ドアと魔女(2)
改稿しました
「大きな音がしたけど、大丈夫かー。」
遠くからじいちゃんの声がした。
「袋を落としちゃっただけー。豆も散乱してないから問題なさそうー。」
「そうかー、気をつけてなー。」
祖父が心配そうに店の方から声をかけてきたけど、僕はなぜか大丈夫だと声を張って返事した。とはいえ目の前はとても大丈夫とは言えない状況で、棚と袋が乱雑になっている。
もはや事故だ。
ただそれより気掛かりなものが、この謎の扉だ。
しばらく僕は扉と睨めっこする。
扉は鈍い灰色で塗装されていて、雑居ビルの裏口みたいな無機質さと怪しさを醸し出している。倉庫にはピッタリと言えるかもしれない。
それにしても、こんな扉があることは初めて知った。
どこに繋がっているんだろうと考えて、僕は「おや?」と首を傾げた。
この扉というか壁の向こうは喫茶店のカウンターのはずだ。ただこの壁の反対側に扉なんて見たことがない。カウンター側には据え付けの食器棚やシンクがあるわけで、扉をつけるスペースはないはずだ。
つまり扉としておかしい。だって扉は壁を挟んだスペースを行き来するためにあるわけだから、この扉の向こう、つまりカウンター側にも扉がないとおかしいはずだ。
でも、そんな扉は向こうにはない。
行き来できない扉。それでは意味がない。
じゃあ、何なんだ。
いろいろと考えてみた。
考え1。
もともとはカウンター側と繋がっていたけど、リフォームか何かでカウンター側を壁で塞いでしまった結果、倉庫側の扉だけ残ってしまった場合。これだとこの古めかしい扉や片側だけという不思議さも納得がいく。
だとするとこの扉の先は壁だ。
考え2。
部屋を行き来するためではなく、物置やメーターボックスの扉だという場合。
物置だとそれなりの奥行があるはずだから、それは違うだろう。一方で光熱水道周りのメーターボックスだと奥行が数十センチほどでもおかしくはないし、喫茶店だから動力電源とかいろんなメーターがあって、この大きさの扉を設置した可能性もある。
普通にあり得そうなところだと、こんな感じだろう。
さて、答えはなんなのか。好奇心がうずいた。
つまり、純粋にこの扉を開けてみたいと思った。
ただ扉を勝手に開けても良いものだろうか。
数秒ほど考えた。
結論、黙っていりゃあ問題ない。
メーターや何かの機器があったとして、それで怒られることはないだろうし、何より緩い祖父のことだから「へー、開けたんだね。」くらいの反応だろう。もっとも何かあったとしても黙っていれば、それだけのことだ。
悪知恵だけど良い考えだ。
「開けよう。」
自分の好奇心のほうに天秤が倒れて確信したと同時に、スルリと解けるように手が無意識的にドアノブに伸びていた。そのまま力を込めてドアノブを下へ降ろす。
だけど、ドアノブは下まで降りてくれなかった。
鍵がかかっている。
「なんだ。開かないじゃん。」
どこか興ざめと言うべきか、冷静さを取り戻したと言うべきか。ついつい呟いてしまった。
僕は脱力するようにドアノブから手を離すと、15度ほど下ろされたドアノブは元に戻った。
そりゃそうだ。
謎なところは多いけれど、こんな倉庫の奥にある使ってもいないような扉だ。わざわざ開けっ放しになんかはしないだろう。気になっていただけに少し残念な感覚だけど、開かないのならば仕方がない。
開かないものは足掻いても仕方ない。
もし気になり続けるのならば、祖父に聞いてみよう。そうするとうんが良ければ開けてくれるかもしれない。
とりあえずこの散乱した状況をそのまま放置しているわけにもいかない。
片付けようと思って後ろへ後ずさると、視界が広がる。
やっぱり無機質さが、何か不気味な感覚を匂わせてくる。
「あれ?」
また口にしてしまった。
ただ、それもそのはず。扉の少し外れに何かがある。よく目を凝らすと、古めかしいベージュの枠に焦げ茶色のボタン。ボタンには少し黒ずんだ白色で8分音符が描かれている。
ああ、これは呼び鈴だ。
いや、「ああ」じゃない。
呼び鈴は一般的に屋外にあるものだ。屋内にあっても文字通り何かを呼び出す目的で設置される。
なぜそれがこんな辺鄙な場所にあるのだろうか。どう考えても、ここから何かを呼び出すことがあるとは到底思えない。
じっと僕は呼び鈴のボタンと対峙して、目を細めて睨みつけてみた。
やっぱり変だ。そして気になる。
再び数秒考える。
僕は、スッと指を添えてからツンと押してみた。
こういうボタンがあると、なぜか押したくなるのが好奇心の怖いところだ。その心に潜む好奇心の猛獣を理解してもなお、やっぱり押したいものなのだ。
どこで音が鳴っているのだろうか。カウンターから聞こえるだろうかと耳を澄ませてみた。
でも一向に音はしない。
でも2、3秒してからだろうか。
その代わり、突如ドアノブからガチャンと音がした。その音は重く硬質な音で、これまた不気味な感じがする。
いま、鍵が開く音がしたよね? したはずだ。
つまり、さっきは諦めたこの扉が開くのだろうか。
5秒ほど僕は思考を巡らせた。
結論。
僕は頑丈な棚板に腹這いに身体を乗せて、腕を伸ばして奥のドアノブに手をかけた。
そのままドアノブを下ろすと、さっきとは違って45度ほど回転した。
さっきは無理だった扉が開けられるようになっていた。
僕は一度ドアノブから手を退けて、棚板からも身体を退けた。
よし、扉を開けてみよう。
僕はさっき乗せたばかりの棚板にもう一度手を掛けて持ち上げた。取り外す前提なのか意外と軽い。
ただ放り投げて音が鳴ると祖父がまた心配するから、ゆっくりとしゃがみながら棚板を床に置く。それから立ち直ってドアと相対すると、心が少しワクワクした。やっと好奇心が満たされるのだ。
ドアノブに再び手を伸ばしてから下ろすと、やっぱり45度下がった。
そのまま手前に引いたけど開かない。あ、これ押し開きか。
改めて次は扉を奥へと押すと、遂に扉が開いた。
好奇心に限りなく近いトキメキと、謎が解ける瞬間の期待感と、一滴の怖さを含んだ武者震い。
それらが混ざって瞳孔が開いた僕は、そのまま扉の向こうへ踏み入れた。
驚いた。
そこは、喫茶店の入り口だった。
おかしい。なぜだろう。
僕は倉庫にいたはずだ。カウンターで仕事していたわけじゃない。
驚いて振り返ると、そこはやはり喫茶店の扉だった。間違いようもない。出るときに手にした重い鉄扉ではなく、そこにあるのはステンドグラスの綺麗なドアだ。
頭が混乱しているのを自覚する。訳がわからないし、何なら心臓の奥からゾッと寒気がした。
その薄気味悪い感覚を鷲掴みして、僕は喫茶店のドアノブを引いた。
いつも喫茶店に入るときに開けている見慣れた扉なのに、これほど鳥肌がたったのは初めてだった。




