Episode.10 - 交渉
「それでね、この辺では飛鳥っていう雑貨屋さんがすごいんだ。少し変わった雑貨が本当に何でも置いてあって、毎回行く度にワクワクするの——」
学校の正門を抜けて最寄り駅までを歩く最中、曙さんは常に言葉を発し続けていた。夢についてのことを話していない時の彼女は、至って普通の元気な女の子という感じで、先ほどのような疲労感は全く感じない。
適当に言葉を返しながら歩き続けて十分程度経った頃、人の流れが徐々に増えていき、最寄りの私鉄駅が見えてくる。俺は駅を通り過ぎて更に五分程度歩いた場所に家があるが、曙さんはここから電車に乗って家へと帰るらしい。
解放感を感じる傍らで、少しだけ寂しさを感じている自分がいた。
バスターミナルと繋がっている広場のようなスペースを通り抜ける。改札まで、あと十数秒で着いてしまう距離。
「あ、あのさ」
そこで俺は、急に話の流れをぶった切り、立ち止まった。反応が遅れるも、数歩進んだところでつられて足を止めた曙さんは、「うん? なにかな」と言いながら振り向いた。
「えっと、その......曙さんは、今まで昼ご飯どうしてたのかなって」
「なあんだ、そんなこと?」
そう言いながらおかしそうに笑う曙さんは、数秒思考してから続ける。
「平日だと、一回も食べたことないよ」
「え」
意外な返答に思わず言葉を失い、
「一回も?」
綺麗なオウム返しをしてしまう。
「うん。......今まで私が食べてきたのって、親の夢だけだから。さすがに、お仕事休んで昼寝して、なんて言えないよ」
先ほどまでとは違う、どこか控えめな笑みを浮かべる。
「そのせいで昼間は全然力が出なくて寝てばっかりでさ。おまけに機嫌も悪くなる一方で、正直あんまり友達もいなくて——って、そんなことどうでも良いよね、ごめん。でも、今日は君のおかげで元気百倍だよっ?」
そうか、なるほど。......それなら、もしかしたらいけるかもしれない。
酷く乾いた喉をつばを飲み込むことでどうにか誤魔化し、続けた。
「もし、俺の夢を毎日食べてもいいって言ったら?」
「——え?」
まるで、鳩が豆鉄砲を食ったように静止する曙さん。......まあ、聞いている感じ、そんな想定はしていなかっただろうから、その反応も当然のことかもしれない。
彼女はゆっくりと俺の言葉を咀嚼してから、おずおずと尋ねてくる。
「それは、その——どうして? 私に同情したの? それとも......一目惚れでもしちゃった?」
そんな言葉の後一瞬笑むも、それはすぐに崩される。心底分からないといった様子だった。
まあ、それらの要素が一切無いかと問われると、なんとも言えない部分もある。特に前者は、先ほど話を聞いてそれなりの衝撃を食らった。
だが、主たる理由はそこにはない。
「いや、違う。......とはいえ、もちろん何の見返りもなしに言っているわけじゃない。曙さんに手伝ってほしいことがあるんだ」
彼女は黙って首肯して続きを促す。
しかし、俺はそこで言葉に詰まってしまった。頼み事をする以上、それに至った経緯もある程度話さなければならないだろうが、果たしてどこまでを打ち明けるべきか。さすがに、まだ全てを話そうという気にはなれない。
迷った末に、結局具体的な文章は思い浮かばず、行き当たりばったりで言葉を漏らす。
「俺が残した未練を一緒に探してほしいんだ。さっき夢の中にいた少女、俺はあの子と決別して前を向かなければならない。そのためにはきっと、あいつに関する未練を晴らすしかないんだが、情けないことにそれがはっきりとは分からない」
小さく息を吸って、続ける。
「でも、さっき見たあの夢、あれはきっと俺があいつに残した未練だった」
つい先ほど、いつの日にかあのテーマパークに一緒に行きたいね、などと話したことがあったことを思い出した。
「そして、それを引き出したのはきっと曙さんだったんだって思ったんだ」
反芻してみれば、ほぼ全てを語っているようなものだったが、それでも彼女は少し切なそうな表情を浮かべるだけで、それ以上深掘りしようとはしない。
「......ええと、とりあえず事情は分かったけど、私は具体的に何をすればいいのかな?」
「友達よりも深く、恋人よりは浅い。そんな関係を俺と築いてほしい」
心臓が早鐘を打つ。もはや『一目惚れをした』と言った方がまだ格好が付くのだろうが、ここで嘘はつけなかった。俺は曙さんに対して恋愛感情など無い。あくまで利害関係を結ぼうというだけ。
「一緒にどこか出かけたり、他愛のないことを延々と通話して駄弁ったり、色々」
そんな、かつて俺と双葉が繰り返していたような日常を、俺は望んでいた。そうしたら、きっといつか、また今日のように双葉とのことを思い出せる。......そして、夢の中で、その未練を晴らすことができるかもしれない。
だが、問題はそれを彼女が受け入れてくれるかどうかということだった。毎日の飯のためとはいえ、互いに好きでもない相手と、そのような関係で日々を過ごすこととなるなんて。どうだろう、もしかしたら、俺が逆の立場なら断ってしまっているかもしれない。
だが、曙さんは。
「いいよ」
あっけらかんとした様子で、いとも簡単にそう言ってみせた。
「え、いいの?」
思わず気の抜けた声音で問い返してしまう。
「本物の恋人を求められたのなら、私も困っちゃってたけどね。そのくらいなら、食欲の方が勝るっ!」
「......そっか」
なんというか、ここまでドキドキしていた自分がアホらしく感じる。思えば、飯のためなら知らないクラスメイトの夢に入り込んでまでせがむような人間だ。このくらいのことならわけないのかもしれない。
しかし、少し眉を顰めると、彼女は言葉を続けた。
「でもさ、一つ気になったんだけど。君たちの関係って————いや、やっぱりなんでもない」
「? そう?」
「うん、なんでも。......じゃあ、こうね! 私は君と『友達以上恋人未満』な人間を演じて、未練を引き出す。そのお返しとして、毎日私に昼ご飯をくれる」
「ああ、それでいい——って、毎日? 休日も?」
「あったりまえじゃない。その分、私も休日まで演じてあげるからさ!」
この子はいったいどこまで食い意地がはっているのだろうか。
まあでも、昼寝をするだけと考えたら、正直そこまでの負担ではない。むしろ、曙さんの方こそそんな大口を叩いて大丈夫なのだろうか。
「じゃあ遠慮無く土日にもお出かけとか組ませてもらおうかな」
「うん、別にいいよ。私友達少ないから基本暇だし」
「......そんな悲しいこと言わないでよ」
そんなこんなで、夢を食べる少女と、夢に逃げ続けた男の日常が、幕を開けたのであった。




