生徒会と策士(3)
テーブルの上を見ると、僕の手前にはウォータードリップで淹れた濃密なアイスコーヒー、紫苑はいつも通りのアールグレイのポット、柳さんの前には通称「柳スペシャル」が鎮座している。
柳スペシャルは、元々は普通のコーヒーフロートだったはずだ。それがいつからかコーヒーがカフェオレになり、ホイップとキャラメルソースが追加され、コーヒーゼリーも追加され、最近では削ったチョコと砕いたナッツが乗るようになった。たしかコーヒーゼリーのあたりで、縦長のタンブラーだと限界だったので口広のゴブレットに容器が変わったはずだ。そして現在進行形でなおも進化している。
「今日の柳スペシャルはチョコが乗ってないのね。」
「そうそう、先週食べた時にそろそろ暖かくなってきたからね。マスターに相談したら削りチョコの代わりにオレンジピールに変えることになったの。しーちゃん食べる?」
「ちょっと貰おうかしら。」
「はい、あーん。」
紫苑と柳さんがキャッキャしている。ただ一口もらった紫苑は「香りが良いね」と、もう満足したように味わっていた。一方の柳さんは完食する気で満々だ。この人は週1でこのパフェと化した糖分の塊を食べているのだから、別腹がどんなに強いのかと少し呆れてしまう。
やや冷たい目線を向けていると、それに気付いた柳さんがスプーンで僕をちょいちょいと指してきた。
「かたるんも欲しいの?」
「いやいい。」
「今ならわたしの『あーん♡』付きだよ。」
「いらん。」
「そっかー、紫苑と私と関節キスだもんね。照れちゃってー。」
「はいはい、そうですね。」
なんか面倒な絡み方をしてきたのでさらに冷たい目線を以って返事すると、柳さんは「ちぇー。」という感じで僕に向けていたスプーンでまたホイップを掬った。僕がドギマギしながら「あーん」されそうになるのをワクワクしていたのだろうか。そんなウブな人間なんかじゃない。一方の紫苑は僕とは対照的に二人のやりとりを生暖かい目線で眺めてから、「面白くないわね。」と僕に指南するような表情を見せて、アールグレイを口に含んだ。こっちはこっちでその目線はやめてほしい。
「そういえば紫苑、ここで話したいことがあるって言っていたよね。」
「ああ、そうね。」
話題の切り替えも兼ねて紫苑に話を振ると、手に持っていたカップを置いてからコツンと飲み口の端を指で叩いた。
「奈恵、ちょっと確認してもらえるかしら?」
「わはひ?ほっほわっへ。」
いきなり振られた柳さんはホイップを口に含んだまま喋ったせいで、言っていることはわかるけど言葉になっていない。スプーンを置きつつホイップを飲み込んで「ちょっと待って。」と言い直した。すると柳さんはすうっと息を吸って口から吐き出して、それからゆっくりと目を瞑った。何か迷走というか集中しているような感じだ。何をしているのだろうかと気になって紫苑の方へ目を遣ると、紫苑は目と仕草を使って宥めるように少し待てと薦めてくる。
カッコウ時計が名前通り「カッコーカッコー」と鳴いている。けれど紫苑はチラッと時計を一瞥しただけで気にしないようアイコンタクトを遣ってきた。言われるがまま静かにしていると、5秒ほど経ってから柳さんはゆっくりと目を開いた。
「うん、大丈夫だよ。」
「ありがとう、奈恵。では話を始めましょうか。」
「ちょっと待って紫苑。勝手に話を進める前に今のは何だったの?」
「それも含めてあとで話すから、一旦聞いてもらえる?」
「あ、はい。」
先程までの和気藹々とは打って変わって、紫苑は目を細めて圧のあるアルカイックスマイルで、柳さんも真面目モードの表情をしている。それに僕は気圧されるように頷いてしまった。
「まずは語、最近変わった体験とかした?」
「体験?」
「そう。例えば物が消えたとか、気づけば違う場所にいたとか。」
その言葉を聞いてどきっとした。心当たりといえば、それはもちろん僕の後ろにある喫茶店の玄関扉だ。倉庫に魔法の扉を開いたら玄関扉まで転移させられた話だ。ただこれは勝手に話して良いものなのか、僕ひとりでは判断がつかない。ちらっと祖父の方を見たけれど、祖父はカップを洗っていて目線が合わない。どうしようものか。
悟られないように澄ました顔で紫苑に目線を戻すと、紫苑もまた澄ました顔をしていた。少なくとも昨日の扉の一件はそう易々と他人に話して良いことではないだろうから、僕はおずおずと目線を斜め下に向けて話したくない気まずさを表出した。
それを見た紫苑は「そう。」とポツリと呟いた。どうやら意図を汲み取ってくれたようだ、と思っていたのは僕の安易な考えに過ぎなかった。
「語、何かあったのよね。もし必要ならお爺さんを呼んでも良いわよ。」
「特に今、相談するようなことはないよ。」
紫苑は追及を止めてくれなかった。それは確実に僕の演技から意図を読み取った上で、あえての選択なのだろう。それでもやはり話していい内容ではないので、僕はやんわりと断った。
「真剣に聞いているのだけど。」
「その配慮はありがとう。ただ僕の中で整理がついていないから、改めて相談したい。」
「今、話してくれないのかしら。」
「ちょっと待ってほしい。」
「そう。」
頑なに打ち明けないことを悟ると、紫苑は僕への追求は案外にもあっさりと諦めてくれた。ただそれはイコールで全く追求しないということではなかった。シオンは突然テーブル軽く身を乗り出して、それから「お爺さん、少し良いかしら?」と声をかける。すると先程まで目線が合わなかった祖父がこっちを見て、「おおっ、ちょっと待ってね。」と感嘆まじりにカップを洗う手を止めた。本丸が動じないからと外堀を埋めに来た。やっぱり紫苑はこういう人間なのだ。
「やはり紫苑ちゃんかい。よくこんなに上手くできるものだね。あともう一つは柳さんかな?」
「ありがとうございます。」
仕事を止めた祖父は何か褒め言葉を述べて、対する紫苑は恭しく答えている。ただ何が上手いのかよくわからない。柳さんも軽く頭を下げてお礼を表しているあたりから、僕だけが理解できていないらしい。わからないまま祖父に顔を向けると、祖父も僕と目を合わせた。それから祖父の目は僕と紫苑を何度か行ったり来たりした。
「紫苑ちゃん、聞きたいことは語から魔法の気配がすることかね?」
「はい。」
紫苑の肯定に「そうかい、そうかい。」と、祖父は口癖を呟いた。
「じいちゃん?」
「語、大丈夫だよ。紫苑ちゃんが綺麗に魔法を掛けてくれたから周囲には聞こえてないよ。」
僕は祖父に他人に話しても良いのかという含意で声を掛けると、思いもよらない返答が来た。僕は目の前の二人に話しても良いのかと訊いたのに、祖父は二人ではなく周囲に聞こえても良いと答えたのだ。あまりの跳躍に理解に数秒を要してしまった。つまり祖父は逆説的にだが、目の前の二人には魔法の話を聞かれても良いと思っているのだ。なにより紫苑が魔法を使ったという点は聞き捨てならない。
「じいちゃん、ちょっと整理させて。」
「うん。」
「まず二人に昨日のことは話して良いということなんだよね?」
「ああ、そうだよ。」
「次に紫苑が魔法を掛けたってどういうこと?」
「それは紫苑ちゃん本人から聞くのが良さそうだね。語に詳しく話してくれるかい?」
「はい。そのつもりです。」
紫苑は返事する。それを聞いた祖父は紫苑に向けて話を続ける。
「ありがとう。話を戻すと、語はどうやら昨日のどこかの時点で杏さんから魔法の一部を引き継いだらしい。まだ詳細はわからないけど、杏さんの魔道具の後継者になったことは確かでね。杏さんと私しか使えなかった魔道具を使えてしまったんだ。」
「それはお婆様の魔法を使って語が何かしたのではなく、語自身の能力で魔道具を使ったという認識ですか。」
「そうだね。」
「ありがとうございます。」
紫苑は考え込むようにカップを手にとってアールグレイを口に注ぎ込む。香りを楽しんでいるのか悩んでいるのかわからないけれど、少し大きめに鼻と口を使って息を吐いた。その表情は神妙だ。そのせいかこの卓の空気は、さっきの柳さんの弄りと打って変わって重く感じてしまう。ほら、柳さんだって真面目モードだ。ただ祖父だけは相変わらず穏やかな表情のままで、僕の方を向いて優しく言った。
「語、まずは昨日のことを話してあげなさい。きっと二人は語の悩みを手助けしてくれると思うよ。」
「う、うん。」
「それじゃあ私は仕事に戻るよ。また何かあったら呼んでね。」
祖父と紫苑のやりとりに呆気を取られていた僕は、とりあえず相槌を打つように返事をした。
僕は理解が進まないながらテーブルに向き直ると、紫苑も改めて僕に向き直した。
「そういうわけだから、話しましょうか。」
「あ、はい。」
「お爺さんの言うとおり、私たち二人はいわゆる魔女なの。つまりあなたのお婆様と同じ類の人間ということ。まずはそれを理解してほしいの。」
「柳さんも、なんだ。」
「ええ、奈恵もなのよ。まず私は認知に関する魔法を使えるの。さっきお爺さんが言ったように、今も私は認識阻害の魔法を掛けていて周囲には聞こえないわ。さっき語がお爺さん目線を送っても気付いてもらえなかったのに、私が声かけしたら即座に反応したのもそういうこと。それから奈恵の魔法は察知能力といえば良いかしら。さっきの瞑想は周辺に魔法使いや仕掛けがないか確認してもらっていたの。」
「はぁ。」
昨日は然り、今日もまた分からないことばかり起こる。落ち着こう、自分。僕は昨日の一件からある学びを得ているはずだ。それは魔法のような超越的なことは論理的思考で理解できないこと。だからありのまま受け入れて、あとは経験則で確認するしかないということだ。
その前提で話を整理しよう。二人とも魔女らしい。昨日の祖父の話に沿えば、祖母と同じ類の人間だということだ。
まず紫苑は認知の魔法を今も使っている確かに周囲をみると、僕たちは不穏で出鱈目な話を堂々としているのに、誰も訝しげたり注意を寄せていたりする素振りがない。
次に柳さんは察知能力に長けているらしく、魔法の痕跡か何かを探っていたようだ。こちらは本当かわからない。内心をぶっちゃけてしまえば、柳スペシャルを頬張るこの人も魔女だというのが信じられない。そう思って疑わしさを隠しながら柳さんに目線を遣ると、いきなり柳さんが物言いたげな目で「なに?」と言ってきた。これが察知能力なのか。
「ええと、柳さんも魔法を使えるんだよね?」
「そうだよ。疑っているの? そもそも今こうやって3人で話しているのは、かたるんから魔法の気配を察知したからなんだけど。」
「そうなの?」
「うん。今朝にね、2Dの教室あたりで変な気配がしたんだよ。元々かたるんのお爺さんが魔法と関わりがあることを知っているから、もしかしたら、かたるんの魔法じゃないかと思ったんだ。それもあって、しーちゃんの生徒会長権限で放課後に呼び出してもらってみたら吃驚、実際会ってみたらドンピシャだったってわけ。」
「奈恵の言うとおりよ。それで生徒会室を出るとき、奈恵から私に相談があるって仄めかしていたでしょう? あれは奈恵が確信したから話そうってことだったの。でも折角なら、お爺さんのいる喫茶店で本人も交えて話すのが手取り早いと思ったのよ。」
「そーゆーこと、かたるん。」
そう言って再び柳スペシャルを頬張り始める。その姿からは説得力が皆無だけど能力は確からしい。兎にも角にも、昨日の学びに沿って考えれば、二人が魔法を使えることを受け入れるほかない。なぜなら目の前では紫苑がまさに、不思議な事象を引き起こしているわけだし、柳さんの話も真実はともかく筋は通っている。それに生徒会室に呼び出したところから、さきほどの紫苑の何かあったのかという質問までの経緯が繋がった。
昨日の今日なので、まだ論理的な自分自身がこの状況を完全に飲み込めてはいない。ただ抗ったところで魔法はそれを突き破ってくるのだから、理詰めで勝負を挑んだって仕方ないのだ。
「もう頭が痛くなるよ。」
「それはそうね。魔法なんて科学的思考をする現代人には到底納得できないことだらけだもの。ましてやお爺さんの話を聞く限り、魔法を知ったのは昨日だったんでしょう?」
「そうだよ、あの時は混乱した。」
「そう。それでもこうやって一晩で整理できるのって、語の凄いところよ。」
「へ?」
「だから、そういうところが素敵。」
いつもは意地悪なことばかり言ってくるのに、突然褒めてきた。頭の中が煮えきらない中でそんなことを言われたせいで、どうもむず痒い感覚に陥ってしまう。
「うわ、かたるん照れてるー。」
「うるさい。」
「へへ、折角だから『あーん♡』してあげよっか。」
「だから、いらん。」
一番嫌なタイミングで柳さんがいじってきた。それはさすがにタチが悪い。ただでさえ追いつかない思考と紫苑のこそばゆさで狼狽しているのに、柳さんのノイズのせいでもう居た堪れなくなる。
「その辺にしてあげて、奈恵。」
「ははは、調子に乗りすぎたかな。ごめんね。」
僕は目線を二人から明らかに逸らして、飲み慣れたアイスコーヒーを口にした。




