ドアと、どっか(1)
'22/07/25: 大幅改稿のため一度下げたものの再掲です。
本を読んでいると玄関のチャイムが鳴った。もうそんな時間なのか。
インターホンの画面を見ると、昨日ずいぶんと見た顔だ。紫苑だ。
「語、来たよ。」
「今出るから、ちょっと待って。」
僕は茶色い革のメッセンジャーバッグを肩にかけて、薄手のコートをトートに詰めて、スニーカーを履いて、そして玄関を出た。
ちなみにメッセンジャーバッグには、昨日準備したあれこれが入っている。
まずは必需品のパスポート。取得した当時はまだ14歳だったので紺色の手帳だ。次にデビット付きの国際キャッシュカード。これがあれば両替しなくても済むのでいつも持っている。あとは折り畳み傘とかペットボトルとか至って普通の品々だ。海外渡航と言えば、いつも数日分の着替えをスーツケースに詰めていたから、なんか変な気分がしてしまう。
「なんか違和感よね。サコッシュひとつの軽装で海外なんて。近所で買い物するような感覚よね。」
「僕も準備しているときなんて、海外渡航の心持ちだったから荷物の少なさに拍子抜けしちゃったよ。」
「そうね。なのにパスポートは必需品っていうギャップが殊更に。」
「そうそう。」
やっぱり紫苑も同じ感覚だったんだと安心しながら、昨日は一緒に上がったエレベーターを今日は一緒に降りていく。
エントランスを出ると、外は心地よく晴れている。5月後半の少し湿気を含みつつも25度強の暑くも寒くもない気温。そして太陽は16時だというのに、真昼のように上で照っている。まあ夏至が6月だと考えれば、そりゃこの高さでも当然かと納得できてしまう。
隣の紫苑をみると、今日はストライプの長袖にテーラードっぽいジャケット。ジャケットは袖を通さず涼しげに羽織っている。いつも相変わらず格好いいものだ。
本人もこうしたクールな感じの服装が好みらしい。そして憎らしいことに表向きの性格と服装が似合いすぎている。だから街中を歩いていると、「プライベートの芦辺先輩、すごくかっこいい!」とか後ろで囁かれているのを耳にすることがある。それを聞いた紫苑とくれば、周囲には悟られないようにひっそりと口角を上げている。隣に立っているのは、クールそうにデニムの化けの皮を羽織りつつも、本性は何とも俗な人物だ。
対する僕はチノパンに濃紺のワイシャツを出しているだけだ。紫苑は僕の服装が気に入らないと愚痴ってくるので、すんなり外出できた今日は合格らしい。
マンションの真前にあるバス停から適当に来たバスに乗り込むと、土曜のせいもあってか空いている。二人揃って座ってからも、海外に行くという意気込みもなく普段通りの時間が流れていく。街並みも至って普通で呑気だ。
そんな空気感を装っているからこそ、ふと気になった。僕は一人暮らしだから勝手にパスポートを持ち出したところで、誰にも何も言われることはない。ただ紫苑は何と言って持ち出したのだろうか。日常生活でパスポートが必要な状況は早々ないから、家族に不思議がられるはずだ。
あまりにも日常的な空気感だから忘れていたけれど、僕たちは非日常的な動きをしているんだ。
「そういえば、夕子さんにはなんて言って出てきたの?」
「ああ、お母さんも私と同じだから。説明したら普通に渡してくれたよ。下手にパスポートをこっそり持ち出そうとする方が不自然だから、同類だし問題ないかと思って正面突破したの。」
なるほど。つまりは夕子さんも魔女だということだ。そして紫苑は良き理解者が家族にいるから、なんとかなったらしい。ならば一件落着だ。
いや、落着じゃない。さっきの紫苑の言葉を思い出せ。話したではなく説明したというところに嫌な引っ掛かりを覚える。
「説明ってことは、僕の経緯も話したってこと?」
「深くは話してないわ。」
些細な引っ掛かりは、より嫌な確信に変わった。
「深くは。」
「ええ。そしたら今日も出掛け際に『また語くんを誘ってね。話を聞いてみたいわー。』って言ってた。だからよろしくね。」
「よろしくじゃないだろう。」
ああ、もう。紫苑はやっぱり意地悪だ。
夕子さんの好奇心を無駄に刺激してしまったじゃないか。しかも軽く説明となれば、「詳しくはCMのあと」みたいに質の悪い。これじゃあ日曜日は、根掘り葉掘り聞かれることに間違いない。
恨めしそうに紫苑を見ると、してやったり顔で薄ら笑みを浮かべている。僕が紫苑に何かしたとでも言うのか。いや、していないはずだ。これはただ、紫苑のサディスティックな本性が出てきているだけだ。絶対にそうだ。
もう明日が億劫になってくる。
「そんなしょげた顔を続けているとお爺さんが心配するわよ。もう、しゃきっとなさい。」
そう言いつつ、紫苑は降車ボタンを押した。窓を見るとひとつ前のバス停をすぎて、六番町に近づいているところだった。あと、しょげた顔は紫苑が要因じゃないか。
「紫苑、マッチポンプみたいなことはしないで。」
「はいはい、ごめんなさいね。ほら、もう停まるから、立って立って。」
追求を濁された気がする。けれどもう到着したものは仕方ないので、いったん紫苑に従ってバスを降りる。
降りたのは喫茶店のある六番町、地方都市の金融街だ。もともと地方だから人がまばらなのだけど、金融機関も官公庁もお休みの今日は、閑古鳥すら鳴いていない。たまに自転車を漕いでいる人と、お城まで散歩している人がちらほら。それくらいだ。
そんなだから喫茶店も土日はお休み。ほら扉にも”CLOSED”と立札が掛かっている。ただドアの鍵は空いているので、力を入れて引くとカランカランと音を立てて開いた。
「じいちゃん、いる?」
「おお、来たかい。語に紫苑ちゃんもご苦労さん。とりあえずドアの鍵を閉めてから、カウンターにお座り。 」
「失礼します、お爺さん。」
紫苑はそう挨拶に応えてから、カランと音を立ててしまったドアの鍵をガチャっと降ろした。そして僕たちは祖父に促されてカウンターに腰を掛ける。どうやら扉を使う前に、キックオフ的な目的で確認をしたいらしい。
「さて、扉について幾つか話しておくことがあるんだ。そこから始めよう。」
そう言って祖父もカウンターの向こう側に腰をかける。
「まずは確認からしようかい。扉の先は世界に繋がっていると話したね。国外だったり、国内だったり。」
「え?国内もあるということ?」
「ああ、そうだよ。言ってなかったけ?」
「パスポートがいるから海外だと思っていたんだけど。」
「前も話したけれどパスポートは通行証、つまり魔法発動の道具なんだよ。だから国内外に関係なく必要なものなんだよ。」
言葉で弄された。いや僕自身が舞い上がって、世界という単語を勘違いして捉えていた節は否定できない。けれど叙述トリックのような言葉で誘われた悔しさというか恥ずかしさというか。ただ隣で紫苑は「ふふふ。」とこの状況を楽しんでいる。
「お爺さんは、この扉を使われいるんですよね?」
「ああそうだよ。紫苑ちゃん、気になるかい?」
「ええ。前使った時は、どこに繋がっていたのですか。」
「モーリタニアだったよ。」
モーリタニアといえば、アフリカ大陸の北西にある砂漠の国だ。日本だとスーパーでタコの産地としてお馴染みのあの国だ。あとはサバクトビバッタだろうか。紫苑は聞き慣れない国に「どこかしら?」とクエスチョンマークを浮かべている。
「じいちゃん、タコでも食べたの?」
「ははは。確かに日本だとタコの産地の認知だね。ただ現地ではタコは食べないみたい。砂漠ばかりだったね。やったことと言えば、現地の人にミントティーを振る舞ってもらったくらいかな。」
「なにその行動力。」
音葉も通じないしアラビア文字も読めないのに、どうやって現地の人と意思疎通したのだろうか。もしや何か魔法で可能だったりするのだろうか。なんにせよ見知らぬ国でいきなり現地の人と仲良くなるなんて、僕には到底できそうにない。
「話を戻そうか。肝心な点は国内外のどこに行けるのかだ。実はね、扉に行先のリクエストをできるんだ。ただ一つだけ大切なルールがある。それは地名を口にするのは厳禁だということ。だからもし台湾に行きたければ『ルーロー飯を食べたい』と言わなきゃいけないんだよ。」
例えが面白いけれど、これは重要だ。てっきり僕は扉の気まぐれで、どこかへ連れて行かれるんじゃないかと想像していた。だからこそ今日はどこなのか期待と不安を抱いていたのだけど、それは少し和らいだ気がする。いや、問題は今日は何とリクエストしているかだ。
「モーリタニアの時は何て言ったの?」
「暑かったから美味しいミントティーが飲みたいと言ったんだけど、もっと暑い場所に行っちゃったよ。」
「じいちゃん、それ本末転倒じゃん。そして今日は何て言ったの?」
「それはね。『語がなぜ魔法を使えるようになったのか知りたい』とリクエストしたよ。」
祖父は珍しく神妙な顔をした。紫苑も微笑んでいた顔を片付けて真剣な眼差しでこっちを見る。その細い目線は怖いからやめてくれよ。
「それは手がかりの分かる場所とか、何か魔法の類で解析でもできる人の居場所へ連れて行ってくれるということ?」
「そうだね。そしてその行先がここだ。」
そう言って祖父は地図を広げた。かなり使い込んでいるように見えるけれど破損は見られない不思議な地図だ。地図を開くと世界が表示されていて、1箇所だけ茶色く英語で表記が浮かび上がっている。そこには "Isle of Man”と書かれてある。
「ここはマン島。イギリスとアイルランドの間にある島なんだよ。ここには杏さんの親族がいるんだ。今日はその親族を訪ねに行こうと思う。今日は夕方に来るようお願いしたのは、イギリスとはじさがあるから。イギリス時間だと今は9時前かな。」
確かに時計は17時前を指していた。
「それから、これ。」
そう言って祖父はコロコロとした包紙をカウンター上にばら撒いた。よく見るとワックスペーパーを捻って包んだ飴玉だ。無地白色の包紙であるところから見るに、大量生産された飴というより街中の手作りキャンディーのように見える。
「これは?」
「これは言の葉飴。紫苑ちゃんなら知っているんじゃないかい?」
「ええ知っています、有名な道具ですから。これは赤色だから翻訳ですね。」
「その通り。赤色は翻訳。つまりこれを舐めると一時的に翻訳は必要がなくなる。もちろん話し言葉だけだよ。わかったかい? 語。」
祖父は茶目っ気たっぷりに僕を指名してくる。
「なんというか、都合良いくらいに便利な飴だね。」
「各国にいる魔法使いも意思疎通が大変だからね。だったら魔法で何とかしようって作ったんじゃないか。」
そう言って祖父はキャンディーを口に放り込んだ。
それから祖父が飴を手渡してきたので、紫苑とともに包みを解いて口に含む。この味は何だろうか。煮詰めたベリーかデーツのような不思議な甘さがする。紫苑を見るとボリボリと砕いて飲み込んでいるので、僕も真似て噛み砕く。
「飲み込めたかい?」
「うん。でも変わった感じがしないよ。」
「それは向こうに行けば分かるよ。日本語を話しているはずなのに普通にコミュニケーションが取れるから。」
もう驚きはしない。ドアとかいろいろ驚くことが多過ぎたから、これくらいはやっぱり存在するのかという予想通りと、驚いたって仕方ない諦めからだ。
「それじゃあ、準備はいいかい?」
祖父はキッチンに手をついて立ち上がった。それに合わせて僕たちも荷物をまとめて立ち上がる。
そういえば紫苑は店の奥に来るのは初めてじゃないだろうか。三人揃って倉庫へ向かっていくと、案の定にも紫苑はコーヒー豆の麻袋を興味深く眺めている。たしかに様々なロゴマークと様々な国や地域があるから、ついつい見てしまうよね。その数ある麻袋のある棚に沿って歩いていけば、奥に一昨日見た例の棚がある。
「さて、この奥にあるのが例の扉なんだけど。語、一昨日ガタガタと音を立てたのは、ここを崩しちゃったんだよね。」
「うん。ごめんなさい。」
「大丈夫だよ。語、豆はちと重いから手伝ってくれないかい?」
そう言って祖父が棚に向かったので、僕も棚に向かって上に乗っているスラウェシを隣の棚に退ける。それから祖父が重くはない棚板を、よっと持ち上げて柱に立てかけた。
すると灰褐色の扉がお目見えだ。
「これが扉。」
紫苑が呟いた。
「そうだよ。」
そう応えた祖父は躊躇いもなく茶色い呼び鈴を押した。それから数秒して鍵がガチャンと開いた。
前はこの後に扉を開けたら玄関先だった。ただ今日はパスポートを手にしている。だから祖父の言う手筈であるならば、この先は世界のどこかに繋がっているはずだ。これから世界のどこかに行けるのだと思うと、その高鳴りと同時に上擦った武者震いが体を襲う。
「それじゃ、行こうか。」
祖父はそう言って扉を開いた。




