Episode.1 - はじまり
「——武田歩、バスケ部に所属してます。一年の時には見かけなかった顔も多いんで、仲良くしましょう!」
元気の良い男子生徒の声、パラパラと聞こえる拍手、ガラリと音を立てる椅子。その一つ一つの動作が終わる度、俺の心臓が打つ早鐘は速度を増していた。
しかし、当然そんな俺の様子などお構いなしに次の人間が起立する。たった一つ前の席の男子生徒だった。
「辻雄大です。普段は美術部で油絵を描いてます。クラシックをよく聞くので、好きな人は語らいましょう」
大人しいながら芯の通った声。またしてもパラパラと聞こえる拍手、ガラガラと音を立てる椅子。そして、目の前の男子生徒——辻は静かに腰を下ろした。
間もなくして俺の番がやってくる。依然としてうるさく響く心臓の音を深呼吸で出来るだけ整えながら、おもむろに——いや、のろのろと立ち上がる。家を出る時にはあんなに意気込んでいたのに、ああ、やはりこのような場は苦手だ。
しかし、時間は待ってくれない。出来るだけ悪い印象を残さないようにと、振り絞るように声を出す。
「つ、蔓見穂月です。ええと、実は、今春からここに転校して来ました。と言っても、そんなに遠くではないんですけどね。前は二つ隣の市の相川高校っていうところに通ってました。部活は......すみません、まだ決めてなくて。えー......仲良くしてくれると、うれしいです」
小さく頭を下げ、そのまますとんと腰を下ろす。その途中で、先ほどよりも更にまばらな拍手が四方八方から聞こえてきた。
......まあ、なんというか、失敗したなあ。
事前に色々と考えていた言葉たちは口から出てこず、結局要領を得ないごちゃごちゃとした自己紹介になってしまった。
最近まともな人付き合いをしてこなかったせいだろうか。誰かに対して何かを発そうとすると、それだけで頭が真っ白になってしまう。
「......はあ」
小さく溜息を吐く。既に始まっている次の人の挨拶を右から左に聞き流しながら、深く呼吸をして心を落ち着かせた。
まあ、もう過ぎたことだ。嘲笑が起こったわけでもなく、引かれてしまったというわけでもない。それならば成功した、と捉えるべきだろう。うん、そういうことにしておこう。
そもそも、転校生だなんだとちやほやされるのは俺の性に合っていないさ。
......と、無理矢理前向きに考えたものの、喉につっかえた魚の小骨のように、先ほどの自己紹介が頭にちらつく。こっちではちゃんとやっていこうと決めたはずなのに、あんな無味無臭な挨拶をしてしまって、果たしてちゃんと友人ができるだろうか。
まあ、少なくとも誰かから声がかかることはないよなあ。全くの他人に声を掛けることは大の苦手だが、そんなことを言ってもいられない。
そうだ、せっかくだから、『転校生』という属性を生かせばいいじゃないか。例えば、どこどこの場所が分からないから案内してくれないか、とか。そこから会話を広げていくくらいなら俺にだってできる——はず。
そんなことをぼんやりと考えながら、ロングホームルームの時間を過ごす。時折担任の先生——柴田先生の言葉に耳を傾け、配布された学年便りに目を通したりもするが、如何せん彼女の声音に抑揚が少ないせいか、意識的に耳に入れようとすると、同時に眠気までもが襲ってくる。
結局最後には睡魔との勝負をしているうちに、キンコンカンコンというステレオタイプなチャイムを境にホームルームが終わり、教室はたちまち煩くなっていく。
席を立ち顔見知りと話す生徒、おそらく初対面な隣席と話す生徒、何の用事か教室の外へと飛び出していく生徒。その過ごし方は様々だったが、やはりというべきか、いずれも俺に話しかけてこようという人間はいなかった。
まあ、元よりそこまで受け身になるつもりもなかったから良いけれど。
そう思い、控えめに首を動かし辺りの席を見渡した。が、少なくとも八近傍の席に人の姿はない。正確には二人ほど人は居たが、そこはそこでもう既に会話を始めてしまっている。少し耳を傾けてみると、初対面ではあるが出身中学が同じらしく、その話題で盛り上がっていた。......さすがにこの輪に入り込んでいくのはできないなあ。
仕方がないので、隣席の生徒が帰ってくるのを待つことにした。授業での絡みもそっちの方が多いだろうし、うん。
そう思い、それまでの間は、始業式の後に一コマだけある授業の用意をすることにした。確か、数学Ⅱだったか。
「——よう、蔓見」
一切の折り目が付いていない教科書を机に置いたのとほぼ同時くらいに、机上に影が伸びると同時に頭上からそのような言葉が降ってくる。突然のことに、弾かれたように顔を上げた。聞いたことのない声だが、一体誰だ?
「.........」
俺よりも一回りほど大きい——百八十センチはありそうな身長に、ほどよく広い恰幅。そして、テンプレートのようなスポーツ刈り。
......本当に誰だ?
俺にこのような好青年の知り合いはおらず、一瞬人違いかと思ったが、それにしては普通に俺の名前を呼んできているし......
「お前、中槻小の蔓見であってるよな?」
「あ、ああ。そうだけど。ええと......」
すると、はっきりとしない俺の表情から何かを察したのか、彼はそう問いかけてくる。だが、そんな重要なヒントを得てもなお分からない。小学校にこのような容姿の知人が居ただろうか?
せめて名前が分かれば誰だか分かるかもしれないが、不幸にも、先ほどの自己紹介では自分のことで精一杯だったせいで、他人の話はほとんど右から左に流してしまっていた。せっかく話しかけてくれたのに申し訳ないなあ。
「......笹原だよ、笹原勇斗。ほら、小学校の頃よく遊んだじゃないか」
そう思ったのも束の間、彼は少し呆れたように苦笑いを浮かべながらも、依然として明るい声音でそう告げる。ああ、その名前なら知っているぞ。彼の言うとおり、よく放課後に遊んでいた。......でも。
「笹原......いや、確かにその名前は覚えてるんだけど、お前こんなだったか?」
失礼なことを言っているのは重々承知なのだが、それにしても俺の記憶の『笹原勇斗』と、目の前に佇む彼がどうも結びつかない。彼はもっとこう......丸々としていた、というか。
そんな俺の発言を楽しそうに笑う。
「中学から陸上を始めてな。あの団子みたいだった俺とはおさらばだぜ。......あ、でも安心しろよ。今でもゲームとかはよくやるから、また今度一緒にやろう」
「ああ、そうなんだ。うん、またやろう」
口ではそう言いながら、「実は最近全く触ってないんだよね」と心の中で唱えていた。決してオタク的な趣味が嫌いになったわけではないが、ただ、それを含めたいろいろなことのやる気があまり起きない。
「そういえば、二色は別のクラスなのか?」
「——へ? ......二色って、双葉のこと?」
「それ以外に誰がいるんだよ」
笹原は俺の態度に対して、心底不思議そうな顔を浮かべる。......まあ、そりゃあそうか。小学校の時はずっと双葉と居たからな。
しかし、どう話したものか。この口ぶりだと、当然こいつはあのことを知らないだろう。
「まさかお前が二色をほっぽって別の学校に来るとも思えん。......それとも、喧嘩別れでもしてきたのか?」
からかうようにして笑う笹原。一瞬、彼のそんな言葉に乗ってしまおうかとも思ったのだが、少なくともこれから一年はクラスメイトとして過ごすのだ。もしそれが嘘だとバレたらそれはそれで面倒だ。
少しだけ間を開けると、笹原の顔から目線を逸らして告げる。
「まあ、別れたには別れたよ。......死に別れだけど」
「——えっ」
彼は、先ほどまで浮かべていた一切の感情を消す。
「去年、交通事故でな」
「......そ、そうか。まあ、確かにお前らが離ればなれになる理由って、それくらいしかないか。......あんまり気分の良い話題じゃないよな、すまん」
「いやいや、笹原が謝ることじゃないだろ。......それに、俺はあいつと別れるために相川を離れたんだ。だから——何というか、気にせず仲良くしてほしい」
しかし、笹原はばつが悪そうな表情を崩さない。
「ああ。そう、だな。まあ、なんだ。困ったことがあったら何でも言えよ? ......二色の代わりになってやれるかは分からないけどな」
はは、と乾いた笑いを付け加えると、彼は「そろそろ授業が始まるから」と言って、そそくさと逃げるように俺の席を去った。一度も振り向くことがないその背中に、ひらひらと弱々しく手を振る。
言葉ではああ言っているが、今後関わるような機会もあまりないのだろうなと察した。......今思えば、友人の幼馴染みが死に、その名残を消すために転校してきた、などと聞かされたらそりゃあ気まずくもなるだろう。嘘を吐きたくなくとも、そこまで言う必要だって無かっただろうに、何を考えているんだ、俺は。
もしかしたら、自らの決意を誰かに吐き出したかったのかとも思うが、貴重な話し相手を失ってまですることじゃあないだろう。
大きな溜息が漏れる。
その直後、またもやステレオタイプなチャイムが教室内に鳴り響いた。




