01 無職になってしまった
大学の就職活動で内定をもらってから、ずっと同じ会社で働いてきた。
友達からは「ブラックすぎるだろ」と何度も言われた。終電帰りは当たり前、休日出勤も珍しくない。それでも、仕事があるだけまだマシだと自分に言い聞かせて働き続けてきた。
――その会社が、先月倒産した。
働き詰めだったおかげで、皮肉なことに金を使う暇もなく、それなりに貯金はある。しばらくは食うに困らない。
困らない、のだが……。
「これも、時代なのかもな」
スマホのディスプレイには、もう何度目かわからない定型文が表示されていた。
『慎重に選考を重ねました結果、誠に残念ながら――今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます』
まだ三十を過ぎたばかりだからと、楽観しすぎていたのかもしれない。
会社が潰れて無職になり、再就職のために片っ端から面接を受けた。だが、採用してくれる会社は一社もなかった。
「……またダメだったか」
今回は最終面接まで残っていた。手応えもあった。だからこそ、期待が大きかった分だけ落胆も大きい。
大学の頃はあっさり内定が出たのに、中途採用となるとこうも厳しいものなのか。
ため息と一緒に、手からスマホが滑り落ちて、テーブルの上でカタンと音を立てた。
駅前のハンバーガーショップ。二階の窓際の席から、ぼーっと通りを眺める。
楽しそうに笑い合いながら歩いていく学生たち。
その脇を、誰よりも速い足取りで追い越していくスーツ姿の男性。
そのどちらもが、かつての俺だった。
「おい、どした? ずいぶんと浮かない顔してるじゃないか」
後ろから声がした。
聞き覚えのある声に振り返ると、懐かしい人が立っていた。
左手を軽く上げて挨拶されて、俺は釣られるように小さく頭を下げる。
その人は持っていたトレイを俺のテーブルに置くと、当然のような顔で隣に座った。
そして、俺が注文していたフライドポテトを一本つまんで、口に放り込む。
……いや、自分のトレイにも同じものがあるだろう。そっちを食べろよ。なんでわざわざ冷めてる方を。
「あ……先輩。お久しぶりです」
「おぅ」
返事をしながらも、ポテトをつまむ手は止まらない。
俺のポテトが半分ほど彼女の胃袋に消えたところで、今度は俺のコーラに手が伸びた。ストローから、ちゅーっと遠慮のない音がする。
「ふぅ……で、元気ないけど、どした? 彼女にでも振られたか?」
彼女に振られる、か。
そんな相手がいたことがないから想像するしかないが……仕事さえあれば、多少は気も紛れるだろう。少なくとも、今よりは気が楽な気がする。
「彼女がいたことは、今までに一度もないですけどね。むしろそっちのほうが、気が楽でよかったです」
自嘲気味にそう言って先輩を見ると、先輩は口角をにやりと上げた。
咥えていたポテトを半分かじり、残りを俺の口元に突きつけてくる。
「しょうがない。この心優しいお姉さんが、相談に乗ってやろうではないか」
以前の俺だったら、その言葉のどこに「心優しい」要素があるのかと、即座に訂正を求めていただろう。
吉沢 静。
大学時代に知り合った、二つ上の先輩だ。
「しずか」という名前とは裏腹に、とにかく騒がしい人で、いつもサークルの輪の中心にいた。
中心というか……逆らうと色々と面倒なので、誰も逆らわなかったというのが正しい。先輩のことを思い返すと、真っ先に握り拳をちらつかせている光景が蘇る。
学生時代は、今のようなボブカットではなかった。
「静」という名前にぴったりの艶やかな長い黒髪に、誰もが振り返る整った顔立ち。黙っていれば、本当に深窓の令嬢そのものだった。
当然、数えきれないほどの男たちが告白をした。そして、玉砕した。
玉砕した男たちは、全員が俺と同じ感想を抱いたことだろう。
呼び出された先輩は、「ごめんなさい」の一言で済ませればいいものを、
「はっきり喋れ」
「チャラチャラするな」
「目を見て言え」
と、予想外の説教と反撃を繰り出し、最終的に男たちは腹を押さえてうずくまることになるのだ。
――この人は、駄目な人だ、と。
「どう見ても、私に喧嘩を売ってる目だね。今思ってることを正直に口にすれば、グー一発で済ませてあげるよ」
昔のことを思い出していたせいで、俺の目から何かを察したらしい。
俺は逃げるようにハンバーガーの包みを開けて、一口かじった。放置していたせいで、すっかり冷めていてあまり美味しくない。
それで見逃してくれないのが、先輩という人だ。
俺の視界に入るように左手を突き出し、にぎにぎと何度も握り拳を作ってみせる。
まずい。何か言わないと、脇腹に一発食らう。
こういうところを直さないと、嫁の貰い手が――。
そう思った瞬間、目の前の拳がふっと消えた。
嫌な予感がして、窓ガラスに目をやる。
ガラスに映った先輩の目が、完全に獲物を狙う目をしていた。
「いえいえいえ! 先輩は相変わらずきれいだなと思って! むしろ学生の頃とは比べ物にならないくらいで、目の前にいるだけで心臓がバクバクですよ。本当ですよ!」
ハンバーガーショップで口にするような言葉ではないかもしれない。
だが、周りの客に誤解されるより、一撃を食らうほうがよっぽど困る。先輩は空手の有段者だ。軽い一発でも、普通に痛い。
「えっ」
とはいえ、こういうときにお世辞でやり過ごすのは、学生時代からのお決まりのパターンだった。
いつもなら「わかればよろしい」と肩をバシッと叩かれて、笑い話で終わるはずだ。
……はずなのだが、なぜ、もじもじしている?
「あー、いやいや……」
「先輩?」
先輩は手をパタパタと振っている。
照れて顔を扇いでいるのならまだわかる。だが、なぜ頭の上を扇いでいるんだ?
先輩はわざとらしく咳払いをすると、俺のコーラを手に取って残りを一気に吸い上げた。ズズッ、と底をさらう音がする。
結局、最後まで飲み干されたか……。
「そ、それで。落ち込んでる理由を聞かせてもらおうか」
俺は会社が倒産してから今日までのことを、かいつまんで話した。
だが、この人は本当に話を聞く気があるのだろうか。
ふんふんと相づちを打ちながら、自分のハンバーガーを黙々と食べ進めている。
「――というわけで、今日もダメでした。本当に、再就職ってなかなか見つからないものですね」
「なるほどな……」
先輩は最後の一口を飲み込み、紙ナプキンで口元を拭った。
「なら、うちに来るといい」
テーブルの上に、すっと一枚の名刺が置かれた。
ふんす、と荒い鼻息が聞こえる。自信満々のときに出るこの鼻息も、昔とちっとも変わっていない。
「出勤時間は朝九時。これは人質として預かっておく。片付けもよろしく頼んだよ」
「ちょっと、先輩!?」
気づいたときには、テーブルに置いていた俺のスマホが先輩の手に収まっていた。
先輩はそれを胸ポケットにしまうと、店の階段をダッシュで駆け下りていった。
速い。三十を過ぎても、相変わらず足が速い。
「……相変わらず、強引な人だな」
サークルの飲み会や合宿に強制参加させるとき、先輩がよく使っていた手口だ。
学生時代なら笑って許されたことでも、今やったら完全に犯罪なのだが、わかっているのだろうか。
というか、まさか俺以外の人間にもやっていないだろうな?
名刺を内ポケットにしまい、二人分のトレイを片付けてから店を出た。
帰りに本屋で今週の求人誌を買い、スーパーで数日分の食材を買ってアパートに帰る。
電気ケトルでお湯を沸かしている間に、パソコンの前に先輩の名刺を置いた。
株式会社――。その下に、「代表取締役 吉沢静」の文字。
「代表取締役ってことは……先輩、起業したのか?」
あの人なら、それもありえるかと納得できてしまう。
名刺に書かれた住所を地図サイトで検索してみる。
ストリートビューに切り替えると、画面に映ったのは、外壁にひびの入った、いかにも年季の入った雑居ビルだった。
看板の文字も半分剥げかけている。
「…………」
本当に雇ってくれるのだとしても、この状況を見ると、お世話になっていいものか躊躇ってしまう。
昔から面倒見のいい人だ。俺が困っているのを見て、放っておけなかったのだろう。
でも、俺を雇ったことで、先輩の会社に余計な負担をかけてしまう可能性だってある。
明日はスマホだけ返してもらって、丁重にお断りしたほうがいいのかもしれない。
カップ麺にお湯を注ぎながら、俺はもう一度、名刺の名前を指でなぞった。




