Episode.32 - 今更知った『自分』
......なんて言ってみたりするものの、その実何か変わったことをしたわけではない。したことといえば、ただただ二人とお話をしていただけ。ただ、喋る頻度や量を増やしたり、自分の発言や彼らの発言に対する心象を逐一フィードバックしたり、双葉ちゃんと二人きりの時には、彼女にも同様のことをやってもらい、自分と彼女の差異を見つけたり等々、色々と工夫を凝らしてみた。
他の人にとっては大したことじゃないかもしれないが、私にはとても新鮮に感じられた。
まあ、たったこれだけで『自我が形成された』なんて言うのはさすがに烏滸がましいだろうけど、それでも、少しは見えてくるものもあって。
その中でも一番大切なのが、双葉ちゃんや穂月くんなど人間に対する感情。
つい先日まではどこからどこまでが自分の感情なのかがわからずにいたが、一つずつじっくりと整理したら、ようやく少し理解できた気がするのだ。
双葉ちゃんに対する主な感情は『羨望』。ただし、それはあくまでこの世界の双葉ちゃんに対するものだけれど。
彼女と共に喋ったり、穂月くんと喋っている姿を見て、『私もこんな人間になれたらいいな』と何度も思った。でもきっと、何をどうやっても私は双葉ちゃんにはなれないし、全く同じ存在になりたいかと言われると、そうでもない。だから、あくまで憧れに過ぎないのだろう。
そして、穂月くんに対する感情。
こちらに関しては、この夢の中であった会話だけでなく、始業式の日から彼が長い眠りに落ちた日までのことも含めて、丁寧に振り返った。現実に居た時も、『私』が無かったとはいえ、全く何も感じていなかった訳ではない。
本当に子供じみた感想だが、楽しかった。誰かの皮を借りて話すだけでも、他人とコミュニケーションを取ることに対して嬉しさを知り、感じることができたのだ。
そして、俗に言う『学校生活』というもののほんの一端も教えてもらった。授業中にペアを組んだり、休み時間にお喋りしたり、一緒にお昼ご飯を食べたり、帰路についたり、エトセトラ、エトセトラ。
夢の中では指を咥えて見るしかなかった世界を、実際に彼が教えてくれた。
そういう点を考えると、彼に抱く最も大きなものは『感謝』なのかもしれない。
でも、もちろんそれだけではない。彼に対しては本当に様々な感情を抱えている。まあ、両親以外で初めてまともに関係を持った人だから、それも仕方のないことなのかもしれないが。......なんだか私、刷り込みをされた雛みたいだなあ。
まあ、それはともかくとして。
感謝の他で今一番大きいものは『寂しさ』だろうか。
私に色んなことを教えてくれたり、前を向くきっかけを与えてくれた彼が、現実のことを覚えておらず真後ろを向いて歩いているのを見ると、心が締め付けられるような寂しさを覚える。
彼ともっと話したい。彼ともっと色々な経験をしたい。そしてその中で、もっと自分を、穂月くんのことを知りたいのに。
双葉ちゃんが言うには、それは恋情らしいが、私としては少し違う気がする。
ああ、いや、どうだろう。完全に違うわけでもないのかもしれない。
強いて言葉を探すとすれば......またもや双葉ちゃんの言葉の引用となるが、『気になっている』という表現が合っているだろう。
第一、穂月くんと出逢って実質まだ一ヶ月程度しか経っていない。きっと、穂月くんにはまだまだ私の知らない魅力が——あるいは、駄目なところがあるはず。それを知らずに『好き』なんて形容してしまっては、彼に失礼だ。
だから、今はあくまで『気になっている』だけ。それが昇華するかどうかは、まだ分からない。
......そんなこんなで、私は様々な感情を知った。
それはきっと、何も私だけの特別なものではないのだろう。誰だって人と話せば楽しいし、人から知らないことを教えてもらったら感謝する。一緒に居て楽しい相手には気持ちを寄せるし、そんな人に忘れられたら寂しくもなる。
でも、モンタージュで上っ面を飾っていただけのあの時とは決定的に違う。心底から感情を覚え、思考を揺さぶるこの感覚は、紛れもない私のものだった。
「......でも、困ったなあ」
夜の保健室で、一人ぽつりと言葉を零す。
嗚呼、本当に困ったことになった。
......これじゃあ、ますます穂月くんと共に現実へと帰りたくなってしまったじゃないか。
そのためには、まず彼にここが夢の世界であることを認識してもらわなければならないのだが、当初私が計画していた『信頼度を上げて話を信じてもらう』というのが無理だということは薄々感づいていた。
というのも、先述の通りここ最近は穂月くんとの会話も必然的に増えていたのだが、どれだけ話そうと、どれだけ私が『私』を得ようと、私に対する態度はあまり変化が無かったように思える。良くも悪くもただのクラスメイトという枠に留まっているのだ。
まあ、ここを夢だと思っていない彼にとっては、私もそこら辺で固まっているモブと同じような存在なのだろうし、仕方の無いことかもしれないけれど。
......しかし、それでは一つ困ることが発生する。
穂月くんに現実を思い出させる方法が、強行突破しかなくなるのだ。彼と初めて会った時と比べて、全くの他人からクラスメイトまでグレードアップしたとはいえ、その程度の間柄で『アレ』をカミングアウトするのは憚られる。
一端を述べただけでかなり不機嫌になったことを思い出すと、最悪の場合、好感度を地の底まで落とすだけになるかもしれない。
私の目標は、あくまでも彼と一緒に現実へ帰ること。それでは意味が無い。
「......何か、ないかな」
ごろごろと硬いベッドの上で無意味に寝返りを打ち、その動きと同期するように思考を巡らせる。
彼に現実を思い出させるためのフックが全く何もないとは思いづらい。というか、それならば双葉ちゃんがああ言ってくることもなかったはずだ。
信じたくなくとも信じなければならないほどに大きく強烈な、何か。
それからも数分間ずっと考え続け、やがて寝返りをする気力すら失われてしまって、大の字になり黒に染まった天井をぼうっと見上げる。その端には、うっすらと光が差していた。
彼の意識で進行するこの世界は、授業時間が短かったのと同じように、夜が極端に短い。彼らが帰宅し日が落ちてから、たった一、二時間程度で朝を迎えるのだ。
「ちょっと散歩でもしようかな」
もはや集中力も途切れてしまっていた私は、おもむろに身体を起こし、保健室を後にした。




