夜カフェの視察
その夜、私は悩んだ末にシブーストを多めに用意して夜カフェを開いた。
ちなみにシブーストはパイ生地の上にクリームとフルーツを乗せ、表面をキャラメリゼしたものだ。私の国だったらガスバーナーでキャラメリゼするけれど、さすがにそんなものは王都にはないから、店長から料理用の焼きごてでキャラメリゼする方法を聞いて、それをしている。
キャラメル部分には少しの塩を入れて甘さを引き立てる。果物は洋梨のシロップ漬けを使い、できる限りクリームの甘さに負けないようにした。クリームはカスタードクリームにメレンゲを混ぜたものを使い、洋梨を挟んでキャラメリゼするのだ。
キャラメリゼの甘塩っぱい匂いに、店で待機しているアベルくんが物欲しそうな目で見ていた。
「……今日、騎士団の視察が来るんだろう? どうしてわざわざこれを?」
「いろいろ考えたんだけれど。夜にわざわざ視察に来るんだから、当然仕事中だからお酒は飲んでないし、まだ夕食も終わってないだろうなあと」
「それでシブースト? 甘くないか?」
「というよりも、どちらかというと塩のほうを出そうと思ったんだよねえ」
「……塩?」
アベルくんは訝しがった顔をするのに、私は頷いた。
「塩を足すと甘さが引き立つのはもちろんのことなんだけれど……忙しくってバタバタしてたらどうしても塩分が足りなくなっちゃうから。騎士団の人って、基本的に王都の警備を続けたり、王城に報告したりと忙しくしてるし、訓練だってずっと続けてるから……本当だったらもうちょっとがっつりしたものを出すべきかとも思うけれど、それはうちの店のコンセプトでもないから、せめてものねぎらいで」
「視察されるほうがそこまで考えるのかよ」
「うーんと、その騎士さん、私が一度お世話になった人だから、こんな機会でもないとお礼ができないと思って」
「なに」
アベルくんは訪問者のことを知っていても、どうやって訪問者が来るのかまでは知らないだろうしなあ。
私は続ける。
「あの人が拾ってくれなかったら、私こうして働けてなかったかもしれないし。知らない場所で、文字もわからない、ここがどこだかわからないってパニックに陥って、どこかで身を投げてたかもしれないから、だからすぐに保護してくれて助かったんだよ」
「……大袈裟だろ」
「わかんないよ。あのときも仕事で疲れて家帰る途中で、突然ここに来ちゃったからさあ」
「それ、あんたは帰りたいとは思わねえの?」
「うーん……」
そう言われてもなあと思う。
私が早めに私の国に戻れていたらよかったけれど、あちらも私がいきなり無断欠勤して困ってるだろうし怒っているだろう。それで私の穴は誰かが埋めている。多分アパートだって家賃未払いで追い出されている。お母さんは既に再婚しているんだから世話になることもできないし。
あっちにもう私の居場所、ほぼほぼないんだよなあ。
「……今いきなり帰れって言われたら、かなり困るかも?」
「そうかよ……悪かった。変なこと聞いて」
「別にいいけどね。ああ、そろそろ開店準備して」
「はいよ」
アベルくんが店の看板を出しに行ってくれているのを見ていたら、黙って他の準備を済ませていた店長が言う。
「まあ、サエがぼんやりしているように見えるから、アベルも心配になったんだろうさ」
「えー……私そこまでぼんやりしてませんよぉ」
「いや充分してるだろ。だからいろいろ理由を付けて騎士だって様子を見に来るし、客だってあれこれサエを面倒見に来るんだろ」
「そこまで心配かけてましたかあ……」
あれかな。この国の人たちからしてみれば、私のこと子供に見えてるのかもしれないなあ。どう見ても年下のアベルくんすらこれだもんね。
なんだかなあと思っている間に、お客様たちが入りはじめた。
今日は劇場は小休止なものの、王城勤めの文官さんたちがこぞってやってきては、店長の焼いたガトーショコラとコーヒーを注文していく。まばらにやってくる女性客は、どこかの商会で働いている人たちだろう。その人たちは今日のご褒美にと私が焼いたシブーストやレモンパイが消えていく。
その賑わいを見せている中、「こんばんは!」と快活な声が飛んできた。
騎士さんだ。
「こんばんは、いらっしゃいませ」
「すみません。今夜のおすすめをお願いします!」
「では……シブーストはいかがですか?」
「シブースト! お願いします! あと紅茶を!」
「ミルクはどうなさりますか?」
「ではミルクをください」
「かしこまりました」
紅茶は珍しいな。王都ではコーヒーが休憩時間の定番ではあるものの、一応紅茶を飲む文化もある。この国にはコーヒー豆も採れるらしいし、多分お茶の木もなんらかの方法で存在し、それを蒸して発酵させる文化もあるんだろうなとなんとなく思う。
私は紅茶ポットを持ってきてそれを淹れつつ、シブーストをお皿に載せる。そして騎士さんの様子を見た。
騎士さんはやっぱりうちの店を見ていたし、アベルくんが給仕しているのを見ていた。あの子が魔物の血族だからと警戒されないかと思ったものの、騎士さんは私が出会った頃と同じく、穏やかで騎士団の訓練のときのような野太い声は聞こえなかった……私も買い物の際に騎士団の敷地の横を通り過ぎるとき、その声の太さや荒々しさに思わずビクビクしてしまったことがある。
なんだろう。本当に様子を見に来てくれただけなのかな。なによりも。
騎士さんがいることで、周りはすっかりとリラックスした雰囲気になっている。あれだ。男の店員が増えたことに加え、騎士団が顔を出す店になったことで、安心感のある店になったんだ。おまわりさんが日頃見回りに来てくれている場所は、なんだかんだ言って悪さする人もそこまでいないのと同じだな。誰だってわざわざ捕まえる権限持っている人の前で悪さはしない。
そう考えているうちに紅茶が淹れられた。ストレートだとそこまで気にしないけれど、ミルクティーで飲む場合はストレートだと苦いくらいにまで淹れないとミルクを入れた途端に香りが死んでしまうから大事なんだ。
私はミルクを添えた紅茶とシブーストを「これ、向こうに騎士さんに」とアベルくんに給仕を頼み、様子を伺った。
アベルくんはずっとちらちらとシブーストを狙っているみたいだから「帰りにあげるから!」と言うと、少し気まずそうに視線を逸らしてしまった。
騎士さんは注文した紅茶を飲みながら、シブーストを丁寧に切り分けていただきはじめた。あれはキャラメリゼの際に少し塩分を加えることで、一日の疲れを取れるようにと労りを込めながらつくったものだ。
やがて、騎士さんは心底嬉しそうな顔でお皿を空にすると、会計に進みはじめた。私は慌てて会計に立つ。
「ありがとうございました! あの……」
「いやあ、おいしかったです。それにしても、あれはアンリさんの味ではありませんでしたね?」
「ああ、はい。シブーストは私が焼きましたから」
「あなたが? はい、本当においしかったです。それに……いい店ですね。いろんな人々が店に来て、お菓子と飲み物を楽しんでいる」
「まあ。はい……」
今日はいつもよりは空いているのだ。でも。
文官さんたちがかなり涙目で甘ったるいお菓子をいただいている。女性客がひとりで静かにお菓子を食べつつコーヒーを傾けている。
その中で空気読まずにやってきたレイモンさんは、すごい勢いでタイプライターを叩きながらコーヒーを飲みつつビスキュイをずっと囓りつづけている。
ヴァネッサさんはショコラトルをうっとりとしながらいただいている。
男も、女も、若者も、年寄りも、皆夜にお菓子を食べている。
たしかによくできたものだ。ここまで客層を伸ばすまでに、かなり時間はかかったけれど、気付けばずいぶんとお客さんの層もばらばらになった。
……でもこれが原因で騎士団に目を付けられたような気もするんだけれど。
「あの……なにか問題ございましたか?」
「いいえ? ただ、近々この辺りで夜カフェが増えるということで、夜カフェのモデルケース第一号のこの店を見て、客層と流れを掴んでおこうかと思いまして」
「はあ……」
「夜にアルコールが入った人たちは気が大きくなりますからね。それが原因で夜カフェのほうに迷惑かけないよう、騎士団のほうも見回りが増えますから」
「あ、ああ……!」
なんだ、てっきりヤバイ店するんじゃないと怒られるのかとヒヤヒヤしていたのだけれど、そんなことはなかった。
よかったぁ。
騎士さんは会計を済ませると、にこやかに立ち去っていった。それを見送りながら、私は心底ほっとした。
他のお客様たちの会計も済ませ「おいしかったです」の挨拶に耳を傾けながら、私たちはやっとひと息ついた。
「お疲れ様ぁ……今日も忙しかったね」
「お疲れ。サエ、あの……」
「シブーストね。はい。小さい子たちにも同じものでいいかな?」
「ん……」
残ったシブーストを籠に入れてあげると、それを大事そうに持ってアンリくんは帰っていった。それを見送りつつ、私は店長と挨拶をする。
「まあ。夜カフェが増えたらライバル店も増えるだろうし。どうしたもんかな」
「七日に一度っていうのですか?」
「……だがなあ、正直七日に一度っていうのが一番ちょうどいい気もするから、どうしたもんかと思ってな」
「んー……今までは競合店が本当にありませんでしたしねえ。でももしかしたら、他の店はコンセプトが変わるかもしれませんから、案外なんとかなるかもわかりませんし」
「まあ、第一号は第一号だから。そこを宣伝していくしかないかな」
「そうですねえ」
私たちはそうしゃべりながら、他にどんな店ができるんだろうと思いを馳せたのだった。