生徒会と策士(4)
3分強が経っただろうか。考えをまとめたくて無言の時間をもらうことにした。
その間、柳さんは柳スペシャルを豪快に頬張ることはせず、粛々とスプーンが口とゴブレットのおおよそ20cmをシャトルランしていた。紫苑も同様にポットに残っていた紅茶を全て注いで、静かに待ってくれた。
二人とも根底は優しくて思慮深いので、とても助かる。
一方の僕は手に取ったアイスコーヒーのグラスには結露が付いているせいで手が濡れる。
ただその濡れた感覚のどこまでが結露なのか手汗なのかは分からない。少なくとも様々考えて思いもよらぬ展開に当惑していたせいで、手に湿った感覚があるのは確かだ。僕は手の水滴を拭うように、するっと気弱に腕を組む。そして乾いた腕に水滴を擦り付けた。
「それじゃあ話そうか。」と口火を切って、昨日の顛末を時系列で話し始める。
昨日の紫苑が帰った後から話は始まる。それから扉の話に差し掛かると、紫苑は興味深く目を細めた。確かに僕でさえ祖母から散々聞かされていたのだから、紫苑も一度や二度は同様の話を聞いていてもおかしくない。ましてや紫苑が魔女だっとすれば、扉が魔法で動くことも知っていておかしくはないだろう。それゆえか興味津々で、身体を前のめりにさせている。
柳さんも同様に興味深そうな顔をしていたけ。けれど神妙な紫苑とは違って、お伽話に聞き入る童心を表情に丸出ししている。感情豊かで好奇心旺盛な犬みたいだ。
一連の話を終えると、紫苑はやはり前のめりのまま聞いてきた。
「つまり語は明日、その扉を使ってどこかへ行くのよね?」
「そうだよ。」
「パスポートがあれば使えるのよね?」
「そう聞いているよ。」
「私と奈恵も行って良いかしら。」
「それは、じいちゃん次第。」
紫苑が強い関心を持っている。そりゃあ魔法で希少な体験ができるのであれば、誰だって興味関心は持ってしまうものか。珍しく冷静さを脇に置いて好奇心を垣間見せている。ただ柳さんはそうでもないようだ。
「さらっと私も誘ってるけどさ! 私パスポート持ってないんだけど。」
「奈恵、それは残念ね。私は幸運にも持っているの。」
「ずるいー。」
「なら早めに取得してくることね。場所にもよるけど、可能だったなら美味しいお土産買ってきてあげるから。」
「美味しいお菓子がいい。」
「はいはい。」
紫苑と柳さんは姉と幼い親戚の子みたいだ。あやしてあやされている。というか紫苑は海外に行ける興奮からか、少しサディスティックな一面が普段より前に出ている。
対する柳さんは、やり場のない悔しさを消化するように、バクッと大口で残りのホイップを丸ごと頬張った。やけ食いだ。
「私はとりあえず、お爺さんに確認が取れたなら明日は良いのよね?」
「そうだね。僕は問題ないよ。」
「ありがとう。ぜひ語の魔法を見てみたいわ。」
「そう言われても昨日の今日だからね。」
「まあそうでしょうよ。でもね、なぜ今のタイミングで語が魔法を使えるようになったかは、色々と引っ掛かるの。」
「それは分からない。」
「それもそうね。」
紫苑は柳さんのやけ食いを他所に黙り込む。紫苑はいろんなことを独り言のように呟いている。昨日に何かの条件で魔法が伝授されたのか、実は元々から魔法が使えて昨日たまたま露見したのか。いろんな仮説を考えているみたいだ。僕にはよく分からないけれど。
ただ一つ分かること。それはこの状態の紫苑はあまり良くないということ。早いうちに止めないと、思索が佳境に至ってしまえば、止めようにも「大事なところだから」と拒否して考え込み続けてしまうことがある。
「紫苑、まず考え込むのはやめたら?埒が明かなさそうな雰囲気になってるよ。」
「−−そうね。」
早めに止めたのが功を奏したようだ。
返事した紫苑は気分転換を兼ねてか、残りの紅茶をクイッと飲み干す。
「語と奈恵は、もう話忘れはないかしら?」
「僕はないよ。」
「大丈夫。仕方ないからお土産待ってるねー。」
二人の応答を確認した紫苑は、カップの縁を再びコツンと叩いた。ああ、これが魔法の合図だったのか。今は認識阻害の魔法が解除されているらしい。とはいっても僕は何ら違和感を感じることができない。
魔法を感知できるらしい柳さんなら、何か感嘆詞の一つでも上げるかと思ってチラッと見た。でも相変わらずのやけ食いで、最後のカフェオレを喉に流し込んでいる。本当にこんな直情的な人物が、感知なんて繊細そうなことをやってのけるのだろうか。
「さて、奈恵がカフェオレを飲み終えたみたいだし、今日はもうお開きにしましょうか。」
紫苑は隣にいる柳さんを見てクスッと笑いながら提案してきた。話を振られた柳さんは「はて?」という顔をしているあたりが憎めない。その様子に僕までもふっと笑いを軽く吐き出しまう。本当にこの人は。
ただ柳さんのお茶目さで緊張が解けたのか、手の湿り気はどこかに飛んでいっていた。
会計を終えると、僕たちは各々の方向へと分かれていく。といっても僕と紫苑は同じ方向なので、柳さんが「バイバーイ」と言って大通りの向こう側へと渡っていくだけで、僕たちは揃って帰る。マンションまでは1kmほどなので歩いても良いのだけど、今日の紫苑はローファーであまり歩きたくないようなので、短距離ながらまたバスに揺られている。
「そういえば、じいちゃんから許可もらえたね。」
「ええ、だから明日はよろしく。時間になったら語の部屋に行くから。」
「はーい。」
さすがに今は紫苑の魔法は使っていないので、濁しながら互いに話す。
話を戻すと、会計のときに紫苑が爺さんに明日の予定を軽く尋ねたのだ。もっともこれまでの話を踏まえれば、「土曜日に私も良いでしょうか?」の意図は一択しか解釈の余地がない。だからそれだけで祖父は理解して、案外にもあっさりと二つ返事で快諾した。
同時に祖父は「柳さんは、どうかな?」とついでに誘ったのだけど、「ありがとうございます。明日パスポートの申請に行くので難しいです。」と断りつつ頭出しをしていた。つまり交付されたらついてくる気は満々なのだろう。
パスポートは最低でも1週間はかかるので、最短でも来週の日曜以降だろうか。柳さんは暫くお預けになりそうだ。柳さんは断った後に僕たちを恨めしそうに見ていた。
「そういえば私のお母さんが、『たまには語くんも一緒に夕飯どうかしらー。』って言ってたわ。」
「気が向けばお邪魔しようかな。」
「そう。今日明日のことと一緒に話しておくわ。母も私と同じだから。」
「それは夕子さんのことだから、夕飯で根掘り葉掘り聞かれそうだ。」
「当たり前よ。」
紫苑の母は、なんというかパッと見ではほんわかしているのに、実に好奇心旺盛で一面を持っている。柳さんが20年ほど経って性格が丸くなれば、こんな風になるんだろうなと僕は思っている。
例えばスーパーとかでばったり会うと、油を売るように10分くらい話が止まずに続く。大抵は紫苑のこととか僕のことを質問責めにしてくる。あと案外にもパワフルだ。会うタイミングが悪く一緒にマンションに戻るともなれば、3割の確率で芦辺家に連行される。そして紫苑が呆れた表情をしながら玄関でお迎えという展開が常だ。
容赦なく懐柔してくるおばちゃんパワーが、あの優しそうな表情の裏に潜んでいる。そういう点ではクールな紫苑とは好対照だ。
そんなだから魔法のことが紫苑の母にバレてしまうと、もうどうなるかは目に見えている。しかも魔法の話が憚られる屋外ではなく紫苑の家で夕飯を食べながらともなれば、もう逃げ場なんてないようなものだ。心の中で「オー・マイ・グッドネス」と言いたくなる。
そうもするうちに降りるバス停に到着した。終点の駅前のひとつ前なので、乗車客は全くおらず僕たちが降りるためだけに前ドアが開く。そそくさと二人揃って降りると、バスはすぐ扉をしめて発車する。
降りたバス停から大通りの向こうを見れば、僕たちが住んでいるマンションがある。ちなみに芦辺家は7階で僕は8階だ。そのマンションへは大通りから帰ってきたから、朝の通学とは逆方向だ。ふと向こうを見れば僕の駐輪スペースは置き去りだから空車で、どこか不思議な感じだ。
「そうそう、さっきの続きだけど。たまには家へも来れば?お母さんが待ち遠しくしているわ。」
エレベータに乗りながら紫苑がパスを寄越してきた。
「僕は芦辺家のマスコットか何かなの?」
「少なくともお母さんにとってはね。」
「まあ、考えとく。」
「保留するのも良いけど、そんなんだとそのうち痺れを切らして8階へ押しかけるわよ。」
「まさか。」と、言いかけて声を飲み込んだ。当たり障りのない答えとして適当に言ったつもりだった。けれど確かに、あの人なら押し掛けぐらいしてしまいそうだ。「料理多く作ったから」とか適当に口実をぶち上げたっておかしくない。
「そうだね。お茶とか紫苑との勉強会で挨拶するくらいで済ませられるなら、ガス抜きしておきたい。」
「そうね。日曜に勉強会でもどうかしら?奈恵も誘うと良さそうね。」
「そりゃ、ありがたい。」
ピンポンとなった。右上の液晶モニターは7階を指している。
「それじゃあ、まずは明日はよろしくね。」
「はーい。じゃあね。」
そう言って紫苑が出ていくと、扉は静かに閉じた。
そうか、明日僕たちは海外に行くんだよな。




