ドアと、どっか(2)
扉の向こうは少し冷えていた。
どうやら何か建物の中らしい。手元の端末から地図を開くと、”Douglas Rail Station, Bank Hill, Douglas, IOM.”と示されている。
確かに周囲を見渡すと、確かに蒸気機関車の写真が飾ってある。そして改札らしいゲートの向こうには、確かに古めかしい客車が実際にある。あまりにも現代とそぐわない外観と汽車に戸惑ってしまうけど、魔法云々を耳にした後だから、却って期待で胸が高鳴ってしまう。
「5年ぶりかねえ。」
祖父はそう呟いた。
「お爺さんは来たことがあるのですか?」
「ああ、何回か杏さんの親族に会うためにね。ここからバスで島の向かい側へ向かった先のピールという街に住んでいるんだよ。」
「今日もそちらへ?」
祖父は紫苑の質問に勿論と頷いた。
「じいちゃん、もしかしてこの汽車で行くの?」
僕は、汽車にワクワクしながら質問した。
「いいや。今日の行先は鉄道が通っていないんだ。だからこんなところに来た手前だけど、バスに乗って行こう。」
「え?」
なんと。魔法はなんとも思わせぶりというか期待だけさせてくれるものだ。魔法使いのところまで汽車で行くという、最早テンプレートのような体験ができると思ったのに。紫苑が隣で「残念だったわね」とからかってくる。
「今日は悪いね。期待だけさせちゃって。」
「期待してたのに。」
「すまないね。まあこの島には保存鉄道といって古い鉄道が数多く走っているから、そのうち観光として来てみると良いんじゃないかい。」
「そうするよ。」
今日のところは残念だけど、一方で祖父から有意義な情報を得た。たしかにそれだけあるなら、どこかで1日丸々使って旅するのとか良いかもしれない。隣で紫苑が「その時は私も誘って。」とぼそっと呟いた。なんだ紫苑だって乗りたいんじゃないか。
島の向こう側と聞いていたので峠越えでもするのだろうかと思ったけれど、それは日本育ちだからのバイアスだったらしい。峠と呼ぶような急峻な山はなく、なだらかな丘をゆるゆるとバスは走っていく。
今日2回目のバスだ。
左を見れば地平線まで牧草地と農地の緑が続いて、右はなだらかな丘でこっちも緑の草原が続いている。
そして草原には時折モゾモゾしている何かがいる。あれは何かと祖父に聞いてみれば、羊じゃないかと答えてくれた。よく見れから納得した。これは世界史で習ったイギリスの囲い込みの景色だ。広い土地を生垣で区切っていて、その中に白いモゾモゾが放牧されている。
「のどかな風景ね。」
「そうだね。」
紫苑はそう呟いた。実際それ以外の言葉は探しようがない。
感受性の豊かな人なら、この緑いっぱいの丘と羊を見て詩の一つや二つを紡げるのだろうけど、生憎にも僕はそんな小恥ずかしい言葉を知らないし、紫苑もそういうロマンチストな人ではない。
それに感動的な光景が続くのなら良いのだけど、緑の丘と集落を繰り返すばかりだ。その集落も石造りの家で壁剥き出しか白塗りした家々ばかり。だから最初のうちはワクワクしたけど、ものの10分で慣れてしまった。
もっとも何時間も準備や航空機を乗ってやってきたのなら、その苦労もあって感動はするかもしれない。けれど僕たちはショルダーひとつ背負って扉ひとつでやってきたのだ。隣県へのお出かけよりも気軽なのだから、呆気なく感じてしまう。
ほら、紫苑は景色に見飽きたのか、さっき購入したキャドバリーを単純作業のように、割っては口に放り込んでいる。どうやら紫苑は一人のんびりしたいようなので、僕は祖父にこの島について聞くことにした。
祖父の話によると、この島はイギリスであってイギリスではないと言う。
イギリス王室属領、それがマン島の立場だ。つまりイギリスの国が持つ領土ではなく、王室が持つ領土だという。何かよく分からないけど不思議な立場らしい。確かにさっき地図を見たとき、”United Kingdom”とは一言も書かれていなかった。"IOM"と記されていた。
ただイギリスとアイルランドの間だということもあってか、表記は基本的に英語だし、家々や自然も見る限り典型的なイギリスの田舎といった感じだ。だからこそ「イギリスではない」と言われてもしっくりこない。とはいえイギリスじゃないのは政治上の話であって、文化や社会はイギリスに似通っているのは確かだから、そこまで気にすることもないだろう。
おや、この納得は魔法の事実を飲み込んだときと同じ気がする。
僕も慣れてしまったものだ。
ダグラスを出発して30分ほど経っただろうか。イギリス然とした光景を走り続けていたバスが、ついに丘を下り始めた。つまり島の向こう側に近づいているらしい。徐々に建物が増えてきて、バスの前面には海が見えた。目的地のピールに差し掛かったらしい。
それから幾つかのバス停を通過したところで、行先表示の”House of Manannan”を見た祖父が、「お、着いたね。」と言ってボタンを押した。
バスは海に出る手前で停車したので、僕たちはピールの街に降りた。
ところで降りるときに運転手が「ありがとう」と言ったのが、どうにも不気味に感じてしまう。だって英語圏の街にいるはずなのに、変な飴のせいで、皆揃って話す言葉が日本語で聞こえてしまうのだ。試しに「こちらこそ、どうも。」と返してみると運転手さんが「ああ」と返事したので、僕の言葉も伝わっているらしい。
飴の効果には驚きつつも、やはり不気味だ。
でも祖父も紫苑も自然な感じだし、やはりこれも慣れるしかないのだろう。
話を戻そう。降りた場所は木組みの建物の目の前で、周辺は石造りかコンクリートの低層の建物が所狭しと並んでいる。そして道の向こうは港でボートがたくさん停まっていて、さらにその向こうは紫苑のいったように丘が港まで迫っている。
丘はともかく、街並みは典型的なイギリスの港町だ。
「海の匂いがする。」
「当たり前じゃない。向こう岸の丘とか散歩してみたいね。」
「ここから少し歩いたところに、親戚の家があるんだよ。」
バスを降りてから、三者三様好き勝手に発言しているせいで、会話が送球エラーになっている。だけど祖父はそんな混沌を意に介することもなく、街中の方向へ歩き出した。つくづく自由な人だなと思う。
とはいえ祖父を放り出して街中をブラブラするわけにもいかないので、紫苑と僕は顔を見合わせて無言で納得すると、祖父の後ろをついて行った。
バス停の向かい側にある路地を歩いていく。軽自動車でさえギリギリの道幅で、道は真っ直ぐではなく家屋が突き出したり道幅が狭くなったりしている。区画整理がされたことのない旧市街地といった様子だ。 その路地を100mほど進んだところで、祖父はこちらを振り返った。
「さあ、着いたよ。」
そこは塀に囲まれた庭と程々の大きさの2階建ての家屋が建っている。
祖父はその家の玄関前まで躊躇いなく向かうと、ドアに貼りついたドアノッカーをゴンゴンと鳴らした。
日本だとインターホンを鳴らすか、田舎だと引き戸を開けて「ごめんくださーい。」というのが常だから、ドアノッカーは地味に新鮮だ。
10秒ほどしてから「はーい。」と女性の声が近づいてきた。
「修です。伝えた通りに、孫と知人を連れてきたよ。」
「ああ、よくきたね。」
扉の向こうで声がしてから、扉が開いた。
そこに居たのは、年老いた女性。
ただ僕はその人を見て驚いてしまった。隣にいる紫苑も目をパチクリとさせている。
なぜなら、祖母と顔がそっくりだったからだ。
それだけじゃない、僕はこの人を知っている。
「語、久しぶりだね。随分と成長したじゃないか。」
「お、お久しぶりです。もう3年ほどお会いしていませんから。」
「そうだったかい。成長期はやっぱり早いものだねえ。」
女性はそっと微笑んで応えてから、僕の隣へと目線を移した。
「お嬢さんは初めましてだね。私はアンの双子の姉、ドロシー・ブラウだよ。」
「はじめまして、芦辺紫苑です。お婆さまは魔法を教わった師匠でして、お世話になっておりました。」
「ああ、聞いているよ。あとで魔法を見せてくれるかい?」
「もちろんです。」
「さあ、とりあえずお入り。お茶でも飲みましょう。」
そう誘われて、ドロシーおばさんについて家に入った。




