Episode.23 - いつも通りの——現実
「それにしても、すごいね穂月。今回の中間学年一位なんて」
記憶の整理から約一週間。今日も、いつもと何も変わらない日常を過ごしていた。
放課後、運動部の勇ましい掛け声が交差する中、俺と双葉は中庭のベンチで隣り合って座り談笑を繰り広げていた。
今の話題は、つい先日行われた中間テストの結果について。実のところ、ここ最近はあまり勉学に打ち込めておらず、解答中も手応えはなかったのだが、結果的には五教科の平均得点が九十一点で学年一位だったのだ。
件の夢の中では成績も芳しくなかったからほんの少しだけ心配してたのだが、やはり、ただの夢のようで心底から安堵した。
「ありがとう。......まあでも、双葉だって十分凄いでしょ」
そう言いながら、先ほど彼女が手渡してきた成績表に目を落とす。双葉は、総合点数こそ俺より低いものの、国語や英語などは満点近く、単体での得点なら俺よりも高い科目があった。
「それに社会なんて、平均四十一点なのに八十七点も取って。定期テストで偏差値七十五とか見たことないよ」
おそらく、偏差値ベースで見たら俺よりも数段凄いだろう。
すると、双葉はそんな俺の言葉に食いついた。リュックの中を漁り始めたかと思えば、一枚の紙を取り出して俺との距離をさらに詰めてくる。
「聞いてよ穂月、日本史酷かったんだよ? この問題とかさあ、資料集の端っこに書いてるらしくて、性格悪くない?」
若干頬を膨らませながら問題用紙を指さす。普段はあまり負の感情を顕わにしない彼女にしては珍しい言葉だった。それだけ自分が信用されているのだと考えると、少し嬉しくなる。
その後も共通の科目についての感想などを言い合っていると、あっという間に日が傾き始めた。さすがに話題も途切れ途切れになり、そろそろ帰宅しようかという空気感が流れ始めた頃、絞りかすのような話題をふと思いつき、何も考えずに投げる。
「そういえば、双葉は入りたい部活とかないの?」
俺たちは今年の春にこの高埜宮へと転校してきた。色々とドタバタしているうちに五月も下旬に差し掛かろうとしているが、まだ俺たちは部活に所属していない。一応諸々の説明と一緒に軽く触れられたが、体験会などに行っている暇もなかったのだ。
双葉は、転校前にはバドミントン部に入っていたはず。その理由は不明だが、練習や大会にはちゃんと行っていた様子だった。さすがにこの学校にもバドミントン部くらいはあるだろうし......。
「うーん、そうだねえ......まあ、強いて言えばバドミントン部かなあって思うけど」
「けど?」
「受験も考えたらあと一年ちょっとしかできないしさあ、こうやって、穂月とゆっくり過ごすのもいいかなって思うんだよね」
そう言いながらふっと息を零し、暖かな笑みをこちらに向けた。
「向こうにいた頃は勉強勉強って感じで、せっかく付き合ったのに何にもできてなかったじゃん。だから、色んなところ行きたいよねえ。......ね、穂月はどう?」
まったりとしたハスキーボイスに聞き惚れていると、不意にこちらへとパスが回ってくる。
「俺? 俺は......そうだなあ、中学の頃から部活入ってなかったし——」
「違う違う、そっちじゃなくて。どこか行きたい場所とかないのかなって」
ああ、なんだ。そっちの話か。
しかし、そう改まって聞かれると悩んでしまう。思い返せば、双葉とどこかへ出かけた記憶はあまりなく、選択肢が多くて迷うな。
しばらく考えた後、ふと頭に浮かんだのは。
「あ、そうだ。水族館」
「水族館?」
「うん。ほら、前にオープンしたばかりの水族館の招待券貰ったけど結局行けなかったでしょ。......ええと、何でかは忘れたけど」
「そんなことあったっけ」
「あれ、違ったっけ?」
「.........ごめん、覚えてないや」
「そっ——か。いや、こっちこそごめん」
「ああでも、いいよね、水族館。私クラゲが好きだなあ。ふよふよと浮くように泳いでて可愛いし」
双葉は気を遣うように、食い気味に話を続けた。
「はは、双葉らしいや」
俺も、あまり気まずい空気にさせたくなかったので、それに乗っかる。そんなこんなでできあがった話題を転々としながら談笑を続けていると、ついには完全に日が落ちてしまっていた。もう、運動部の声すら聞こえてこない。
今度は空気感ではなく、「そろそろ帰ろう」と俺が切り出して、帰り支度を始める。
とは言っても脇に置いたバッグを持つだけなのだが、数時間もの間じっとしていた反動か、立つや否や急に尿意を催した。家まで耐えようかとも思ったのだが、脳内シミュレーションをした結果少し怪しく、万が一にでも漏らしたくないので、仕方がなく双葉には待っていてもらうことにした。
小走りで体育館近くのトイレまで向かう。下校時間ギリギリだからか、もう人の影もほとんど見えない。唯一出会ったのは、渡り廊下に一人佇んでいた少女だけ。だが、今の俺の興味はトイレにのみ注がれているため、ほとんどその詳細は捉えないままに通り過ぎようとした。
しかし。
「......楽しそうだね、穂月くん」
そんなことを呟かれては、さすがに無視できなくて。勢いづいた身体を摩擦で無理矢理静止させると、そのまま右へ回転させる。
双葉とは対照的な甲高い声音。それは、どこかで聞いたことがある声で。無意識のうちに脳内で検索をかけながら、彼女の姿を捉えようと暗がりの中で目を凝らす。
敷地外にある街灯が一部を照らす髪は赤みがかった栗色で、背丈は俺よりも数段低い。そして、俺たちと同じく高埜宮の制服を着ている。そんな彼女の名前は、思考を続けるうちにふと頭に浮かんできた。
「......曙さん?」
彼の悪夢で出逢った少女が、なぜか今俺の目の前にいる。
予想外の状況に頭の中が疑問符で埋め尽くされる中、哀しげな表情を浮かべていた彼女は、少しだけ口角を上げた。
「よかった。私のことは覚えていてくれたんだね」
その声色からも安堵の様子が汲み取れるが、対する俺の頭には、また一つ新たな疑問が生まれる。文脈から考えて、これを言ったらその表情は崩れてしまうだろうと思いながらも、口にせずにはいられなかった。
「いや、ええと、覚えていたというか......夢の中で会った子と似ていたから、その子の名前が口をついて出ただけなんだけどさ。君は本当に『曙さん』なの?」
それはそれでおかしな話だと思いつつも、おっかなびっくり言葉を紡ぐ。
すると、やはりというべきか、彼女は声のトーンを下げた。
「夢の、中?」
「うん、ちょっと言いにくいんだけど、とある悪夢で君のような子と会ったことがある」
「.........ああ、そういうこと」
しばらく閉口していたかと思えば、そう声を漏らした。しかし、内容の割には、声のトーンが元に戻っていないような。
「もしかしたら混乱しちゃうかもしれないけど、君に言わなければならないことがあるの」
「......? 何かな」
脅しのように低くゆっくりと話すものだから、返答に少しだけ時間を要した。けれど、色々と疑問だらけな現状だから、一つや二つそれが増えたところで変わらないだろうと思い続きを促す。
すると少女は大きく深呼吸をして、暗がりの中でも判別できる大きな瞳をこちらにじいっと向けて、続けた。
「穂月くんが夢だと思ってるそれはね、夢じゃなくて歴とした現実なんだよ」




