蛍はいつも泣いている 4
「おはよう」
パジャマ姿でリビングに行くと声をかけられた。
「あれ、もう会社行くの?」
スーツ姿の母親に、蛍は少し驚いた。
「うん。今日は支社の若い娘たちと飲み会があるのよ。だから、少し早く出ていかないと仕事が片付かないのよねぇ」
「管理職って大変だね」
「まあね。要は体の良い雑用係だから。
ああ、夜は遅くなるから、あんた適当に食べなさい」
髪を軽く整え出ていく母親を無言で見送ると蛍はパンをトースターに放り込み、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
テレビをつけるといつものニュースキャスターが朝一番のニュースを話している。
蛍はその声を無感動に聞きながら、心は母親のことを考えた。
三年前に支店長を任されてから日に日に仕事量が増えて、大変そうだ。女で一つで育ててくれたことには感謝している。しかし……
多分、私はまだ、あの人のことをどこかで恨んでいるのだろう、と蛍は思った。
勿論、離婚は母親一人のせいではない。父親にだって責任の半分はある。しかし、離婚してもう七年も顔を会わしていない父親は、実際のところもうほとんど他人になっていた。
すっかり疎遠になった父親より、毎日顔をあわせて面倒を見てくれる母親に離婚の責任を全て押しつけようとするの皮肉なものだった。
理不尽な話である。
蛍の理性はそう考えるが、感情のほうはともすればそう思ってしまうのだ。
焼き上がったパンにバターを塗りながら蛍はため息をついた。
《……いじめの存在を学校側は否定しており、被害者の両親は……》
ニュースキャスターの言葉に蛍はテレビの方へ目を向けた。『いじめ』という単語にはどこか無条件で体が反応してしまう。
「ああ、もう!」
蛍はイライラしながらテレビのチャンネルを変えた。
今朝は何故か嫌なことばかり思い出させる
蛍は乱暴にパンに噛みついた。
□
教室に入ったとたん、蛍は視線を感じた。
朝も比較的早い時間だったが教室には10人ほどの人がいた。
そろりそろりと歩きながら、蛍は教室の後ろの方に固まっている集団をチラリ見する。
小学生にしては派手な赤い服を着た女の子が一人。その回りを三人の男の子が腰巾着のように取りまいていた。
また何かしら難癖をつけようと企んでいるのだろうかと思うと蛍は憂鬱な気持ちになった。
最近、蛍は彼女たちからいじめを受けていた。
大声で嫌みを言われたり、足を引っかけられたり。たまに物を隠されたりすることもあった。
自分の机の前で蛍は立ち止まった。そして、内心でしまったと舌打ちをする。
既に企みは開始されていたのだ。
机一面に落書きがされていた。
臭い!
ゲロ吐き女
ゲーゲー ぶつぶつ女 キモい
死ね 学校来るな
ご丁寧に泣きながら口から何かを吐き出している蛍らしきイラストも描き加えられていた。
それを見たとたん、蛍の体は恥ずかしさでかっと熱くなった。それでいて頭からは血の気が引いて、真っ白になる。
蛍は機械人形のように背負っているランドセルをゆっくりとおろした。
恥ずかしさと悲しさとやるせなさがない交ぜになった気持ちが思考を停止させる。
「あははははっ」
突然、笑い声が教室に響きわたった。
2019/09/15 初稿




