夜のお礼
私が小さく頷いたあと、アベルくんは私に詰め寄っていた酔っ払いの襟首を掴む。途端に酔っ払いはジタバタと暴れはじめた。
「なっ、なんだ、あんたは!?」
「ここ酒厳禁のカフェ。飲みたいならよそ行けよそ」
「なんだとぉ……!?」
アベルくんは暴れる酔っ払いを物ともせず、そのまま引き摺って店から出て行ってしまった。
私はそれを見た途端に心臓が激しく鼓動しはじめたことに気付き、そのまましゃがみ込んでしまった。慌ててドナさんが寄ってくる。
「ちょっと、サエさん大丈夫ですか!?」
「いえ……本当だったら、店長にも今日は店長がいないから、夜カフェしないほうがいいって忠告受けてたんですけど……酔っ払いの人が全然帰ってくれないし、アベルくんが連れて行ってくれなかったらどうなってたんだろうと思うと……怖かったし、安心してしまって……すみません」
「いえいえ。酔っ払いに下手なことしたら、店が因縁付けられてしまいますから、あれはたまたま訪れた子がいてくれてよかったです……あの子ですか? サエさんの言っていた訳ありの子というのは」
「はい。いい子なんですよ」
「なるほど……人狼の子ですね」
「じんろう……?」
聞いた覚えがあるような、ないような。
私がキョトンとしていたら、ドナさんが教えてくれた。
「満月の夜になったら狼になってしまう魔物の血族ですね。そうは言っても、今では完全に狼になることなんて滅多になくて、せいぜいその辺のチンピラよりも狂暴になる程度なんですけどね」
「そうだったんですか……」
私はなんとか立ち上がると、よれよれと店の中から夜カフェ用に用意していたお菓子を出す。それと同時に、アベルくんが戻ってきた。
「さっきの酔っ払いは道端に捨ててきた。多分もうちょっとしたら騎士団の見回りに当たるだろうから、騎士団に連行されるだろ」
「そっか……ありがとう、アベルくん。これ……お礼」
私が用意したのはガトーショコラだった。
チョコレートとバター、ちょっとの小麦粉を卵で固めて焼き上げたそれは、私の元の国と同じく人気なお菓子だ。特にガトーショコラはメレンゲをきめ細やかくつくることで舌触りが変わってくるから、シンプルにつくっても季節の果物を混ぜ込んでも味の変化が出てくるという、なかなかに奥深いお菓子だったりする。
今日はシンプルになにも入っていないガトーショコラを用意したら、それをアベルくんはヒクリと鼻を動かして匂いを嗅ぎ取ると、それを入れたプレートを受け取って、端っこの席に座ってモリモリと食べはじめた。
心配になるほど痩せているものの、食いっぷりは本当にいい。
「あんた、物好きだな。今日は給料日だから、あっちこっちで飲み屋に駆け込む奴らが大勢いるから、あんな酔っ払いをあしらえないなら店なんざ開けるべきじゃねえのに」
「そうだったんだ……私、この国の給料日とか、よくわからなくって……ごめんね、ありがとう」
「ふん……美味い」
どうもアベルくんはガトーショコラを気に入ったらしく、それを本当にかけらひとつ残すことなく食べてくれた。でもこの子、よくよく考えるとうちにご飯食べに来るときも本当になにも残らなくなるくらい綺麗に食べてくれるから、かなりの健啖家なんだなあ。
私は「あのう……」と尋ねた。
「君はたしか、何でも屋を営んでるんだよね?」
「そうだけど、それが?」
「もし私が依頼してくれたら、聞いてくれるかな?」
「……内容に寄るけど」
「夜カフェってね、七日に一度に開いているんだ。その日だけでいいから、うちで働いてくれない?」
私の提案に、ドナさんは何故か視線を逸らした。他の店員さんも視線を散らしつつも、めいめい自分の皿と向き合いはじめる。
そしてアベルくんだけれど、心底面倒臭そうな顔でこちらを眺めていた。
「どういう理屈?」
「うーんと……酔っ払いに入られるのは困るんだけれど、店は開きたいから。普段は店長がいるけれど、稀に今日みたいに留守している場合もあるし……そのとき、男の店員さんがいてくれたらありがたいんだけれど……どうかな?」
「……依頼料払ってくれるんだったら」
「わあ! ありがとう。本当にそれでいい? もうちょっと夜食付けるとか、お菓子付けるとか考えてたけど」
「夜食……お菓子……」
元々何でも屋さんに依頼するんだから、そりゃ依頼料は支払うつもりだったけれど、それだけじゃ気が済まないプラスアベルくんのガリガリッぷりをなんとかしたいから、ご飯をタダで食べさせる大義名分が欲しかったんだけれど。アベルくんは私の提案に魅力を感じたらしく、グラグラと視線を逸らした。
「……たとえば、夜食ってなにを出せるんだ?」
「そうだね。この間のフランはお菓子だったけれど、おかず用フランとして、きのことかシーフード入れたもの用意するとか。店の残りのタルトタタン用意するとか。マッシュルームのポタージュとかもいいよね……あと」
「わかった。あんたのお菓子も料理も美味い。それでいい。依頼料くれて、オレの食費が浮くんだったらありがたいからっ」
かなり食い気味で依頼を引き受けてくれたのに、私はポンと手を叩いた。
「うん、わかった! 今度制服取りに来てね。さすがに給仕をやってもらう以上は、服と髪型はなんとかしなきゃだし」
「……わかった」
私がニコニコして、アベルくん雇う話をまとめあげたのを、ドナさんは一部始終見届けて、妙に甲高い声を上げた。
「なんと言いますか……サエさん。ときどきすっごくかなわないって思うところありますよね……」
心底心外だなあと、漠然と思った。
****
私が店長に「アベルくんを夜カフェ限定で雇いたい」と申し出ると、あっさりと許可してくれた。
「私、てっきり余計な出費するなと怒られるとばかり」
「いや。夜カフェはいい方向に影響出ているから、このまま維持してほしいとは、昨日の会合でも話し合ってたところだからなあ」
「あれ、そうなんですか?」
「観劇に来た女性客の事故がかなり減ったと好評でな。昼間にカフェやらカフェテリアやらをやっている連中も、物は試しに酒抜きでどこまでできるかと、夜カフェをやってみようって話が出ているんだ」
「わあ……ライバル店が増えますねえ」
「そうでもねえよ。皆、酒が万能って形に慣れてるから、サエの提案で本当にコーヒーと菓子、少しの軽食だけで夜営業している店は少ない」
「そうだったんですか……」
一応私の元の国にもサロンドテという形で、酒を全く出さない喫茶店自体はあるんだけれど、夜遅くの夜カフェって形態は、治安の問題で私の元の国の地元くらいでしか存在しなかったみたいなんだ。皆が皆、酔っ払いの取り扱いに苦慮してたんだなあと思う。
店長は続けた。
「だから、夜カフェを続けるならライバルも増えるだろうが、治安問題にもずっと向き合わなきゃいけねえからな。騎士団呼ばれたら困るのを雇うのはネックだが、何でも屋なら依頼は守るだろ。だから問題ねえ」
「ありがとうございます」
そう言っている間に、ドアが鳴った。
「いらっしゃいませ、まだ開店前なんですが……あら、いらっしゃいアベルくん」
「……制服を取りに来た」
「うん。これ!」
私が用意したシャツにスラックス、カフェエプロンだ。それを「ん……」とアベルくんが受け取ってくれたものの、「しっかし」と店長が言う。
「さすがに髪がボサボサ過ぎるから、それどうにかならんのか」
「うーん……」
私と店長がチラチラとアベルくんの髪を見る。灰色の髪はボサボサな癖毛だ。たしかにそれで店員をやったら、お客さんからクレームが来るかもしれない。
それに心底気まずそうな顔でアベルくんが訴えた。
「……オレ、あんまり匂いのきつい髪油は使えねえ」
「ああ、そうか。お前さん人狼の血族か」
「ん……」
そうか。大昔みたいに狼になって暴れることはなくとも、鼻が人よりも利き過ぎるんだな。でも困った。たしかに髪をなんとかしないと店に出せないけど……。
ふと私は「髪ちょっと触って大丈夫?」と尋ねてから触ってみた。
見た目よりもかなり固い髪で、たしかにこれは本当だったら髪油を使って固めないとまとまらないけど、でもあんまり匂いがきついものは使えない。アベルくんの鼻もそうだけれど、食事を扱っている店できつい匂いは基本的にNGだ。
そこで私は手持ちのピンを彼の前髪に付けてみた、
前髪をピンで留め、後ろのチョロッと伸びた髪をパレッタで留めたら、なんとか店に出せそうな感じになった。髪をされるがままにしていたアベルくんは仏頂面だ。
「店長! これならどうですか!?」
「んー……まあ、これくらいならば大丈夫だろ」
「アベルくん! これなら店に出てもいいって! 七日に一度の付き合いになるけど、どうぞよろしく!」
「ん……まあ、あんたがそれでいいなら」
どうにもぶっきらぼうだけれど、この子かなりいい子だなあ。
既に私はアベルくんをかなり気に入っていた。




