Episode.22 - おはよう
食事を再開してから、俺たちは手探りでバランスを模索した。
三日に一度、二日に一度と、身体の反応を見ながら頻度を調整していく。浸食の症状は以前ほどではないが、ゼロにはならなかった。ただ、許容できる範囲には収まっている——少なくとも、最初のうちは。
問題は、双葉に関する夢を見た時だった。
彼女が登場する夢は、他のどんな夢よりも鮮明で、感情的で、詳細だ。曙さん曰く「一食分が他の三食分くらいある」らしく、浸食への影響も比例して大きかった。
未練を晴らすためにはそういう夢こそ重要なのだが、見るたびに浸食が大きく進む。前に進もうとすればするほど、足元が崩れていく。そんなジレンマを抱えながらも、俺は歯を食いしばって夢を食べられ続けた。
だが、ある夜のことだった。
双葉と二人で、穏やかな放課後を過ごす夢を見た。夕日に照らされた教室で、何でもない話をして、笑って、時間を忘れて——そんな、ありふれた、でも俺には二度と手に入らない日常。
目覚ましが鳴った時。
俺は生まれて初めて、心の底から——起きたくない、と思った。
今までは「ここは夢だ」と自覚した上で楽しんでいた。でも今回は違う。夢であることなんてどうでもよかった。ただ、あの温かな空間にもう少しだけ居たかった。
指先に残る夢の名残を惜しみながら、重い身体を起こす。
——大丈夫だ。まだ、自分で起きることはできている。
そう言い聞かせながら、ベッドから降りた。
まだ大丈夫。まだ、自分の足で立てている。
......そのはずだった。
「起きたくない」と初めて思ったあの朝から、また数日が過ぎた。
頻度を落としているにもかかわらず、双葉に関する夢を見るたびに浸食は確実に深くなっていた。朝の覚醒に要する時間が、三秒から五秒になり、五秒から十秒になり——そしてある朝、目覚ましが三回鳴っても起き上がれない日が来た。
身体が重いのではない。意識が、夢の側に引っ張られているのだ。
ようやく目を開けた時、俺は自分の部屋にいた......はずだった。
だが、天井の模様がいつもと微妙に違う気がする。
時計を見る。七時十五分。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
いつもと同じ朝——に見える。
頭を振って、ベッドから降りる。
リビングに行き、朝食を食べ、身支度を済ませて学校に向かう。いつもと全く同じルーティン。何もおかしいところはない。
——何もおかしいところがないことが、おかしかった。
浸食の症状は? 朝の離脱感は? 現実がぼやける感覚は?
何一つ、感じなかった。まるで、ここが本物の現実であるかのように、すべてがくっきりと、鮮明に見えていた。
いつも通り学校に着く。自席に腰を下ろし、鞄を置く。
窓の外では、新緑を蓄えた木々が穏やかに揺れている。遠くで運動部の朝練の声が聞こえる。何もかもがありふれた朝の光景だ。
「......おはよう、穂月」
聞き覚えのあるハスキーボイスに、心臓が大きく跳ねた。
顔を上げると、チャームポイントであるサイドテールを揺らした双葉が、隣の席から柔らかな笑みを向けていた。
「ぼうっとしてるけど、寝不足? まったく、夜更かしはダメだぞ~っ」
彼女は撫でるように、俺の額を数本の指ではたく。
生暖かく柔らかい人肌が、俺の感覚器官を刺激した。その感触は、どこか懐かしく、どこか心地よい。
「おはよう、双葉」
続けて、口が勝手に動く。
何の違和感もなく、自然に、当たり前のように。
「実は、今日は随分長くて濃い悪夢を見ちゃってさ」
——ああ、そうだ。双葉はここにいるんだった。
一瞬だけ、何かが引っかかった気がした。
でも、それが何だったのか思い出す前に、始業のチャイムがその思考を掻き消してしまった。




