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Episode.36 - 失敗

 それから、私があの日の夜に整理した感情について、私の思考を赤裸々に語った。

 穂月くんに対して、感謝や寂しさ、恋情に近い何かを抱いていること。


 穂月くんと出逢って、単なる会話から学校生活、お出かけなど、今までは夢の中で見ているしかなかった様々な経験をすることができて楽しかったこと。

 そして、穂月くんとともに、もっと色々なことを経験したいと強く感じたこと。


「私は双葉ちゃんの代わりにはなれないけれど。君が双葉ちゃんを重ねた張りぼての私も、もう演じることができないけれど。それでも、新しく見つけた『私』が、君をちゃんと支えると約束する。それくらいに、君のことが大切だから」


 穂月くんはなかなか言葉を返してくれない。不安に駆られながらも、なんとか言葉を続ける。


「現実世界は、ここみたいに楽しいことばかりじゃないかもしれない。人間関係とか、進路とか......大切な人の面影とか、乗り越えなければならない壁もいっぱいある。

 でも、それ以上に楽しいこと、嬉しいことも、あると思うんだ」


 確かに、この夢の世界は幸せで楽しいのかもしれない。

 でも、時間的な動きが何も無いのだ。日が昇って沈んでいるように見せかけて、毎日毎日同じようなことの繰り返し。正負にかかわらず何のイベントも起こらず、ただただ波のない日常が繰り広げられている。私が『ぬるま湯』と表現したのもそのせいだった。


 現実世界の荒波に飲み込まれた彼が、そういう平和を所望していることはとてもよく分かる。......でも、やっぱりそれは、人間として駄目だと思う。

 今までずっとそんな状態だった私だからこそ、力強くそう言える。


「それが何か分からない、見つけられないというのなら、穂月くんが私にしてくれたのと同じように、私が引っ張ってあげる。......私に務まるかどうかはちょっと不安だけどね」


 そこまで言って、私は大きく息を吸い込んだ。


「だからさ、穂月くん。......一緒に帰ろう?」


 真っ直ぐ彼の目を捉えて、その瞳に訴えかける。

 途中端折ったりしてしまったけれど、私の言いたいことはちゃんと伝わっただろうか。デリケートな部分に触れる以上、そんなことばかりを気にしてしまう。


 微妙に変化する彼の表情にどぎまぎしながら、じっと言葉を待ち続ける。

 返答が来るまでに要した時間は十秒程度であったが、それよりもずっと長く感じられた。


「急なことが多すぎて何から言えば良いかまだ分からないんだけど......まず——俺が曙さんの前を向くきっかけになれたと聞いて、すごく嬉しい。正直、あの時の俺はただがむしゃらに動いてて、むしろ迷惑をかけてばかりだと思っていたから」


 さっきから硬い表情を浮かべていた穂月くんが、初めて解れた笑みを浮かべた。何だか焦らされている感じがするが、それでも、その柔らかい表情を見て少しだけ心が安らぐ自分もいた。


「それで......その現実世界に帰ろうって話だったよね」


 ゆっくりと首肯し、その言葉の続きを待つ。もしここが現実なら、心臓がバクバクと煩く脈打っていることだろう。それくらいに緊張が募っている。

 この世界の授業時間なんかよりもずっと長く感じられるほどの時間が過ぎた頃、面前から言葉が発される。


 思わず、少し逸らしてしまっていた視線を上げた。何となく表情から察することができるから見まいとしていたが、緊張と待ち遠しさからつい反応してしまった。

 どこか俯き気味で影がかかっている顔が視界に映る。


 その双眸は鋭く、唇は一文字に結ばれており、お世辞にも柔らかい表情だなんて言えなかった。


 .........ああ、なるほどね。

 彼からの言葉を咀嚼せずとも、その言葉の意味は何となく分かってしまった。

 少し遅れて、私の頭にその声が届く。


「......ごめん、ちょっと急すぎて思考の整理がつかないから、結論を出すのはもう少し待ってくれないかな」


 ......現実を思い出した上で、彼がそう言うのなら。


「うん、わかった。そうだよね。こっちこそ、急いじゃってごめんね」


私は、そう言うしかなかった。

 しばらく沈黙の時間が続く。他のことに意識が向いているせいか、不思議と気まずさは感じなかった。

 しかし、穂月くんはそうでもないようで、後ろ髪をくしゃりと掻いたかと思えば、「本当にごめん」とだけ告げ、踵を返して学校側へと行こうとしてしまう。彼も元気はないのだろう。その背中は本当に少しずつ小さくなっていった。


 これ以上何を言っても意味が無いと思いながらも、その背中を見ていると、どうしてもずっと頭に渦巻いていた言葉が口をついて出た。


「ねえ、穂月くん」


 彼は上半身だけをこちらに向ける。その双眸は、心なしか冷たい。


「私はずっと待ってるから。......気が変わったら、いつでも来てね」



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