ドアと魔女(4)
「えっと、じいちゃん。魔女?」
「魔法使いの女性のことだね。」
言葉の意味くらいはわかる。聞きたいのはそこではない。
「そういうことじゃなくて。」
「杏さんが魔女と言うことが納得できないんだよね。」
「そもそも、魔女なんて。」
「魔女なんて?おかしいかい?」
祖父はおうむ返しをした。僕の魔女に対する疑念に気を留めたようだ。
「うん。そんな非現実的なことを言われても。」
「何を言ってるんだい。さっき非現実的なことが起きたじゃないか。そこの扉で。」
祖父は穏やかに、穏やかではない事実を突きつけてくる。
その言葉に僕は口を噤んでしまった。
居た堪れずに手元のコーヒーをすすると、モカ・マタリはぬるま湯くらいにまで冷めていた。
閉店時間を過ぎて静かな喫茶店。カウンターの向こうで祖父はシンクに肩肘をついてリラックスしている。さっきから流れ続けているジム・ホールのジャズギターといい、電球色の暖かいランプといい、とても穏やかだ。
カッコウ時計から秒針がコツコツと鳴る。それだけが微妙に居心地を悪くする。いや居心地が悪いのは、さっきから頻出している非現実に対する葛藤のせいに見える。
「まったく訳がわからないよ、じいちゃん。」
僕は混乱した気持ちを、そのまま吐露した。
「だろうね。でもそれが事実なんだよ。」
「でも分かんないんだよ。なんで扉が魔法なのか。なんで扉を通るとワープしちゃうのか。考えれば考えるほど迷宮入りしちゃって、それで、めちゃくちゃで、もう混乱しているんだよ。」
祖父はそう言って僕に向き直した。
「それじゃあ、一つ一つ整理して行こうか。まず扉が普通じゃないことは理解しているかい?」
「まあそれは体験したから。」
「それじゃあ、なぜ普通じゃないか? 言い換えれば、普通ではない理由がわからないのかい?」
「そうだね。」
「それが、魔法だからと言われても?」
「現時点ではね。もし魔法で何がどうなってワープしたのか説明できれば、それは納得できると思う。」
「そうか。悪いけれど、その説明−−科学的説明はできないんだ。なぜなら魔法は科学的な事象ではないからね。」
つまり祖父はこう言いたいようだ。
魔法なんて超自然的なものだから、論理的に理解しようとすると余計に解らなくなる。だから事実としてそのまま受け入れるのが良い。もし論理的な説明がつくなら、それは魔法や陰謀論の類ではない。
そういうことらしい。
もちろん僕自身、扉については論理の飛躍というか、到底説明できない何かが起こったことは理解している。
でも、だからこそだ。説明できないことを「魔法」の一言で、いとも容易く片付けてしまうのは腑に落ちない。
「ねえ、じいちゃん。」
「なんだい。」
「だったら、どうやって今の事実を飲み込めば良いの?」
僕は縋るように祖父に質問した。
「そうだね。それは経験則しかないんじゃないかな。さっきだって語は体験的に扉が普通じゃないことを理解したのだから。」
祖父は優しく語り続ける。
「語自身は納得できていないだろうし、科学的思考を諦めきれないのかもしれない。でも考えてごらん。例えば生命の起源なんて理論的に説明はできないだろう?様々な仮説を唱えるのがやっとだ。でも生命が存在している事実については、語自身が生きて体験しているから納得できている。それと同じだ。魔法も理論じゃ説明できないし考えてもキリがない。けど経験すれば魔法で何かが起こったという事実は理解できるんじゃないかい?」
ちょっと詭弁のようにも聞こえるけど、一理あるのは確かだ。
論理的とか非現実的と言っているけど、世界には実在や確証はあってもその論理や経緯を説明できないことなんてたくさんある。でも多くの人たちはその説明も理解もできない事柄を、いつも腑に落ちずにモヤモヤを抱えているわけではない。
そして机上であれこれ仮説カードを並べて終わりのない議論を続けるよりは、少なくとも経験則的に事実を理解するほうが、何かしら得られることがあるということだ。
僕は残っていたコーヒーを飲み干した。もう冷めていたからグッと飲めてしまった。考えることを諦めた勢いで飲んだのだから、これは自棄コーヒーだ。
その様子をみた祖父は、フッと笑った。
「何?」
「いや。語もやっと飲み込んでくれたのかなと思ってね。」
「飲み込んではいないよ。ただ机上論を繰り広げても底無し沼じゃん。それよりは経験するしかないかと思って。思考が妥協したような感じ。」
そう言ってカウンター越しにカップを渡した。いつもは自分が飲んだのだから自分で洗うのだけど、今日くらい押し付けても問題ないだろう。ほら、祖父だって笑いながら受け取って洗い出した。たぶんその笑いは、僕のムスッとした様相を面白がっているだけだろうけど。
そんなわけで、ついに僕は今起こった現象を論理的に理解しようとするのを諦めたし、祖母が魔女かどうかも確証を得ていないけど、そう思っておくことにした。
納得じゃないけれどモヤモヤが晴れたからか、背筋が緩んで背もたれにぐたっとする。
「それじゃあ早速だけど、次の休みに世界に行ってみようか。」
祖父はカップを洗い終えると、水気を拭き取りながら言った。訳のわからないことを言っていたかと思えば、次は唐突に世界に行こうなんて言い出した。おかげで緩んだ背筋が再びピンとなってしまった。
「いきなり行くの?」
「ああ、経験則なんだもの。行かなきゃ分かんないでしょ。」
「そうなんだけど、あの扉から行くの?」
「もちろん。」
祖父は間を置かずに答えた。
祖父曰く、あの扉から海外に行くそうだ。祖母の物語でも、扉の先が世界のどこかに繋がっていると言っていた。
だから案ずるより産むが易しと言うべきか、とりあえず体験してみようと言うのだ。それでも隣町まで出掛けよう感覚で海外へ行こうと誘ってくるのは、なかなかだと思う。
ただ祖父らしいといえば、そうだ。
思慮深くはあるけれど思い立ったが吉日のような感じで動けるなら動いてみる人間だ。この齢でベンチャー精神なのだから凄い人だ。そして祖母はもっと気まぐれで、あれは超人だった。
ともかくあの扉から世界に行くらしい。行けるらしい。
ちょっと待って欲しい。
もう一度繰り返すけど、あの扉は世界に繫がっていると祖父は話していた。
それって、おかしくないだろうか?
「じいちゃん、あの扉は世界のどこかに繋がっているんだよね?」
「そうだよ。」
「そこだよ。僕はそこの玄関先だったんだけど。」
「ああ、そうだったね。そりゃあだって今はパスポートを持ってないだろう?」
「パスポート??」
「ああ。パスポートを持たずに海外に行けば、それは密航じゃないか。」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
今まで非現実的な話をしていたのに、いきなり渡航するにはパスポートが必要だとか密行とかいう至極当然なことを言われたから、ギャップに拍子抜けしてしまった。さっきから急展開やら突発の単語やら、驚かされてばかりだ。
「そこは魔法で何とかならなかったの?」
「ははは、半分は冗談だよ。」
祖父は笑った。
半分が冗談ということは、残り半分は事実らしい。恐らくパスポートが必要なのは事実で、密航云々が冗談なのだろう。
でも世界を一瞬で移動できる魔法があるくらいなら、パスポートくらいどうにかなるものだと思うのだけど、そこは必要らしい。何か魔法ってよくわからないものだ。
魔法といえどパスポート不保持はマズいのだろうか。いや扉を使って不法入国する時点で危ないことに変わりはないけれど。
「パスポートはね、あの扉の通行証なんだよ。」
「通行証って、どういうこと?」
パスポートは元々の目的自体が通行証だ。でもここでいう通行証はそういう意味ではないだろう。
「その前に、諸々の条件を整理しよか。まずあの扉を見つけられる人は、魔法使い・魔法使いから教わった人・もしくは使える人から教わった人。この3つの条件のどれかに当てはまる人なんだ。それ以外の人には意識が向かないんだよ。」
「でも僕は、ばあちゃんから教わってないよ。」
「語は、あの物語を教わっていただろう? あとは何かの条件で扉を認知できるように魔法が仕掛けられていたんじゃないかな?」
「そんなものなの?」
「そんなものだよ。」
教わるとか言っていたので、いわゆる弟子入りとか修行とかを想像していたけど、もっと軽い意味だったようだ。
祖父は少しスツールに座り直した。
「話を続けるよ。そして扉を知っている人が、あの扉を使うには2つの条件がある。まずは隣のチャイムを鳴らして鍵を開けるんだ。杏さんが言うにはあれが呪文代わりらしい。語は押したんだよね?」
「うん。押した。」
「そして次にパスポートを持っておくこと。持っていれば、その先は世界のどこかに繋がっているんだよ。でも持っていないと玄関先に飛ばされる。いわばゲームオーバーだね。」
「僕はゲームオーバーしたと。」
「そうだね。」
なるほど。
いや、「なるほど」ではない。だってそれが真実かは分からないんだもの。魔法だとすれば、そこに論拠や証拠はない。でも掘り下げようとしても、結局は「魔法だから仕方がない」となってしまうのだろう。
こうなったら経験して、とことん理解していくしかないのだろう。
「あーあ、こうなったら世界に行くしかないか。」
「語?」
「世界に行けるかどうかを知るためには、実際に確かめるしかないってこと。」
「そうだね。じゃあパスポートを忘れずにね。」
「はーい。」
「それじゃあ、もう終わりにしよう。もう8時過ぎているからね。」
最後にじいちゃんは安堵の表情を浮かべて言った。




