生徒会と策士(2)
待ち遠しいという言葉は、ホーキング博士やアインシュタイン博士が数学や魔術の類を用いて時空を伸ばしているのではなく、心理的に時間を長く感じてしまうことだ。
もし実際に時間を引き延ばせるのであれば、人々はどうだろう。様々なことができると喜ぶ人もいるかもしれない。しかしその一方では、カップ麺に2倍3倍の時間を要すると嘆く人、授業1コマが2倍になって頭がガス欠する人、心理的には長時間労働なみの過労に陥る人。決して良いことばかりではないと思う。
ではその逆に時間が圧縮されるとどうだろう。何もできず無常にも1日が過ぎて、少し目を離した隙にカップ麺が伸びきって、授業1コマが濃密すぎて頭がオーバーヒートして、定時内に仕事が片付かず残業まみれになって。それもまた地獄だ。
まあ実際にそんなことは起こり得ないのだが、今の僕はそんな気分でいる。
なぜならもう時計は15時10分を指している。10分前に夕方のホームルームが終わって、今日の授業は終了してしまった。つまらない古文も楽しい美術も、みな圧縮されたように気づけば授業が終わっていた。いや、古文はうたた寝していたからかもしれない。
放課後になったということは、朝の校内放送のあれの時間だ。
ああ、億劫。
念のために言っておくと、僕は別に生徒会長が苦手なわけでもないし、生徒会に怨念があるわけでもない。
ただ、あからさまにトラップを仕掛けていそうな放課後イベントを、公に校内放送することで強制発動させられたのだ。幾ら何でも足どりは気分の良いものではない。しかも用件は伝えられていない点が、なおさら訝しい。
では無視するという手はあるかと問われても、それは現実的ではない。僕と生徒会長は学生にしては結構長い知り合いだし、もっとも狭い学校という敷地内で逃げ切ることなんて不可能だ。どうせ明日は直接生徒会室まで連行されるに違いない。
厄介ごとを引き延ばすのも面倒なので、とぼとぼと後ろ向きに生徒会室へと足を進める。登校時には賑やかだった教室棟ではなく、生徒会室の特別棟の踊り場を降りる。ここまで来ると、人通りもまばらで少し薄暗いから不気味だ。雰囲気すら億劫だ。
「あ、かたるんじゃん。」
その空気感を打ち破るように、後ろから声がかかった。声の主から誰かは分かったけど、振り向くといつもみている顔と少し違っていたので少し戸惑った。でも予想通りの人物だ。
「ああ、柳さん。いや、柳副会長。本日もお疲れ様でございました。」
「いや、仰々しいのはやめて。」
恨めしさも込めて恭しく労うと、真顔で返答された。普段はニックネームで呼ぶくらいのノリが良い人だけど、根は真面目な人だ。だからこういう場で不意に揶揄うと、素の返事を返されることがある。とはいえ真面目だからこそ副会長が務まるのだろう。
そんな感情の抑揚が効いた挨拶と返事のおかげで、さっき憂鬱に感じた特別棟も幾分か穏やかになった気がする。
「柳さん、今日はヘアクリップつけてるんだ。」
「うん。ちょっと前髪が邪魔になってきちゃったんだよね。似合ってる??」
真面目モードが解除されたらしく、いつも通りの茶目っぽく訊いてくる。柳さんの言うとおり、いつもは下ろして眉に掛かっている前髪が、今日は綺麗に留められていた。さっき振り向いた時の違和感は、このヘアクリップが正体だったんだ。
「すっきりして見えるから、夏っぽくて良いんじゃない。」
「ありがと。かたるんは相変わらず答えが上手いね。私を褒めてるけど、似合うとか可愛いとか言わないところ。」
「それは僕を褒めてるの?」
「そりゃあ褒めてるよ。」
褒めているようだけど、喜ぶようなものではない気がする。
例えば世渡り上手なことは対人スキルとして喜ばしいことだ。でもそれを真正面から褒められたとき、そこにはゴマすりや風見鶏といった類の含蓄や皮肉が込められているように聞こえて、本人は素直に喜べないだろう。そんな感じだ。
「それで、かたるんはアレかな。お呼び出し?」
柳さんは僕に質問に対して、褒めてるとも褒めてないとも答えるのが厳しいと思ったのか、自然な素振りで話を逸らしてきた。まあ追求しても意味はないので、僕も流れるまま逸らされることにした。
「そうだよ。あんなことされちゃった手前。」
「いや、あれはね。あの放送のあと、こっちのクラスも『山吹ってあいつだっけ?』みたいな感じでざわついていたよ。」
「まじか。」
「おもに女性陣でね。そりゃバイネームで指名が下ったわけなんだから。」
「なにやってくれてんだか。」
そうやって呆れツッコミの雑談をして廊下を歩いているうちに、お呼びの掛かった場所までたどり着いた。この中に朝の一件の張本人がいるのだろう。少し心がうな垂れる。そのせいか少し足を止めた。一呼吸置いてから教室に入ろうと思ったのだ。
けれど隣を歩く副会長は躊躇いなく扉に手をかけた。そりゃそうだ。彼女にとってはこの部屋は単なる部室に等しい場所なのだから気を払う必要はない。そのままガラガラと引き戸を開けた。
「やっほー。来たよー。」
副会長は元気良い挨拶とともに、その権限を振りかざすように堂々と入っていく。
「奈恵ちゃん。さっきぶり。」
挨拶に応えるように聞き覚えのある声がする。朝にスピーカーから流れた声と同じだ。
副会長が生徒会室へ入ってしまったので、仕方なく溜息をつきながら後続して部屋に足を踏み入れる。
中に入ると教室よりひと回り小さいくらいの部屋で下にはタイルカーペットが敷いてある。中央にはPCの置かれたワークテーブルとスタッキングチェア、端にはホワイトボードやプリンタがある。教室や部室というより小綺麗なワンルームのオフィスといった感じがする。
そしてテーブルの一角では、生徒会長が紅茶っぽいマグカップ片手にPCで何かタスクをこなしていた。生徒会長は柳さんと挨拶をしたあと、僕に目線を移して軽く微笑んでから声を発した。
「語も一緒に来たんだね。」
「そうそう。さっき廊下でかたるんを捕捉したから、ついでに連れてきたよ。ね?」
おいこら柳、「ね?」って何だ。おっと、つい心の中で呼び捨てしてしまった。柳さんの言い方にはいろいろ突っ込みたくなるけれど、それは飲み込んでスルーしつつ生徒会長に向かって回答することにした。
「校内放送で呼び出して何のつもり? 紫苑。」
「とりあえず座ったら。」
「話を逸らさない。」
「逸らすつもりなんか無いわ。普通にそこで立ち続けて話すのも変でしょう。」
僕は隣で同様に立つ柳さんをチラッと見ると、「座ろっか。」という感じで首をチェアの方向に傾げたので、提案通り座ることにした。ただ思惑通り話は流してやるつもりはない。
柳さんに追い立てられて右奥のチェアに座る。向かいには芦辺紫苑生徒会長が薄ら笑みを浮かべている。僕の左側には間に席一つ空けて柳奈恵副会長が、肘をついてニヤニヤしている。その他に生徒会の人たちはいない。
なるほど。想像していたパターンが的中したのを確信した。
「語、生徒会を手伝ってくれない?」
「やだ。」
想像通り、僕を生徒会室に呼び出したのは役員指名が目的のようだ。発足したばかりの生徒会で選挙で選ばれた2人を除いて誰もいない。そうなるとやることはメンバー募集しかないわけだ。
「別に責任重大な仕事を押し付けるわけじゃないのよ。庶務とか会計とかのつもり。奈恵だって会計なんて細かいことできないでしょう?」
「いきなり私に振ってきたね。まあ粉飾決算になる自信がある、悲しくも。」
さっきから柳さんはコロコロと表情を切り替えていて少し面白い。
「そんなの僕じゃなくても良いじゃん。」
「まあ、それだけじゃないの。」
「どういうこと?」
「気になる?」
生徒会長は目を細めてニヤついた。なんか面倒な予感がする。
「用がないなら僕はもう帰っていい?」
「良いけど、良いの?たぶん放送を聞いた学校の大勢は、語が生徒会に所属するものだと思ってるんじゃない?」
「僕を嵌めた?」
「私は呼び出しただけ。」
だからそれが嵌めたと言うんだ。新任の生徒会長がバイネームで生徒を呼び出すなんて、目的はヘッドハンティングだと思うのが自然だ。それを全校に向けて公に呼び出したのだから。きっと明日には担任や知り合いから生徒会入りしたのかと突っつかれるのは想像にたやすい。今はすでに外堀どころか内堀まで埋められた裸のお城状態だ。昨日の喫茶店の帰り際、紫苑が吐いた捨て台詞はこのことだったのか。
今日何度目かわからない溜息を再度ついた。
「諦めなって、かたるん。」
同情しているようだけど、柳さん。あなたも紫苑に加担していただろう。
「語。あなたにお願いしたいの。」
紫苑は神妙な面持ちで目線を逸らさず僕を見る。
「わかったよ。ただじいちゃんの喫茶店の手伝いもあるから毎日夜更までとはいかないよ。それでもいいなら。」
「ありがとう、語。じいさんなら私から話せば納得してくれると思うわ。」
「じいちゃんは紫苑に優しいからね。」
紫苑は安堵からか薄ら笑みを浮かべた。一方で僕は溜息しか出ない。さっきの言葉を聞く限り、紫苑は祖父も説き伏せるつもりらしく、本気で僕を役員にするつもりなのだろう。
目線を左の方へずらすと、柳さんは紫苑と比べると明らかな笑みを浮かべていた。こっちはそんな謀略を嬉々として傍観しているようだ。嵌められたというべきか、なし崩し的に引き込まれたというべきか。どちらにせよ紫苑の謀略だらけの強制イベントで生徒会入りすることになった。
紫苑は昔からそうだ。本当に学生なのかというくらい頭が切れる。中学生のときも音楽祭のクラス合唱の曲選びとかでガヤガヤしているときにサラッとまとめあげてしまう。まとめるというより言葉巧みにクラスメイトを意のままに集約していたと言うのが正しいかもしれない。よく言えば智略に長けている。悪く言えば狡猾だ。
おまけに切れ長フェイスでレイヤーボブを片耳に掛けたクールな見た目もあって、表向きにはクールな優等生キャラということになっている。本当はさっきのように意地悪な人間なのに。
そんな人間なので、紫苑は女性にモテる女性だ。バレンタインではチョコ用のバッグに抱えて帰ってくることが多い。おそらく女子校だったら、王子様ポジションを獲得していることは間違い無いと思うくらいだ。
けれどそんな紫苑も幼なじみや親しい人しかいない生徒会室では、幾分か気を抜いている。ほら、今も背中をグイっと伸ばしてからマグの紅茶もグイッと飲んでいる。根っからの王子様なら、前髪を軽く薙ぎ払ってから上品に紅茶を啜るはずだ。
そんな紫苑の様相から察するに、今日はもう終わりだろうか。柳さんも背もたれに思いっきりもたれ掛かっている。
「今日は他に用事とかある?」
「生徒会の用事はもう大丈夫よ。奈恵も特にないかしら?」
「しーちゃん、このあと話できる?」
「わかったわ。」
紫苑はそう答えてから、残りの紅茶を飲み干した。そして時計を見上げて3秒弱、思い付いたかのように小笑いしながら僕の方を向いた。
「そうそう。私も私用で語に話したいことがあるのだけど、このあと喫茶店にでも寄らない?」
空の紅茶のマグを軽く持ち上げながら言った。まだカフェイン摂るつもりなのか。




