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グラウンド

次回の更新は、明日12時です

「リリアっ!」


 凜さんの反応は劇的だった。

 まるで威嚇するような凜さんの視線に、リリアさんは「はーい、ごめんなさーい。お口チャックしまーす」と答えた。


 ジジジジ、と口にチャックのジェスチャーをするリリアさん。やがて諦めたように息を吐いた凜さんは「大丈夫ですよ」と、ぼくに微笑みかけた。


「なんでもありませんから。お気になさらないでください」


 この話はここでお終い。

 そう態度で示すように、凜さんはレモンティを口にした。









 それからの一週間は、本当にあっという間だった。

 比喩ではない。気が付いたら、七日分の時間が流れていた。本当に、そんな感覚だった。


 朝は土日を除いて、毎日トレーニング。身体の前、後ろ。上半身、下半身と、部位別に少しずつ負荷を掛けることで、肉体の過度な疲労を防ぎつつ、効果的に筋肉をつけるのが目的らしい。


「魔法は一日にしてならず! 地を這い泥水を啜り、厳しい鍛錬を乗り越えた者だけに奇跡は訪れるのよ!」というのが、ラブリン原口の弁。


 言っていることは理解できるのだけれど、毎朝あの奇抜な格好を見せられるのが、地味にしんどかった。

 魔法少女から始まり、オペラ座の怪人、人魚姫、フェニックスと衣装も日替わり。今朝の全身タイツと箱馬車の組み合わせは、特に凄かった。コンセプトはシンデレラらしいけれど、ちょっと理解したくない。理解したときには、なにか大切なものを失っている気がする。


 モデルのお仕事は、あれから二回。どちらもボディパーツモデルのお仕事で、それぞれ足と髪の毛を撮影した。


 モデルの仕事がない日は、家に帰って勉強。実はこれが、一番大変だった。生活や一般常識に関わることは覚えていたのに、高校の授業内容について、ぼくはほとんど記憶がなかったのだ。


 本来のぼくは、勉強が苦手な人間だったんだろうか? それとも、まともに勉強してなかったとか?


 幸い家庭教師の松本先生は、記憶喪失(すみません。ほんとすみません)になったオレーナさんにいたく同情し、力になると約束してくれた。この一週間は、高校一年生の内容を学びながら、なんとか授業に追い付こうと努力している。









 ぼくがオレーナさんになってから、一週間と三日目の放課後。

 教室の窓際後ろの席で、ぼーっと虚空を眺めていたぼくの肩を、生駒さんが叩いた。


「ねね、見て見てレナっち。ヒューガーが出てるよ!」


 完全に意識が飛んでいたので、再起動するまでに時間が掛かる。


 窓枠に寄りかかった生駒さんが、窓の外を指さしている。「行けー!」「そこだー!」と拳を振り上げて、なにやらはしゃいでいる様子。


「ひゅーがー?」


 そんな人いたっけ? と、ぼくは首を傾げた。


「日向大地だから、ヒューガー。ほら、あそこあそこ!」


 生駒さんの指し示す先に目を向ける。


 翠星学園は進学校として有名だが、同時に部活動もとても盛んだ。特にスポーツ推薦で入ってきた体育科の生徒たちは、晴れている日なら一日中グラウンドを使っている。

 ちょうどいまは、サッカー部が練習試合をやっているようだった。


 ピッチを挟んで、赤と青のユニフォームをまとった選手たちが走り回っている。胸元の文字から見て、赤が翠星、青が他校の生徒だろう。


 必死にボールを追いかける選手たち。その中に見知った顔を見つけて、ぼくは立ち上がった。


 相手選手からボールを奪った日向くんは、そのままぐんぐんと敵陣に切り込んでいく。

 他のチームメイトは追い付いていない。立ちはだかる敵チームの選手たちを、一人抜き、二人抜き。日向くんは、たった一人でゴール前へと突き進んでいく。


「すごい……」


 誰かが漏らした声。もしかすると、ぼくの声だったかもしれない。

 日向くんのプレーは、明らかにまわりとレベルが違っていた。


 ゴール前で三人に囲まれ、なおボールを手放さない。日向くんは、身体を張って進路を塞ぐ敵をくるりとかわし、左足を振り抜く。

 ボールがゴールポストに弾かれ、ぼくは自然とため息を漏らしていた。


「かぁーっ、惜しい! いまの絶対向こうの選手のファールだったよね!? よねっ!?」


 うきーっ! と日向くん以上に悔しがる生駒さんを、笠次さんがよしよしとなだめていた。


「日向くん、選手としては素晴らしいんですよね。でも、あの軽薄なところがちょっと……」と笠次さんはグラウンドに半眼を向ける。

「んー、中学の頃はもっとちゃんとしてたみたいだけどねぇー。バカなのは、いまと同じだけど」


 ぼくの視線に気づいたのか、生駒さんは「ほら。あたしら、どっちも外部組だから」と言った。


 翠星学園の高等部は、中等部からの内部進学組が大部分を占める。すでに出来上がった人間関係の中に入っていく外部進学組は、肩身の狭い思いをすることも少なくない。だから外部生専用のSNSグループを使って、ある程度の繋がりを持っているらしい。


「ヒューガー、小学生の頃から有名な選手だったんだって。海外のチームから声かけられたこともあるって聞いたよ」


 なんでも、向こうでの住居から通訳、生活費に至るまで、すべて海外のチームが負担するという破格の契約を持ち掛けられたそうだ。国内の複数のユースチームからも声が掛かっていたため、日向くんが翠星学園に入学してきたときは、ちょっとした騒ぎになったと生駒さんは言った。


 グラウンドを駆ける日向くんからは、先日のような浮ついた態度は微塵も感じられない。ひたすらボールだけを追いかけ、走る姿は、まるでそのために生まれてきた一個の生き物みたいだった。


「お待たせしましたオレーナさん!」

「わっ」


 いきなり目の前に現れた凜さんの顔に、ぼくは思わず仰け反る。


 小さな身体を精一杯伸ばした凜さんは、まるでこちらの視界を塞ぐみたいに、窓の前へと立ちはだかった。


「オレーナさん。以前にも言いましたが、サッカー部には決して近づいてはいけませんよ?」


 ずいっ、と顔を寄せられる。鼻先が触れ合うような距離に、心臓がばくばくと跳ねた。


「姿を見たり、口を利いたり。手を振るのもダメです。ほんの一ミリでも、好意があるなどと受け取られてはいけません」

「そ、そんなに危ない人たちなんですか? 普通にサッカーをしてるようにしか見えな、」

「ダメです。それが奴らの手口なんです。優しいオレーナさんの心につけ入り破滅させる。サッカー部は悪魔の巣窟です。決して近づいてはいけませんっ」


 凜さんは、どこか切羽詰まった様子で訴える。ぼくには反論の隙さえ与えない。


「さ、急ぎましょう。今日はこれから、ピアノのレッスンが入ってるんです。先生は時間に厳しい方ですから、遅れると大変ですよ!」


 さあさあと、いつものごとく背中を押される。いい人なのだけれど、凜さんのこういうちょっと強引なところが、ぼくは苦手だった。


「それではオレーナさん、また明日」

「レナっち、ファイトー!」


 笠次さんたちの声に送られて、ぼくは教室を出た。

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