Episode.15 - 本当の食事
そんなこんなで、俺たちは水族館を後にする。ふと腕時計を見ると、三時の少し手前。つまり、ここに二時間弱滞在してたことになる。館内にいるときはあまり気にしていなかったが、結構長居したもんだ。
「それじゃあ帰るかあ」
大きく伸びをし、歩き出そうとするのだが、曙さんは服の端を引っ張ってそれを制止させる。
「どうしたの? どこか寄りたいところでもある?」
「あ、いや、そういうんじゃなくて」
「じゃあいったい——」
何なんだ? そう問おうとした瞬間、彼女の腹の音がなる。......ああ、そういうこと。と、一瞬納得しかけるも、それはそれでおかしいだろう。
「それなら尚更早く帰った方が良いんじゃないの?」
「......ええと、ここでお願いできないかな。ほら、公園に芝生もあるし」
「ええ......」
確かにまだ昼飯は食べられていないし、お腹が空いているのは分かるが、そこまでのものか。......って、まさか、さっきエクレアを食べたから余計に腹が減ったとかじゃないだろうな。
まあ、それは良いとして。
「さすがにこの年になって公園で昼寝ってのもなあ」
「お願いっ! ほら、膝枕でも何でもしてあげるからさ!」
そう言いながら、彼女は自身の膝をぱんぱんと軽く叩く。
「ええ......でも、それじゃあ曙さんまで恥ずかしいでしょ」
「ふふふ、忘れたのかい? 私は美味しい夢のためなら何だってする女だよ?」
そんな自信満々に言うことでもあるまい。というか、俺に世話を焼くという時点で、そんなことはとうに知っている。
どちらにせよ、数十分で帰宅できるのだからもう少し我慢してくれと、適当にあしらおうと口を開いたのだが、それよりも先に、彼女が言葉を発した。
「——っていうのもあるけどさ」
「......?」
「ほら、この前言ったじゃん。サービスしたげるって」
ああ、そういえば、教室で曙さんを誘ったとき、確かにそんなことを言っていた。
「で、それが膝枕と」
「うん、蔓見くんは美味しい思いができて、私は今すぐに夢を食べられて、二人ともハッピー......って感じで」
美味しい思い、か。どうだろう、母親以外に、それもここ十数年はしてもらっていないから、あまり想像が付かない。こういう時は、双葉を相手に考えよう。
双葉の膝枕......なるほど、されてみたいかもしれない。また何かのトリガーになるかもしれないし、せっかく曙さんが身体を張ってくれているのだ。ここはありがたく乗っからせてもらおう。
「まあ、曙さんがそう言うなら」
「よし、じゃあ決まりっ」
先行して歩き出す曙さんの後を追い、公園の端まで移動する。人が密集している場所を避けていると、自然とそこまでたどり着いた。
「それじゃあ早速」
彼女はその場でしゃがみ込もうとする。
「ちょっと、芝生に直接座ったら汚れない? ベンチがあるんだしそっちでも......」
「そう? 目立つから蔓見くんが恥ずかしがると思ったんだけど」
「あー......いや、でもさすがに直で座らせるわけにはいかないよ。せっかく綺麗な洋服なのに」
俺のそんな言葉を受け、曙さんはどこか満足気に頷くと、近くにあるベンチへと移動し、その左端にちょこんと座り込む。
「ほら、どうぞ?」
そしてそのまま、優しく腿を叩いた。......今更だけど、本当に膝枕をされるのか? 普通のカップルでもそんなこと滅多にしないだろう。ましてや、屋外でだなんて。
しかし、それは本当に今更な疑問で、賛同し、移動し、準備までしてくれた彼女にそんなことは言えない。
「重かったら遠慮せず言ってくれ」
数秒考えた後、結局俺はベンチに腰を下ろす。
続けて、恐る恐る曙さんの腿めがけて頭を降下させていく。普段使わない腹筋が震えたが、さすがにそんな無神経なことはできなかった。やがて、さらさらとした生地と、彼女の体温の暖かさが頬に伝わってくる。息をすると、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
外側を向いて寝転がっていると、急に手が後頭部へと当てられる。そして、まるで割れ物を扱うかのように優しく撫でてくる。
「ちょ、ちょっと、曙さん?」
「どう? 落ち着くかな」
完全に言葉を無視されてしまったので、仕方がなく彼女の質問に答える。
「......まあ、思っていたよりは」
最初は緊張して寝るどころの話ではないだろうと思っていたのだが、意外にもそんな感情はすぐに消し飛んだ。安眠できるかどうかとはまた別の話だろうけど、学校の机で突っ伏して寝るよりは明らかに環境が良い。
「ふふん、そうでしょう? やっぱり私さあ、こういうお母さんキャラでもいける気がしてるんだよね」
何故だろう。一切顔を見ていないのに、今曙さんが浮かべている表情がありありと頭に浮かぶ。......というか。
「え、その見た目で?」
「む。そういうことじゃなーい」
ペチッという音とともに額を軽く叩かれる。
「ごめんごめん。でも曙さんはやっぱり元気いっぱいな方が似合ってるよ」
「そうかなあ......まあでも、蔓見くんはそっちの方が好きなんだもんね?」
「う、うん。まあ、そうだね」
「よし、なら元気いっぱいなお母さんでいこう」
「あ、その方向性は捨てないんだ。まあ良いけど」
その後もこの体勢のまま雑談を続けた。数分経ったくらいで微かな眠気に襲われ、その時丁度話題も途切れる。
「そろそろおねむ?」
俺が小さく欠伸をしたのを見てか、曙さんは楽しそうに笑う。
「おねむって......まあ、結構眠いな」
もはやツッコむ気も失せて、弱々しい声音で返す。
「じゃあ、そろそろ夢を見てもらおうかな。とびっきり美味しいのでお願いね」
彼女は、今までよりも優しく、そしてゆっくりと頭を撫でる。程よい人肌のぬくもりが心地よく、俺を夢の世界へと誘っていく。
「そして、願わくは、蔓見くんの未練が見つかりますように」
目を閉じ、息を浅くし、本格的に入眠を始めた頃。薄れゆく意識の中、そんな優しげな声が聞こえた。
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