第一話 永谷家が迎える阿佐ヶ谷の朝-つばめが貰った微笑みー
ミニ文芸を掌編小説でという思想のもとで拙い作者が描く、日常風景と温もり、その世界の第二弾です。
中央線の快速電車がガードの上をけたたましく走り抜ける夕暮れ前。永谷つばめは母のいる病院に向かっていた。ここ最近、いつもの通い道だ。両手には紙袋いっぱいの荷物。ほぼ洗濯物である。若い女性なのに、お洒落の暇もなく、着回しのしわのついたスカートに、髪もぼさぼさだ。
「おう、お茶漬け!」
声をかけてきたのは幼馴染の指場勘太だ。ちょうどパールロード商店街の終わり、駅前広場とガード下の飲食街の入り口に差し掛かったあたり、ハンバーガーショップの前だ。「ながたに」という彼女の苗字からずっとそう呼んでいる。小学校のころからだ。
「コノバカタレ」と小さくつぶやくつばめ。
「どこ行くんだよ?」
ジーンズにラフなTシャツ姿に頭の後ろで手を組んでついてくる勘太。
「お母さんのところ」
面倒くさそうにあしらうつばめ。昨日の手術が終わってすぐなのだ。ナーバスな状態で病院に向かっているので、心に余裕がない。
「おばさん、家にいないのかよ」
どう見ても暇つぶしのような姿勢だ。
「そうよ、入院しているのよ。だからついて来るな、って」
二人の会話言葉には幼馴染特有の気のおけない距離が感じ取れる。
「どっか悪いのか?」
「あんたの頭よりは良いわよ」と尖るつばめに、
「そりゃそうだ。俺の頭より悪い奴なんてこの世にいるもんか」とへらへらする勘太。
「で、どこの病院?」と全く彼女の攻撃に臆することもない勘太。平然と会話を続ける。
「見りゃわかるでしょ、その先の病院よ」
「そっか」と言ってから、勘太は突然目の前から消えた。
つばめは余計なものがいなくなって一安心だ。堂々と病院のエントランスに入っていった。
三階の廊下、母親の病室の前で看護師たちがオシロセットの台車やら点滴スタンドを押して入っていく。
びっくりした彼女は急ぎ足で母親の病室まで足早に歩く。部屋の前まで来て、いつもの担当看護師が、つばめのもとに歩み寄って来た。
「永谷さん、お母さんの具合が急変してね、ちょっと緊急処置を行っているの。この部屋の前の廊下の長椅子で少し待っていてね。術後にはたまにあることだから。本当に悪化したら呼ぶからね」と心配そうな表情を無理に拭った笑みで伝える。
「はい」
弱弱しい笑顔を向けると看護師はつばめの母親の部屋に入る。
こういうときは孤独との戦いである。ただ爪を噛んで時計の秒針が脈打つように響くのを聞くだけだ。
すると突然、彼女の肩に優しく手を置いた人物がいた。
慌てて振り返ると、さっき帰ったと思っていた筈の勘太が中腰でつばめを覗いていた。そして反対の手で目の前に差し出されたお守りがブラブラと空調機の風に揺れている。
「あんた、帰ったんじゃないの?」
「神明さまに行ってお守りもらってきた。ギリギリ間に合った。もちろん本殿も拝んできたさ。お賽銭、初めてお札入れて拝んできたよ」と穏やかな微笑みを見せる。こんな真面目な勘太を見るのは数年ぶりだ。いつも悪態ばかりついては絡んでくる馬鹿な幼馴染。その彼が真面目なのだ。
「ありがとう」とぼそっとお礼を言うつばめ。
「横いいか?」という彼に、「うん」と頷くつばめ。
長椅子の隅っこに腰を下ろした勘太は、ひと呼吸おいてから言葉を発した。
「学校の臨海学校で三浦の海に行っただろう」
「うん、あったね」と小さく頷く。
つばめは『なんで今思い出話?』とも思ったが黙って聞くことにした。
「一日目のお昼はお弁当。うちは母親出て行ってすぐでさ、パンでも買って持っていこうと思っていたの。それで前日の夜に商店街のスーパーマーケットにいったんだ。ばったりお前の母さんにあってな、しかも突然話しかけてきた。翌日のお弁当を買いに来たっていったら、おばさんは『明日の朝、お弁当届けてあげるから買わなくていいよ』っていうんだ。それから部活の遠征や遠足でもちょくちょく作ってくれてさ」と優しい目で遠くを見ながら話す勘太。
つばめは受け取ったお守りの袋をぎゅっと握りしめながら頷く。
「それで私のお弁当とたまにおかずがかぶっていたんだね。冷やかされたよね、愛妻弁当とか言って」
「あの時は迷惑かけてすまなかったな」と頭をかく勘太。
「いいわよ。過ぎてみればいい思い出よ。あの頃は恥ずかしさもあって、結構嫌だったけどね」と笑うつばめ。
それから勘太はつばめの母親への感謝の気持ちを延々と述べていた。
気が付けば時計の針は明け方の時間を指している。ずいぶんと話し込んだのだろう。廊下の窓には薄紫の空が見える。
「だからさ、おばさんには長生きしてほしい。もうすぐ社会人で、あの時のお礼もしたかったんだ。お礼している間もお前に会えるしな」と優しく微笑む勘太。
「ほんと、あんたって馬鹿正直で、律儀よね。でもお母さんのこと大切に思ってくれてありがとう」とつばめの憔悴しきった目に少しだけ笑みも戻る。
そこで母親の病室の部屋の扉が開く。さっきの担当看護師が顔を出し、「永谷さん。もう大丈夫よ。数値も平常値で衰弱している以外は普通の状態よ。あとは点滴とお食事で栄養を取ればいつも通りに戻るわよ」と安堵の顔をつばめに見せる。そして医師たちと一緒に荷物を押しながら病室を離れていった。
「ありがとうございます」とお辞儀のつばめ。このお辞儀が一生分の感謝であるのは間違いない。
「一件落着か、帰って寝るか」と伸びをする勘太。
彼の方を振り返ると「そうね。ありがとう」とつばめ。
勘太は「よかったな、お茶漬け」と嬉しそうに手を振って帰ろうとする。
その右手をしっかりと握って引き留めたのはつばめだ。彼女もどうしてこんな行動に出たのかは自分でもわからなかった。
「どした?」と勘太。
「神明さまのお守りのお礼に……」と言って自分で照れてしまうつばめ。
「なんかくれるの?」
「七夕祭りの日に……」
「イカ焼きおごってくれんの?」
相変わらず鈍い男なのだ。
「浴衣で一緒に腕組んで歩いてあげる」とつばめ。ついにやっとのことで言い切った感がある。頬が真っ赤である。
「えっ?」とよく理解できていない勘太。大きく目を見開てパチクリと彼女を凝視した。
「今度、今度、あんたとデートしてあげる。あくまでしてあげるのよ、わかっている? 二度まで言わせるな!」
すると彼もまた真っ赤になって、
「おう。楽しみにしてるよ」と言って帰っていく。ただ不思議な所作で、両手両足を同時に出して歩いている。江戸時代のナンバ歩きである。カチコチに意識しまくりの勘太だ。
半分赤い顔で勘太は再び後ろを向く。だがその顔はにんまりしていた。
結婚するというのは、その人物が恋愛対象として好きなことはもちろんだが、自分の家族も愛してくれる人であれば、なお良いというものだ。そういう意味では母親の身を案じてくれた勘太はその理想に近い。ファッションセンスも、学力も、ルックスだって良いことにこしたことはない。
しかし他人が家族になるための条件をつばめは自ずとわかって来たのかもしれない。彼女の母もすっかり回復して半月後には家に戻ったのだった。約束通り、一か月後に仲睦まじくパールロードの『はりぼて飾り』を楽しむ二人の姿が見られた。子供じみたあの記憶から卒業して、本物の愛妻弁当の登場も現実味を帯びたつばめの今年の夏だった。
了




