蛍はいつも泣いている 5
笑い声のほうを振り向くと、案の定教室の後ろに控えていた赤い服の少女だった。
名前を藤枝瑠璃果と言う。その左隣に男の子が同じようにニヤニヤと勘に触る笑い顔を晒していた。取り巻きの一人、立見謙一だ。
蛍は奥歯を噛み締めた。でないと涙が零れそうだった。
相手にしちゃダメ
蛍はゆっくり自分に言い聞かせる。反応を返せばかえって相手を喜ばせるだけだ。
とにかく、今は机の落書きを消そう、と蛍は思った。雑巾を取ろうと教室の隅の掃除道具入れに向かった。
「君、なにするつもりですか」
蛍の前に少年が立ちふさがる。彼も瑠璃果の三人の取り巻きの一人、日野優太。
蛍より拳一つ背が低い。クラスでも小柄な部類に入る体格といつも半開きの口から覗く前歯からどこかしらリスやネズミを連想させた。そんなのに前に立ちふさがれても迫力に欠けるが、小刻みに貧乏ゆすりをしながら上目遣いで目の前をチョロチョロされて、蛍の神経はヒリヒリとささくれだった。
「どいて」
優太の横を強引に通り抜けようとしたが、優太はそれを許さなかった。しつこく蛍の前に体を移動させると、わざとらしく大きく目を見開く。
「まさか、雑巾を取ろうとしているんじゃないですよね」
どこか相手を小馬鹿にした物言いを蛍は今一度無視と決め込み、横に半歩、体をずらした。しかし、優太はなおも手を拡げて邪魔をする。あくまでも行く手を阻むつもりだ。
「やめてください。君が雑巾を使って、雑巾が臭くなったらみんなの迷惑ですから」
優太は自分の言葉を自分で肯定するようにうんうんと頻りに頷いていた。
「そうだ。そうだ。
ゲーゲーが雑巾に付いたら、ばっちくて誰も触れなくなるじゃん」
背後からの声に蛍は振り返ると三人目の取り巻きである城崎一の姿がすぐ目の前にあった。
「臭い、臭い」
横からも声がした。さっき瑠璃果の横にいたはずの立見謙一がいつの間にか触れるぐらいの近くに忍び寄っていたことに蛍は少し驚いた。
謙一は鼻をつまんでこれ見よがしに囃し立てた。
「くっさい、くさい」
謙一の言葉に優太と一が続く。
「「くっさい、くさい」」
ついに三人が手拍子をしながら合唱しはじめた。前後と左を囲まれて逃げ場を失い、蛍はたじろいだ。
「「「くっさい、くさい くっさい、くさい」」」
謙一、優太、一は容赦なく囃し立てる。
「どいて」
耐えきれなくなり、蛍は囲みから抜け出そうと少年たちの間に強引に体を割り込ませようとする。少年たちはそうはさせじと、蛍の肩や腕を掴むと強引に引っ張った。
「あっ?!」
蛍はバランスを崩して、転んだ。
「「「あはははは」」」
無様に尻餅をついた蛍に嘲笑が容赦なく降り注いだ。
鼻の奥がじわりと熱を帯びる。泣くまいと、蛍は歯を食いしばったが、堪えきれずボロリと涙が零れた。
蛍は必死に立ち上がると、そのまま教室を飛び出た。
2019/09/22 初稿




