Episode.41 - 試練
俺と双葉が乗る小さなゴンドラは、静かに、そしてゆっくりと上昇し、視界の端に映る街の景色は小さくなっていく。
間違えようがない。ここは、あの日の観覧車だった。
現実で一回、そして夢の中でも一回、この景色を見たことがある。
「あの時の夢は、そういう意味だったのか」
曙さんと水族館へ行った日に見た同様の夢も、きっと、俺に思い出させたかった未練は同じものだったのだろう。......このレベルの舞台が揃っていたのなら、やはり思いつくべきだと思わなくもないが、まあ、あの時はあの時で気が動転していたし、仕方がない部分もあるのかなあ。
さて、そんなことよりも。俺が向き合わなければならないのは今目の前にいる双葉だ。
少なくとも、『未練』として俺の夢の中に現れるのはこれで最後——ああ、いや。今後も曙さんに夢をあげ続けることを考えたら、真に彼女と逢えるのはこれで最後なのかもしれない。
依然として上昇を続けるゴンドラで、今一度俺がしなければならないことを整理する。
感謝や謝罪、恋情。そして、彼女の死を改めて認めること。恋情以外は普段からも口にしていたし、そこまで膨大な量にはならないだろうが、だからこそあまり言葉がまとまらない。
常日頃から言っていた言葉とはまた違った、『こういう時』に言うべきものが、俺の頭の中で少しずつ形になっていく。
やがて、観覧車が最高点に達したあたりで、俺はようやく口を開こうとした
。
——だが、それより先に、双葉が口を開く。その表情はどこか悲しく、苦しそうだった。
「......ねえ、穂月。『さよなら』を言う前に、一つだけ見せたいものがあるの」
彼女はそう言うと、パチンと指を鳴らした。
その瞬間、世界が暗転する。
◆ ◆ ◆
気がつくと、俺は見覚えのある交差点に立っていた。
あの日の、あの場所。夕暮れに染まった横断歩道。信号は赤に変わったばかりで、俺の隣には制服姿の双葉がいる。
——これは、あの事故の直前だ。
「双葉......?」
「見てて」
双葉は指を差す。その先には、青信号になった瞬間に横断歩道へと飛び出そうとする俺たち——いや、あの日の俺たちの姿があった。また、俺にあの景色を見せようと言うのか? それで、いったい何をどうしようというのか?
そう考えながら、次なる現象を身構える。
だが、今回は何かが違う。
横から走ってくるはずだった車は、不自然に手前で止まった。まるで見えない壁に阻まれたかのように。
「え......?」
俺は呆然とその光景を見つめる。
あの日の俺たちは、何事もなかったかのように横断歩道を渡り終え、そのまま笑いながら歩き去っていく。
「君は、これが見たかったんでしょう? これが欲しかったんでしょう?」
双葉がそう告げる。その次の瞬間、視界は再び揺らぎ、景色が変わった。
次に映し出されたのは、大学のキャンパスだった。
そこには、大人になった俺と双葉がいた。俺はスーツ姿で、双葉は白いワンピースを着ている。二人は手を繋いで、笑いながら歩いている。
「......何が、言いたいんだ」
「穂月が一生背負い続けるはずの罪悪感。私を救えなかった後悔。......ここなら、それを全部なかったことにできるよ」
双葉は、優しく、けれどどこか冷たい笑みを浮かべていた。
しかしなぜ、今になってそんなことを言い出す?
「車は止まった。私は死ななかった。穂月は私を『見殺し』にしなかった。......こっちの世界なら、君は何も背負わなくていい」
その言葉は、俺の心の一番深いところを抉るように刺さった。
確かに、俺はずっとそれを願っていた。あの瞬間に手を伸ばしていれば。あと一秒早く気づいていれば。そんな後悔を、二年間ずっと抱え続けてきたのだ。
「......でも」
俺は、なんとか言葉を絞り出す。
「これは、本当の未来じゃない」
「そうだよ。でも、この夢の中でなら、本当にできる。私と一緒に、ずっとこの『もしも』の世界で生きていくことが」
双葉は一歩近づく。
「外に出たら、どうせまた罪悪感が君を蝕む。『救えなかった』という事実は、どうやっても消えずに毎日君を苦しめる。......それでも、帰りたいの?」
俺は言葉に詰まった。
彼女の言葉には、反論の余地がない。だって、それは俺自身がずっと恐れていたことだから。
視界が再び揺らぐ。今度は『もしも』の世界がさらに進んでいた。結婚式。子供が生まれる瞬間。家族で海に行く光景。
——俺が、永遠に手に入れられなかった未来。
「ここにいれば、全部叶うよ」
そんなどこまでも甘く優しい声と、ひどく冷酷で底を見つめる双眸は、俺の脳裏にしつこく焼き付いた。
◆ ◆ ◆




