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Episode.19 - 悪夢。そして......

『......ねえ、穂月』


 真っ暗な空間で、ハスキーボイスが頭の中で反響する。ガンガンと痛み、頭がかち割れてしまいそうだった。その声の主は、もはや思考せずとも考えがつく。しかし、その声音にいつものような明るさは含まれていない。


『私のこと、思い出してくれた?』


 あれだけ好きだった声も、まるで呪詛のようにねっとりと身体に絡みつき、不快感を覚えざるを得なかった。


『私のことは助けてくれなかったのに、あの子は助けるんだね』

 そんな言い方をするのはやめてくれ。


『まあ、別にいいよ。穂月が誰のことをどう思っていようと』


 胸がじりじりと締め付けられる。だから、そんな言い方をするのはやめろ。双葉はそんなことを言う奴じゃなかっただろう?


『ほんとにそうかな。君が何も言わなかったように、私も何も言わなかっただけかもしれないよ?』


 ......っ。そんなことは.........


『ま、いいや。そんなことどうだっていいもの。いい? 私が言いたいことはただ一つ。私のことを、忘れないでね——一生』


 彼女がそう言葉を紡いだ次の瞬間、ただ暗闇が広がっていた視界には、目を背けたくなるほどに眩しい西日が映る。そして、俺の眼前には、一人の制服を着た少女が先行していた。そう思ったのも束の間、今度はそれも揺らいでいき、今さっき、どこかの交差点で見た景色が重なり————



「——っ!」


 一気に覚醒する。冷や汗を拭い、深呼吸をして動悸を抑えながら、枕元の時計を確認して、大きく溜息を吐いた。......まだ床に就いてから二時間も経っていないじゃないか。


 水族館へ出かけた日の夜。案の定というべきか、とびきりの悪夢を見た。それも、曙さんが現れ食べるに至らないほどに早く、自らの意志で飛び起きるほどに色濃い夢を。あと数秒でも寝たままだったら、頭がどうにかなっていたかもしれない。そう思うほどに、今日の夢は強烈だった。


 だが、これが三時、四時とかなら兎も角、まだ日付も変わっていない時間では起きて過ごすことも難しく、仕方がなくもう一度布団に潜り込むのだった。

 ......寝付くまでにはかなりの時間を要したのは、もはや言うまでもないだろう。



 そんな調子は一日限りでなく、転倒事件の翌日から、夜ごとに悪夢を見るようになった。

 暴走車が横切る交差点。倒れ込む人影。伸ばしても届かない手。目が覚めるたびに汗だくで、枕を握り潰すほどに拳が硬くなっている。

 それを察してか、曙さんは連日のように俺の夢を食べてくれた。


「いやあ、最近の穂月くんの夢はスパイシーで食べ応えがあるなあ」


 そう言いながら、相変わらず美味しそうに頬を緩める。悪夢は彼女の好物らしく、満足げな顔を見せてくれるのは少しだけ救いだった。

 実際、彼女に食べてもらった後は嘘のように気持ちが軽くなる。悪夢の記憶はおぼろげになり、フラッシュバックの頻度も確実に減っていた。


 だが、代わりに——別の異変が、少しずつ俺の日常に忍び寄っていた。

 最初に気がついたのは、朝の目覚めだった。

 目覚ましで起きた瞬間、自分がどこにいるのか分からない。天井の模様を数秒かけて確認し、ああ、ここは自分の部屋だと思い出す。以前はこんなことなかったのに、最近は毎朝のように数秒の空白が生まれるのだ。


 それだけではない。

 授業中に窓の外を見ると、見慣れたはずのグラウンドが、なぜか初めて見る場所のように感じることがある。逆に、昨日の夢で見た街の風景の方が、よほどくっきりと思い出せてしまう。

 この違和感を、俺はしばらくの間ストレスのせいだと考えていた。フラッシュバックで精神的に参っているのだから、多少の認知の歪みはあっても不思議じゃない——と。

 そう自分に言い聞かせて、目を瞑り続けた。



 異変が無視できないレベルに達したのは、転倒事件から二週間ほどが経った頃のことだった。

 その日は珍しく穏やかな夢を見ていた。内容はもう思い出せないが、温かくて心地のよい夢だったことだけは覚えている。——覚えている、はずなのだが。

 目を覚ました瞬間、俺は教室の窓から差し込む西日を見て、今が朝なのか夕方なのか分からなくなっていた。時計を見て午後二時だと確認しても、その数字がすぐには意味を結ばない。


 ......おかしい。

 以前は、夢から覚めれば即座に現実に切り替わっていた。明晰夢を見慣れていたからこそ、その境界ははっきりとしていたのだ。それなのに、最近はどちらが夢なのか一瞬分からなくなる。まるで、夢と現実の間にあった壁に、少しずつひびが入っていくような——


「おい、蔓見」


 ぼうっとしていた意識を引き戻したのは、聞き覚えのある声だった。目を上げると、笹原が俺の机の前に立っていた。


「お前、最近やばくないか?」

「......え?」

「この前の休み時間に今と同じように話しかけたんだけど、完全に無視だったぞ。目も合わなかったし、聞こえてないみたいだった」

「そうだったか? ごめん、全然覚えてない」

「覚えてないって......お前、ちゃんと寝てるか?」


 笹原は心配そうな表情で覗き込むようにこちらを見る。始業式の日以来あまり話す機会がなかったが、やはり幼馴染みとしての情はあるのだろう。


「まあ、うん。ちょっと寝つきが悪いだけだよ」

「そうか......? まあ、無理せずに、なんかあったら言えよ?」

「ああ、ありがとう」


 笹原が去った後、俺はしばらく自席で動けなかった。

 ストレスのせいだと思っていた。フラッシュバックの後遺症だと思っていた。

 だが、笹原に指摘されて、改めて冷静に振り返ってみると——この症状が現れ始めた時期は、フラッシュバックが起きた時期ではなく、曙さんに夢を食べてもらい始めた時期と重なっている。


 いや、正確に言えば、曙さんに夢を食べてもらう頻度が増えた時期だ。転倒事件以来、ほぼ毎日のように食べてもらっている。

 もちろん、偶然の一致かもしれない。しかし、一度その可能性に思い至ってしまうと、どうにも頭から離れなくなった。

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