い。
「ご、ごめんなさい! 軽々しく触れてしまって……! 神話の存在であるあなたに、私のような者が触れるなんて滅相もないのに……!」
「いや、全然気にしてないよ。むしろ助けてくれて感謝してるくらいだし」
「〜〜〜っ! そ、そんなに優しく微笑まないでください……胸が、はちきれそうになります……っ!」
エリスは真っ赤になった顔を両手で隠しながら、走るような早足で僕を引っ張っていった。
辿り着いたのは、街の静かな一角に建つ控えめな邸宅だった。エリスは騎士団に所属しているらしく、ここは彼女の個人宿舎のような場所らしい。
部屋に入り、扉をしっかりと施錠すると、エリスは大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。
「ふぅ……これでひとまず安心です。お部屋は狭いですが、どうぞくつろいでください」
「ありがとう、エリス。助かったよ」
僕が近くの椅子に腰を下ろすと、エリスは恐る恐るお茶のカップをテーブルに置いた。手がわずかに震えていて、カチャカチャと小さな音が鳴っている。
「あの……お口に合うか分かりませんが、ハーブティーです……」
「いただきます」
一口飲むと、爽やかな香りと優しい甘みが口いっぱいに広がった。長時間の緊張と混乱で疲れていた体が、すっと解きほぐされていくのが分かる。
「すごく美味しいよ。落ち着く味だ」
「ホ、ホントですか……!? 良かった……!」
僕が素直な感想を伝えると、エリスはぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。しかし、すぐに自分の立ち振る舞いを正すように、コホンと咳払いをして背筋を伸ばした。
「……改めまして、自己紹介をさせていただきます。私はこの国の聖騎士団に所属しております、エリス・フォンドネルと申します。あなたの……お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「僕はヒロ。普通の高校生……だったんだけどね」
「ヒロ様……とお呼びしても?」
「様なんて付けなくていいよ。『ヒロ』で十分だから」
「そんな! 伝説の『男』であるヒロ様に呼び捨てなんて無理です!……じゃあ、せめて『ヒロさん』とお呼びさせてください……!」
上目遣いで僕の反応を伺うエリス。その瞳は藍色に輝いていて、吸い込まれそうなほど綺麗だった。
「うん、それでいいよ。よろしくね、エリス」
「はいっ……! ヒロさん……!」
嬉しそうに名前を呼んだエリスだったが、ふと真面目な表情に戻り、真剣な眼差しで僕を見つめた。
「ヒロさん。先ほども言いましたが、この世界には女性しか存在しません。数千年前に男という存在が消滅して以来、私たちは魔法技術と『聖樹の雫』によって命を繋いできました」
「命を……繋ぐ?」
「はい。ですが、本来の自然な姿である『男と女』という関係は、私たちにとって神話や物語の中だけの憧れだったのです。ですから……ヒロさんがこの世界に現れたということは、世界中のすべての女性にとって、天から与えられた奇跡そのものなのです」
エリスの言葉には、強い熱量が籠もっていた。
彼女はゆっくりと僕に近づき、椅子の前にひざまずいた。そして、僕の手をそっと両手で包み込む。
「私には分かりません。なぜヒロさんがこの世界に来たのか、どうすれば元の世界に戻れるのか……。ですが、私エリス・フォンドネルは、この命に代えてもあなたをお守りすることを誓います」
「エリス……」
「だから……どうか、私を側にいさせてください」
顔を上げたエリスの頬は赤く染まっていたが、その瞳には強い決意と、隠しきれない甘い感情が宿っていた。僕の手を握る彼女の指先から、トクトクと速い鼓動が伝わってくる。
「……ありがとう。頼りにしてるよ、エリス」
僕がそう答えると、エリスは感極まったように瞳を潤ませ、ギュッと僕の手を抱きしめた。
その時だった。
バンッ――!!
「エリス!! 街で『男』が発見されたって噂は本当なの……っ!?」
部屋の扉が豪快に開かれ、一人の少女が飛び込んできた。
短い金の髪に、白い研究着を羽織った少女。彼女は僕とエリスが手を握り合っている光景を目にするやいなや、固まった。
「……え? あ、嘘……本当に……胸がない……声の骨格が……!?」
メガネの奥の瞳を輝かせ、彼女は獲物を見つけた肉食動物のような素早さで僕へと詰め寄ってきた。
「ちょっとルチア!? 乱暴に入ってこないでくださいって言ったでしょう!」
「静かにしてエリス! これは歴史的……いいえ、人類史上最大の発見よ! ちょっと触らせて! 筋肉の構造はどうなってるの!? 骨盤の形は!?」
「きゃっ!? どこ触ってるのよ、この変態学者! ヒロさんに触らないで!」
「固い……! これが『男』の身体……なんて素晴らしいの……っ!」
突如現れた天才学者・ルチアの猛アタックと、それを必死に阻止しようとするエリス。二人の美少女に揉みくちゃにされながら、僕の波乱に満ちた異世界生活は、早くも加速していくのだった。




