Episode.5 - 夢を食べる少女
ショートホームルームが終わり放課後。
「やあやあ蔓見くん、ご機嫌いかがかな?」
スクールバッグを右肩に掛けた曙さんが、再び俺の席へと訪れていた。のっけからテンションが高いなあと感じながら適当に受け流す。すると、そんな俺の返答に対して「ノリ悪いなあ」とぼやきながら、既に帰宅した前席に腰を下ろした。
「ねえ蔓見くん」
俺の机に両手で頬杖を付きながら続けた。
「なんですか」
「今日これから、君の家に寄っていいかな」
「.........え?」
一瞬、彼女が何を言ったのかを咀嚼することができなかった。次第にゆっくり氷解するように言葉の意味が脳に溶け出していくも、どちらにせよ意味が分からない。突然何を言い出すんだこの子は。
俺と絡もうとするだけでも十分に訳が分からないのに、その上出会ったその日に俺の家に来ようとする......新手の詐欺か何かだろうか?
いやまあ、詐欺は言い過ぎだとしても、さすがにこの何も分からない状態で首を縦に振るのは良くない気がした。素直にそれを曙さんに告げると、「まあ、確かにそうかも」と同意を示してくれた。
「じゃあ、君が思ってる疑問をここで解決しよう。そうしたら、君の家に行かせてくれる?」
「その結果、怪しくなかったら、ですけどね」
「............」
「どうしたんですか?」
さあこれからというところで、あれだけ言葉を発していた曙さんはだんまりになってしまった。何故だか知らないが、こちらにジトッとした目線を向けている。ええと、何かしてしまっただろうか。
「ねえ、さっきから——というかずっとだけど、なんで敬語使ってるの?」
「え、あー......」
確かに言われてみればそうだ。いくら初対面とは言えど、クラスメイト相手にここまで堅苦しい敬語は普通使わない。そう、普通は。しかし彼女との出会いは夢の中で、あの時はまだ、彼女が知人かどうかすら分からなかったから敬語で話しかけたんだ。......まあ、今考えれば夢の中だし別にそんなことしなくても良かったんだろうけど。
して、言葉や表情から察するに、彼女はそれを直してほしいと。正直、俺的にはこのままでも良いんじゃないかと思っているのだが、変に拗ねられたら面倒だし従っておくのが一番なのだろう。
「ごめん、これでいいかな」
すると、曙さんはご満悦な表情を浮かべた。最初からタメ口だと何も思わないのに、途中で切り替えると何だか恥ずかしいな......。
「よし、それじゃあこっちの疑問も解決したところで、本題に入ろうか」
教室内にいる人間の数がまばらになってきた頃、ようやく説明会が始まる。
「改めてだけど、私は他人の夢の中に入ることができるんだ。いったいそれがどういう原理のものなのかは分からないけど、物心ついた時から無意識にできるようになってた」
原理、分からないんだ。......いや、そんなことあるか?
「じゃあ曙さんはどうやって俺の夢に入り込んだの?」
そう問うと、彼女は「考えたこともなかった」と言わんばかりの表情を浮かべたと思えば、深い思考に沈んでいった。やがて顔を上げ口を開くも、その表情はどこかはっきりとしない。
「えーとね、私も夢の中にいたからはっきりと覚えてるわけじゃないんだけど。こう、ふわふわーと夢の世界を揺蕩ってる時に、色んな人の夢の世界が見えてくるの。今日はそこに良さそうな君の夢があったから、泳ぐようにして近づいて、そのまま飛び込んでいったの」
......困ったことに、何一つ言っていることがわからない。
まあ、『夢の中に入り込む』などとよく分からないことの説明を受けているのだから、理解できないことの一つや二つはあるだろうと身構えていたのだが、冒頭からここまで理解不能だとは思わなかった。
とはいえ、曙さんのこの説明も思考の末に絞り出されたものだろうし、これ以上詳細な解説も望めないだろう。仕方がない、理解は放棄して表面上の言葉だけ仕舞っておこう。
「『色んな人の夢の世界が見える』って言うけど、具体的には?」
「うーん、ほんとに『色んな人』。それこそ蔓見くんみたいに居眠りしてるクラスメイトだったり、時には全く知らない人の夢が現れることもあるよ」
なるほど、動画投稿サイトのホーム画面みたいな感じだろうか。違うかもしれないが理解が楽だしそういうことにしておく。
「それで、なんで俺の夢を選んだの?」
そんな無数に他人の夢が存在するのに、駅のホームでぼうっとしてるだけの夢を選ぶ必要があったのだろうか。
「やけにはっきりとした夢を見てたからねえ。まさか明晰夢だとは思わなかったけど」
「はあ、というと?」
「普通の人の夢って、もっとぼんやりとしたものなんだよ。世界がちゃんと形成されてなかったり、あまりにもでたらめだったり。そういう夢にも入り込むことはできるんだけどね。正直言うと......あんまり面白くない」
まあ確かに、聞いている感じ単なる暇つぶしなんだろうし、そんな時にぼやけた夢を見ても面白くないだろう。......だからといって、詳細すぎるものも困りものだけど。
「それに、そもそもこの時間帯って夢を見てる——というか、寝てる人が少ないし」
「あ、世界中の誰のものでも入り込めるわけでもないんだ」
「まあね、そこら辺は私にもよく分からないんだけど。自分から無意識のうちに遠ざけてるのかな......私、英語とかダメダメだし」
あはは、と笑ってみせる曙さん。果たして問題はそこなのだろうか?
「まあ、ともかく一通りのことは分かった。......分かった? いや把握したの方が正しいかな。あと気になっていたことと言えば——」
そう言って、夢を思い出しながら質問を考えていると、突然目の前から、くう、というなんとも可愛らしい腹の音が聞こえてくる。
「ご、ごめん、お話の途中なのに」
その音の主は、顔を赤くし、若干天板へと視線を落とした。
そういえば、曙さんは夢の中で『お腹がペコペコだ』と言っていたな。新学期初日だし、何かとおっちょこちょいなところがありそうな子だし、寝坊でもしてしまったのだろうか。
その言葉を夢の中で俺に告げた意図は未だによくわからないが。とりあえず......
「先にお昼ご飯にしようか。ええと、この学校も学食とかあるよね?」
母さんには『家で食べる』と言ってしまったような気もするが、まあ、今メッセージでも入れればまだ間に合うだろう。
「あっ、ちょっ、ちょっと待って、蔓見くん」
俺が言葉を発するとほぼ同時に立ち上がろうとするも、彼女はそれを、少し慌てたように制止した。何だろうか。まさか学食がない......なんてことはないか、さすがに。
中腰の姿勢で曙さんの次なる言葉を待つも、それはなかなか紡がれない。どのような言葉を選ぼうかと悩んでいる様子を見せている。
結局それは十秒程度続き、彼女は謝罪をしてから言葉を続けた。
「......私ね、実はご飯が食べられないんだ」
「えっ——」
予想していなかった方向から言葉が投げられ、返答の言葉が上手く出てこない。
それはつまり、拒食症などの摂食障害ということ? だとしたら、知らなかったとは言え話題に出すのは良くないことだろう。
「あ、ああ、そうなんだ。ごめん、次からは話題に気を——」
「ご、ごめん! さっきから説明が下手くそで本当にごめん! 多分君が考えてるようなことじゃあないんだ。ちゃんと説明したいから、とりあえず、座ってくれるかな......?」
しかし、俺の言葉を遮るようにして、先ほどよりもより慌てたような様子で曙さんはそう告げた。端から端までよくわからないが、とりあえず彼女の言うことを聞こうと、怪訝な顔をしながらもゆっくりと席に腰を下ろす。
その様子を見て少し安堵した様子の曙さんは、小さく息を吐く。
「ほんと、ごめんね。今まで人に説明したことがなかったからどういう風に進めていいかわからなくて......」
「そ、そっか。いやまあ、ちゃんと説明してくれるなら何も言わないけど......こっちこそ早とちりしてごめん」
お互いが謝りあって、それからどう話を続けて良いかわからず口ごもる。それを破ったのは曙さんだった。
「と、とにかく。私はみんなと同じような食べ物は食べられないの。でも、それじゃあ栄養が足りなくて死んじゃう。だから私は、食べ物の代わりに——」
突然、彼女はそこで言葉を止めた。今までは慌てたり呆れたりしながらも笑みを絶やさなかった曙さんだったが、その瞬間だけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。それはすぐに崩されたが、妙に苦しそうなその顔は印象的で、脳裏にこびり付いた。
曙さんは、閉じかけた口をゆっくりと開けて言う。
「——夢を、食べるの」




