第二話 格好つけの彼が隠す幼少期ー鉄也だけが知る唯と渚の出来レースー
「おい、いたぞ」
「烏森の公園。ベンチで横になっている」
とぎれとぎれのトランシーバーの声を聞いて、懐中電灯を持った大人たちが一斉に公園の方へと向かい出した。
神社の本殿の後背にある公園のベンチ、そこに小さな体がTシャツと半ズボンで、すやすやと眠っていた。
これは郭公鉄也が十歳の時の話だ。
「見つけてくれたのは、同じ年ぐらいの黒髪ロングの少女だ。何気なく買い物の帰りに公園を横切っていると、そこに誰かいることを母親に知らせた。衣服と背丈寸尺、それが自治体の防災無線を使った尋ね人情報で探していた少年とわかり、その母親が役所に連絡をくれたんだ」
「聞けばこの近所にある祖父母の家に歩いて来たんだとさあ、用賀の家から」
「用賀って、世田谷の用賀か?」
「そうだ」
「おいおい、子供の足で用賀から歩きでここまで来たのか?」
「田園都市線と小田急江ノ島線を目安に歩いて来たんだってよ」
四五人が輪になって、駆けつけた警官の横で話し込んでいた。その横を保護されて抱きかかえられた子供が警察車両に乗せられていく。
町内会長さんが、事細かに彼から聞き出した情報で鉄也の保護者との連絡を試みたが、あいにく留守のようだ。何度かけても電話には出なかった。
そこで事情を知ったさっきの人たちが、彼に祖父の名前を訊ねる。そこで覚えのある名前に町内会長さんが彼の発見された公園の近所に住む祖父のもとを訪ねた。
知らせを受けると素早くその祖父母は、彼のいる待合所まで赴き、彼本人の引き取りを果たした。
鉄也と鶺鴒唯が顔見知りになったのはこの時だった。鉄也の両親の家から三十キロも離れた海辺の都市で、緑豊かな街だった。彼は両親にいわれのないことで疑われ、決めつけられ、責められたことに心傷つき、祖父母の住む藤沢の町まで東京の世田谷から歩いて向かったのだ。そして体力、力尽きたのがこの公園だった。
住所でいえば藤沢市鵠沼の一画の地域だ。鵠沼を名乗る地域は結構縦に細長い。鵠沼海岸の浜辺から引地川沿いに山側にさかのぼる鵠沼神明という住所あたりまで伸びている。そこまで三、四キロ、陸に上がる。地元では『山側』と呼ばれる地域だ。東海道線を境にこの町では海側と山側という名称でくくられる。
結局、夏休み明けの九月、二学期から彼は世田谷の家から祖父母の家のある藤沢に両親から離れて転居することになった。不憫に思った祖父母が引き取ったのだ。そして学校もその近くの学校へと転校することになった。彼は心に愛情と不信感を同時に抱え込んで、この後の青春時代を送ることになる。
祖父母のやさしさに報いるために、鉄也は勉学だけは怠らなかった。でも必死にというわけではなく、自分のペースで淡々と続けていると結果が付いてきた感じだ。おかげで学校からは大学推薦の話を多数もらっていた。一般試験でも合格するだけの実力は数々の模試の結果が証明している。そんな穏やかで勤勉な性格がこの頃の鉄也には宿っていた。
「唯!」
彼とあの日迷子の彼を発見した黒髪ロングの少女の唯とはご近所さんとなり、中学を経て近隣の高校にともに進学していた。二人は小中高と一緒に過ごして、すでに高三の夏休み前だ。
彼が竹垣の扉を開けて、勝手口から通りに出ると、ちょうどセーラー服姿の唯も登校の時間だった。彼のYシャツには校章がプリントされている。
「鉄也、あんた今日は早いじゃないの。弓道部に朝練なんてあったかな?」と唯。フルートの入ったケースを片手に軽い会話を始める。
「なんかさ、渚に呼び出されてるんだ」
『渚』という名前に唯の眉がピクリと動く。最近鉄也にやたらと接近してくるクラスメートだ。しかも同じ弓道部。唯の立場からすれば、なのだが、渚が鉄也に色目を使っているようにも見える。
渚はマドンナ、かつ学校一のお嬢様で、アオサギグループのご令嬢。やがては養子をもらって莫大な資産を受け継ぎ管理する立場になる人物。成績優秀、ウェーブ髪の容姿端麗な全校生徒のあこがれの的として存在している。
その完璧女子の渚がやけに仲良いとなると少々気がかりな唯だった。
「最近、ずいぶんと仲いいのね」と唯のとげのある言葉を放つ。
こっちはこっちで重そうに弓と矢筒を担ぎながらの大荷物。
鉄也は、
「ははは、焼いているの? 大丈夫、俺は唯ひとすじだから」とあっけらかんと笑う。そしてそのまま速足で駅までの道を消えていった。
唯は「あいつ、あの言葉。どこまで本気だか疑問なんだよね。あたしは本気だぞ」とため息交じり。
二人は特に告白したわけではないのだが、もうほぼ学校の級友たちの間では公認のカップルのような感じだ。
ところが相変わらず鉄也は、両親と祖父母という二つの家族との関係で心の内側、内面のどこかにいびつな感情を持ち続けていた。だから変な家庭環境の持ち主と言うひけめもあって、彼女との告白にまで至っていないのかもしれない。それは両親に捨てられたという無念な思いと行き場のない自分を拾ってくれた祖父母の優しさである。その感情をすべて知っているただ一人の人物が唯だった。彼が唯一大泣きをしたことがあるのは、唯の前でだけだった。あの公園のベンチであの夜に、彼女の膝に泣き崩れた。そんな一連のいびつな感情が青春時代の恋愛と混ざり合って、彼独特の脳内カオスを生み出していた。
幼児体験とはいえ、そのことを唯のほうも心には秘めてはいるが、彼の苦労心労を忘れたことはない。そして他言したこともない。だからこちらも迂闊に告白へとは、行くに行けない理由があった。きっと『唯ひとすじ』という言い訳めいた言葉にも、彼のその言葉の後ろにはこの幼少期の一連の出来事が隠れているはずだと考えるのは、彼女にとって容易いことだった。
昼休みの食事の後、唯が弓道場の前を横切ると、鉄也と渚が部室前の縁台でなにやら話している。
「何を話しているのかしら?」
今朝のこともあって少々気になる彼女。唯は身を隠して、建物の陰から二人の会話に聞き耳を立てる。南側に面した日向の通路だ。
「ごめん朝も話したけど……」と話を切り出す渚。どうやら朝の会話の続きらしい。登校前の時間では終わらなかったようだ。
「ねえ、こんなになんでも話せるほどの仲なのにどうして私を彼女にしてくれないのよ」
ねだるような渚の声色。普段女子同士では聞いたこともない様な甘い声だ。勿論、唯のはらわたが煮えくり返っているのは言うまでもない。唯の秘めたこの場の思いを代弁してやるなら「私ですら遠慮して告白を躊躇しているのに、何をこの女はいけしゃあしゃあと告っているのよ」という感じだろうか。
「君が俺と何でも話せるって?」と笑う鉄也。
「じゃあ俺の好きなもの知っている?」
「食べ物?」
「いや、違うかな」
「趣味?」
「まあ、そうかな」
「弓じゃないの?」
「それは部活であって好きなものじゃない」
「じゃあ、なによ」と少し煙たい顔の渚。
「フルートの音色」と笑顔の鉄也。渚の顔色などお構いなしの返答だ。
そこで初めて気づいたように渚はハッとする。
「唯ちゃんのことね。彼女、ブラスバンドでフルート奏者よね。確かに鉄也とも仲いいわよね、彼女とは幼馴染なんでしょう」
渚の言葉は悪意を感じる。その言い方には『ただの幼馴染でしょ。幼馴染なんて恋愛には発展しないわよ』という意味が隠れているような表現だ。
「青鷺渚、至急職員室まで。青鷺渚、至急職員室の山田のところに来なさい」という急な校内放送で呼び出しのかかる渚。
「もう、何よ。いいところなのに。じゃあ、この話は放課後にでもまた」といって恨めしそうに放送用スピーカーを睨みつけた。そして渚は重たそうに腰を上げると職員室のあるB棟に向かって行く。ここから職員室は校舎を二つ跨ぐので結構時間がかかる。けだるそうに渚は薄暗い廊下に消えていった。
渚が去ったのを確認すると、お見通しな声を出す鉄也。
「もう出てきたら、唯。かくれんぼは終わりだ」と笑う彼。
「体は校舎の陰で死角かも知れないけど、南向きにいたらお日さまの光が唯の影を作っているよ」
舌を出しながら「ばれてたのか」と笑って唯が姿を見せた。
彼はいままで渚が座っていた縁台に手を当てて、ポンポンと叩く。
そして「座れば」と言う。
「知らんふりして通り過ぎようかと思ったけど、私の名前が聞こえたから思わず立ち止まっちゃったわ」
唯の言葉に「そうだよなあ」といつも通りだ。いやさっきの渚との会話よりも唯との会話の方が気軽に、そしてナチュラルに流れる彼である。
「よく影だけで私だってわかったのね」と唯。
唯の言葉に「何年の付き合いだと思っているのさ。お前さん独特のセーラー服のリボンの結び方、みんなより二重結びで太くなって膨らんでいるのと、スカートの丈が中途半端な長さなんだよ。そのシルエットだけでヒントは十分。影だけでも唯ってわかるんだ」と笑う。
「そうだったのか。よく見ているのね、鉄也は。リボンは戦前から続くこの学校の伝統結びなの。卒業生でもあるうちのお母さんから教わったのよ。バブル前まではこれが正式な結び方だったって。『校則検討委員会』の出来る前の時代の話ね。それにスカートの丈は私のが本来の校則規定通りの長さで、みんなが違反しているのよ」と少し得意げに言う唯。
「古風で真面目だね、さすが唯だ」と笑う彼。その言葉の軽さがまた彼女の不安をあおる。
「馬鹿にしてるでしょう? ダサいとか思って」と唯が言うと、
「ううん。愛着を感じる」と返す鉄也。
しかめつらの渋い表情で「微妙」と小首を傾げる唯。女性としての魅力と思えるような誉め言葉が彼の台詞の中に見当たらないのだ。
「古風な女はダメかしら? 美人でもないしね、私」と角口の唯。
「いや、古風な女が好きだと思うよ、俺。ちなみに顔もタイプだ。俺好み」と笑う彼。
その言葉を聞いて安心したのか、唯は彼に軽くほほ笑むと投げキッスをして立ち上がる。
「それを聞いて安心したわ。私も行くわね」と唯。その足はなぜかスキップである。単純と言えば、単純。この年頃にはよくある話だ。
鉄也は四、五メートル離れた場所から、思い出したように「ああ、唯」と声かける。
長い黒髪をなびかせて振り向く唯。
「なに?」
「来週に人形山車のお祭りに綿あめでも食べに行かないか?」
「夏祭り?」
「うん」
「受験勉強は?」
「ひと休み」
言い訳めいた鉄也の返事に少し含み笑いをしたあと唯は、
「いいわよ、私浴衣着ていくわ。そのまま『えのすい』※で納涼デートしようよ」と言った。
「いいね」と彼。
「約束だよ」
頷いてウインクすると唯は再び翻って歩き出した。
「俺が学年トップの成績になる前の『ててなし』の小学生のころからやさしさの手を差し伸べてくれた唯は本物の愛を見せてくれた。それなのに渚は会うたびに志望校のことや模試のことばかりを訊いてくる。そしてお金に困らない家庭の幸福を渡せると言う。これは俺に手を差し伸べているわけではない。勝手に婿候補にして重宝する優秀な人材を探してリクルートしているだけだ。なぜか俺には唯は心、渚は経済活動のように感じる。だから渚に気を許さなかったんだな。今話してわかったけど、唯は唯一信じられる温かな異性と言えるのかもしれない」
彼は学校からの帰り道に、人形山車で有名な鵠沼の皇大神宮さんによって花菱の社紋が付いた賽銭箱にコインを入れる。週末のお決まりの行動だ。彼が唯と初めて会った場所だからずっと感謝の意味でそうしているようだ。藤沢の市街地から二キロほど離れた住宅地にひっそりとたたずむお社。その社殿の後ろはうっそうとした森と公園なのである。そう彼が生まれ変わったあの日の証人は唯とここに鎮座する神明さまなのだから。
了
※えのすい 新江ノ島水族館の愛称




