生徒会と策士(1)
朝6時。目覚まし時計が鳴った。なんか枕元でジリジリ鳴っている。
ちょっと鬱陶しい。
......。
......。
......。
「!?」
バッと布団から飛び起きた。枕元の目覚ましは自分が止めたのか音は鳴り止んでいた。
時刻は6時45分。
いつもなら朝食を摂りつつ一息ついている頃なのに、今日は寝起きが悪かったようで二度寝してしまったらしい。幸いにもいきなりハッと気づいて飛び起きたせいか、眠気は吹っ飛んでしまった。
これはおそらく昨日のせいだ。ドアのこととか魔法のこととか寝る時にも気になって逡巡していたから、眠りにつくのが案外にも遅くなってしまった。
昨日は帰って荷物を片付けたら、真っ先にパスポートを確認した。
紺色のパスポートは昨年末に作ったものだから、諸々の条件を含めてもあと4年弱は使えるはずだ。
ぱらっと開くとミュンヘン空港のスタンプが押されていた。成田は自動ゲートだったから押印されなかったけど、ミュンヘンでは「日本国籍だけど未成年は向こうね」と、自動ゲートではなく長蛇の列に並ばされた思い出がある。
この出入国記録は、魔法のドアを通った時にはどうなるのだろう? そこが気になってしまった。
押印されるのか、何か摩訶不思議なクラッキング的なことが起こって出入国記録が作られるのか。結論は魔法だから何とかなるに落ちそうだけど、気になってしまった。そのせいで夜はなかなか寝付けなかったのだ。
とりあえず未だに気怠そうな背中を伸ばしてからベッドを降りる。
寝坊したのだから、昨日のことをあれこれ思い出している時間はそれほどない。とはいえ遅刻するような状況ではないので、大慌てではないけれど。
生のままのパンと作り置きのサラダとヨーグルト。とにかく手早く朝食を済ませる。着替えも誰もいないから手早くリビングで済ませて、それからリュックの中を整理する。
弁当はバターロールに朝食のサラダの一部とハム・マヨネーズの手軽なもの。昨日はなんか気疲れやら悩ましさやらで、弁当の準備を忘れてしまった。
後悔。
その弁当 (っぽいもの)をトートに入れて、ついでに昨日もらってきたアイスコーヒーの水筒も入れる。参考書はリュックに入れたし、これで準備完了だ。
最後に電気の類を確認したら、玄関でスニーカーを履く。
玄関を出ると、晴れているけれど梅雨が近そうな湿気を幾分か感じてしまって、どこか春が惜しくなってしまう。
ただ花粉と黄砂の季節が過ぎたことを思えば、初夏の心地よさも同時に覚える。つい最近までは三日三晩自転車を放置すれば、黒いボディーが花粉で変わり果てていたのだから、花粉症が可視化されたようでゾッとしたものだ。
ただもう、時期は過ぎ去った。エレベータを降りて駐輪場へ行くと、自転車は黒かった。
花粉よ、さらば。
隣の自転車はすでに出た後らしく、スペースが空いている。お陰で前カゴに荷物を積むのが楽だ。弁当の入ったトートを前カゴに放り込んで、それから鍵をガシャンと開ける。
それから自転車に跨って、左足でスタンドを蹴り上げて漕ぎ出す。すると突如ガシャガシャと鳴った。
「ええ?」
後輪のギアが勢いよく変わった。そしてペダルが空回りする。ギアをみると数字は1と表示されていた。
いつもはギアは4~6で漕いでいるから明らかにおかしい。昨日の疲れた自分が間違えたのか、それとも悪戯の類か。
まあいい。
漕ぎながらギアを5に設定して、そのまま裏口から横道へと出る。ここから50mほど北へ行くと街で一番の大通りだけど、高校は反対方向だ。南向きに走るので太陽が少しばかり眩しい。それからは過疎化まっしぐらの地方都市に特有の、駐車場の多い街中を走っていく。
車社会とはいえ、一地方都市にこれほどの駐車場は必要なのだろうかといつも思ってしまう。ただ今は一人一台所有しているのが地方のデフォルトだから、僕のようなマンション暮らしには、必要なのかもしれない。まだ高校生だから免許を取っていないけれど。
シャッターのしまった住居兼店舗、この町にしては高層の部類にはいる6階建の無機質なビル。そして駅と繁華街から半径300mを除けば、ほぼ人が歩いていない歩道。
それらを流していくように悠々自適に走っていく。
街を縦断する川を渡ると、小高い丘に差し掛かり、木々の生い茂った寺社街に入っていく。
この時期を青葉の季節なんて優雅に言いたくなる理由も納得できる。むしろそれ以上に蒼々としている。丘の上にある信号を曲がると次は下り坂だけど、両側にはいまだに寺が広がっている。
右側の寺には猫が数匹いて、それは可愛いらしい。先日喫茶店で同級生にその可愛さを延々と聞かされた。
そして正面にあるのが高校。
旧制中学校からの伝統かプライドか、塀は煉瓦造りになっている。こんなところにお金を突っ込むくらいなら、学校の設備を良くしてほしい。でもそんなことを先生を前にして言えるわけもなく、口を噤んで校舎に自転車ごと侵入していく。
敷地に入ると各校舎棟の間に自転車置き場が横たわっていて、2Dに割り当てのスペースは、既に半分と少しが自転車で埋まっていた。大体8割くらいの生徒が自転車なので、ここを見れば、どれくらいの生徒が登校済みなのか状況が読める。
いつもより遅いから少し自転車の多さにびっくりしたけど、たしかに8時10分を過ぎた頃なので、そんなものなのだろう。
自転車置き場の近くで降りると、前方にいる学ランの生徒が声を掛けてきた。
「語じゃん、おはよう。」
「、和沙。」
「今日の語が自転車ってことは、終日雨は降らなさそうだね。」
「いやいや。わざわざ僕頼みになんかせずに天気予報を見てよ。」
僕より頭ひとつ分だけ背の高い彼は、同じクラスの仲良しだ。
いわゆる体育会系やテンションの高い人ではないけど、爽やかで優しいから意外とモテている。この前も放課後に何かあったらしい。あの時は放課後イベントって都市伝説じゃないんだと吃驚した覚えがある。
僕は告白されたことがないのに。これが天と地なのか。
そんな彼のさっきの発言は、あながち間違いではない。事実、雨や積雪のときは自転車を諦めてバス通学するのを、1年生から同じクラスだった彼は知っているのだ。
2人並んで渡り廊下から教室棟に入る。
40年ほど経っているらしい無機質な校舎は少し薄暗い。階段の踊り場に至っては小さめの蛍光灯がついているだけで、夜になったら廃病院並みの肝試しができそうなくらいだ。とはいえ学生が行き交っているし、なんか適当に喋りながら歩いているので、今は怖さとは無関係の学舎だ。
「和沙は、最近どうなん?」
「どうって?」
「ほら先月も告白受けてたでしょ?陽豊に彼女いるのにね。」
「嬉しいことに告白されていないし。先月の人も諦めてくれたよ。あとそんな頻繁に告白されてないだろ。1年の時も3回だったしさ。モテてる人は月1とかで頻繁に受けてるし、学期ごとに交際相手が違う人だっているじゃん。」
実際そんな生徒もいる。オブラートに包んでいえば「遊び人」、直球で表そうとすると放送禁止用語で陰口や揶揄されているタイプの人たちだ。
そういう人たちにとって、告白は挨拶のような感じなのだろうか。あの界隈は別世界として、告白される立場(しかも彼女がいる)ってだけで、相当青春していると思う。
「まあ確かに比較するとそうかもしれないけど、それは結構多い方だと思うよ。」
「そうか?」
罪作りなことに、自覚していないらしい。
「もし告白が1人だけならその人だけに好かれた可能性もあるけど、複数人いるってことは特定の属性のからはモテている可能性が高いでしょ。それと告白まで至ったのが3人だったと考えたりはしないの?」
「属性ってなんだよ。なんかフェチみたいな聞こえで気味が悪い。性格とかタイプって言えよ。」
「そうそう、タイプだね。」
「まあ、言われてみればそうか。3人とも控えめな性格だったな。」
控えめならば尚更だ。彼女持ち相手に告白に至った人なんて少数派であってもおかしくないだろう。
やっぱりこいつはモテていると思う。少し生暖かい目線を送ると「なんだよ。」と言ってきたので、なんかテンプレートみたいに「なーんでーもー。」と、恨みったらしく意味ありげな返事をした。
そんなやりとりをしているうちに教室まで辿り着いていた。和沙は扉をガラガラと開けて、ごく自然な素振りで僕に先に入るよう促す。そういうところだぞ。
「まあ和沙は体育会系みたいに暑くも騒がしくもなく、でも地味でもなく穏やかだからね。とっつきやすいのかも。」
「なんか自分のことを冷静に分析されるのも恥ずかしいし、とっつきやすいって人を軽率みたいに。さっきから言葉が悪くないか?」
「ごめんって。」
和沙はやれやれって顔をして座席に歩いて行った。
ちょっと弄り過ぎたかもしれない。同中からの付き合いらしい彼女がいる以上、あまり告白されるのは嬉しくないだろうし、まあ良い性格しているから告白を振るのも気を遣っているのだろう。
だからモテてウハウハみたいな感じとは真逆で、できればそっとしておいて欲しいとかボヤいてることもある。でもその驕らない性格が助長しているんだよな。
報われないエンドレスだ。
僕は僕で自分の座席に向かった。
「おはよう。和沙と何を話していたの?」
前の席に座っていた周人は、何か嗅ぎつけた表情で聞いてくる。口元がにんまりとしている。
「んー、まあ何というべきか。とりあえず和沙は報われないんだなって話。」
「え、どういうこと?」
「和沙はこれからも望まぬ告白される運命なんだなと。」
「和沙、また告白されたの?」
唐突の報告に、周人は「何ごと!?」と言わんばかりの表情で質問返ししてきた。
あと少し離れたところから「何で哀れまれているんだよ?」と和沙の声がしながら、徐々に声が近づいてくる。同時に周辺にいたクラスメイト数名がザッと揃って目線をこっちへ寄越してきた。恋愛話は食いつきが良い。
「告られてないし、告られる予定もないし。語が勝手に何か想像しているだけだよ。」
「いや、そろそろ告られるでしょ。」
周りの目線を払い除けるように和沙はハッキリと否定したけど、周人が間髪入れずに突っ込んだために、和沙は押し黙ってしまった。
さっきは自覚なくて罪作りとか思っていたけど、本人も幾らかの自覚はあるらしい。もっとも周人の躊躇いのない返事に気圧されている様子も見て取れるけれど。
それにしても「そろそろ」というところが面白い。定期試験のように、そろそろ時期だなーという感覚で告白ってされるものだっただろうか。
「なんか、ごめん。」
僕はポツンと言った。
すると二人が真顔に近い顔で僕を見た。なんか嫌な予感がする。
「それで言うと、語はどうなんだよ? 」
しまった。矛先がこっちを向いてしまった。
「何もないよ。」
「そんなことないだろ?先週から話題になっているんだから。」
話題になっている。それは僕自身が話題になっているわけではないのだけど、その意味の指すことが分かっているので、ますます嫌な予感しかしない。バツが悪そうに僕は口をへの字に曲げて悩んでいると、追い討ちのように、予期せぬ拍車が掛かった。
スピーカーからピンポンパンポンと、予鈴とは違う電子音のチャイムが鳴った。
校内放送だ。
『生徒会長より連絡です。2年D組、山吹 語 さん。本日放課後に生徒会室まで来てください。繰り返します――』
一連の放送が終わって再び電子音のチャイムが鳴ると、周人がぼそっと言った。
「フラグが立ったじゃん。絶対何かあるでしょ。」
その顔は憎らしいくらいニヤけていた。




