第7話 追放された僕のスライムが、侯爵家の騎士を倒してしまった
「レオン・アルヴェイン! 侯爵家の名において、その魔物を引き渡せ!」
追放されて二日目の夜。
ようやく見つけた僕たちの家に、武装した騎士たちがやってきた。
人数は六人。
全員、見覚えのある紋章を胸につけている。
アルヴェイン侯爵家。
昨日まで、僕が暮らしていた家の紋章だった。
「……どうして、ここに?」
「質問を許した覚えはない!」
先頭の騎士が怒鳴った。
名はバルド。
侯爵家の警備隊に所属する騎士で、僕の剣術の訓練相手を務めたこともある。
もっとも、僕は一度も勝てなかったけれど。
「そこにいる青い魔物だ。そいつを渡せ」
バルドが指さした先。
僕の腕の中では、ポヨがのんきに眠っていた。
ぽよ……。
「……ポヨを?」
「そうだ。弟君のルシアン様が、珍しい魔力反応を確認された」
僕は首をかしげた。
「……ルシアンが?」
「侯爵家の領内で発見された魔物は、侯爵家の管理下に置かれる。無能なお前には過ぎた代物だ」
その言葉を聞いて、ようやく事情がわかった。
ポヨが進化したことを、何らかの方法で知ったらしい。
そして、欲しくなったのだろう。
ルシアンは昔から、珍しい魔道具や魔物を集めるのが好きだった。
でも。
「……嫌です」
僕は答えた。
バルドの眉が動く。
「何?」
「ポヨは、僕の友達です」
「だから何だ」
「物じゃないので、渡せません」
沈黙。
次の瞬間。
「……はっ!」
バルドが笑った。
「聞いたか、お前たち! 魔物が友達だと!」
後ろの騎士たちも笑い始めた。
「さすがは無能の長男だ」
「魔物と人間の区別もつかないらしい」
「だから追放されたんだろう」
僕は何も言わなかった。
言い返したところで、ポヨが僕の友達であることは変わらない。
ただ。
一つだけ、気になることがあった。
「……どうして、ここがわかったんですか?」
バルドの笑いが止まった。
「何?」
「僕がこの遺跡にいること、誰にも話していないんです」
父から渡された地図に、この遺跡は載っていなかった。
僕自身、昨日偶然見つけたばかりだ。
それなのに、騎士たちはまっすぐここへ来た。
バルドは、少しだけ目を細めた。
「……余計なことを考えるな」
そして、腰の剣を抜いた。
「最後の警告だ。魔物を渡せ」
その瞬間。
僕の足元で、低い唸り声がした。
「……きゅうう」
ルナだった。
赤茶色の毛を逆立て、金色の瞳で騎士たちを睨んでいる。
尻尾には、三つの青白い炎。
その後ろでは、小さな妖精が震えていた。
「お、お、王よ……!」
「大丈夫。下がってて」
「しかし、あやつらは王に剣を……!」
「だから、みんなを奥へ連れていって」
妖精は一瞬、口を閉じた。
そして、力強くうなずいた。
「……承知しました!」
妖精が飛び立つ。
その直後。
バルドが、僕へ向かって歩き出した。
「退け」
「……嫌です」
「二度は言わん」
剣が持ち上がる。
僕はポヨを抱きしめた。
怖い。
昨日の灰牙狼も怖かった。
古代遺跡の守護兵も怖かった。
でも、今はそれとは少し違う。
目の前にいるのは、人間だ。
しかも、僕のことを知っている人たちだ。
それなのに。
この人たちは、ポヨを奪うためなら僕を傷つけてもいいと思っている。
「……バルドさん」
「何だ」
「僕、もう侯爵家の人間じゃないんですよね」
「当然だ」
「だったら、僕の友達をどうするかは、僕が決めてもいいはずです」
バルドの顔が歪んだ。
「……口答えをするな!」
剣が振り下ろされた。
「っ!」
僕は横へ飛んだ。
刃が肩をかすめる。
服が裂けた。
その瞬間。
ぽよん。
腕の中で、ポヨが目を覚ました。
いや、目はないんだけど。
でも。
今まで眠っていたポヨの身体が、ぴたりと止まった。
「……ポヨ?」
青い身体の中に、銀色の光が浮かぶ。
そして。
ぽよ。
いつもより、ずっと低い声がした。
次の瞬間。
ポヨが跳んだ。
「……何っ!?」
バルドの顔に、青い塊が張りついた。
「ぐあっ!」
騎士がよろめく。
ポヨの身体から、水が噴き出した。
ぶしゃあっ!
「な、何だこれは!」
バルドが剣を振り回す。
けれど、ポヨはすでに離れていた。
ぽよん!
地面に着地。
そして、もう一度跳ぶ。
今度は、バルドの足元へ。
にゅるるる。
青い身体が、薄く広がった。
「……っ!?」
バルドの足が滑った。
がしゃん!
鎧を着た騎士が、派手に転倒する。
「…………」
僕は固まった。
ポヨが。
侯爵家の騎士を。
転ばせた。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
でも。
次の瞬間。
「ふざけるなああっ!」
バルドが立ち上がった。
顔は真っ赤。
目には怒りが浮かんでいる。
「この私を、スライムごときが!」
剣に、赤い光が宿った。
火属性の魔力。
僕は息をのんだ。
バルドは、剣に魔法をまとわせることができる。
訓練では、何度も見せられた。
そして、何度も負けた。
「……ポヨ、下がって!」
けれど。
ポヨは動かなかった。
青い身体を大きく膨らませる。
その瞬間。
僕の視界に、文字が浮かんだ。
【個体名:ポヨ】
【種族:共鳴スライム】
【新規魔力反応を検知】
【火属性:高出力】
【魔力共鳴:接続可能】
【警告:対象は敵対個体】
【直接接触による魔力吸収は危険です】
「……え?」
僕は目を見開いた。
ポヨは、触れた相手の魔力を一時的に模倣できる。
でも、バルドの火属性は強すぎる。
昨日、守護兵の魔力を吸収したときも、ポヨは破裂しかけた。
同じことを繰り返したら、危ない。
「ポヨ! 吸い込んじゃだめ!」
ぽよ?
「昨日みたいになったら、困るから!」
ポヨが、ぴたりと止まった。
そして。
ぽよん。
小さく跳ねた。
……わかってくれたのかな。
そのとき。
バルドが踏み込んだ。
「消し飛べ!」
炎をまとった剣が、ポヨへ迫る。
僕は叫んだ。
「ルナ!」
「きゅうっ!」
青白い炎が、横から飛んだ。
バルドの顔の前で、ぱっと弾ける。
「ぐっ!?」
目くらまし。
その一瞬。
「ポヨ! 水!」
ぽよん!
大量の水が、バルドの足元に広がった。
炎の剣は、空を切る。
そして。
つるっ。
「……なっ!?」
がしゃああん!
バルドが、再び転んだ。
今度は、顔から。
「…………」
僕は、しばらく動けなかった。
……いや。
何というか。
すごい。
でも。
ちょっと、かわいそう。
僕は恐る恐る近づいた。
「……大丈夫ですか?」
「……き、貴様……!」
バルドが、震える声で言った。
「……この私を、二度も……!」
「……ごめんなさい」
「謝るなあああっ!」
怒られた。
どうすればいいんだろう。
僕は困ってしまった。
けれど。
そのときだった。
後ろにいた騎士の一人が、突然叫んだ。
「隊長! あれを!」
「……何だ!」
「遺跡の入口に、魔物が……!」
僕は振り返った。
そこには。
三十七匹の魔物たちが、並んでいた。
角兎。
スライム。
岩蜥蜴。
小鳥。
毛玉のような魔物。
そして、その先頭には。
小さな妖精。
「……皆の者!」
妖精が、震える声で叫んだ。
「我らが王を守るのです!」
「……ちょっと待って!」
僕は慌てて叫んだ。
「みんな、危ないから下がって!」
でも。
魔物たちは動かなかった。
ぽよ。
きゅる。
ぴよ。
小さな声が、次々と重なる。
僕は、息をのんだ。
……みんな。
僕を守ろうとしてくれている。
その瞬間。
視界に、新しい文字が浮かんだ。
【集団共鳴条件を確認】
【共鳴スライム:ポヨ】
【周辺個体数:三十七】
【自発的協力意思:確認】
【新規能力の発現条件を達成】
「……え?」
ポヨの身体が、銀色に光った。
【固有能力拡張】
【魔力共鳴】
【 ↓ 】
【魔力共鳴・分配】
【複数個体間で微量の魔力を一時的に分配できます】
【注意:総魔力量は増加しません】
【注意:個体間の適性差により損失が発生します】
【注意:使用後、対象個体に疲労が発生します】
僕は、文字を見つめた。
魔力を、分配する?
それなら。
僕は、魔物たちを見た。
小さな子ばかりだ。
戦う力なんて、ほとんどない。
でも。
一匹ずつの力は小さくても。
みんなの力を、少しずつ合わせられるなら。
「……ポヨ」
ぽよん。
「みんなの力を、借りられる?」
ポヨが、僕を見上げた。
そして。
ぽよ!
力強く跳ねた。
僕は、魔物たちに向かって言った。
「……お願いがあるんだ」
三十七匹の魔物たちが、僕を見た。
「無理はしないで。疲れたら、すぐにやめて」
僕は、ゆっくりと続けた。
「でも、もし力を貸してくれるなら……」
胸が、少しだけ熱くなった。
「僕たちの家を、一緒に守ってほしい」
一瞬の沈黙。
そして。
ぽよおおん!
きゅるる!
ぴよぴよ!
魔物たちが、一斉に鳴いた。
ポヨの身体から、銀色の光が広がる。
細い糸のような光が、魔物たちへ伸びていく。
その一本一本が、触れた相手の魔力とつながっていった。
【集団共鳴:開始】
【接続個体数:三十七】
【属性:水・土・風・幻炎・無属性】
【共鳴効率:低】
【魔力分配量:微量】
光が、地面を走った。
岩蜥蜴たちの土属性魔力が、石床へ流れ込む。
角兎たちの風属性魔力が、周囲の空気を揺らす。
ルナの幻炎が、青白い光を放つ。
そして。
ポヨが、僕の足元で跳ねた。
ぽよおおん!
どんっ!
騎士たちの足元から、土の塊がせり上がった。
「……なっ!?」
騎士たちが、よろめく。
そこへ、風が吹いた。
鎧の隙間に、砂が入り込む。
「目がっ!」
「何だこれは!」
さらに。
青白い炎が、周囲にいくつも浮かんだ。
ルナの幻炎。
それが、騎士たちの視界を惑わせる。
「敵はどこだ!」
「隊長! 前が見えません!」
僕は、目を見開いた。
……すごい。
でも。
これは、強い魔法じゃない。
一つ一つは、弱い力だ。
それを、ポヨがつないでいる。
そして。
みんなが、協力している。
「……ポヨ」
僕は、思わず笑った。
「君、本当にすごいね」
ぽよん!
ポヨが、嬉しそうに跳ねた。
その瞬間。
バルドが、怒鳴った。
「……ふざけるな!」
彼は剣を構え直した。
「こんな下級魔物どもに、この私が負けるはずがない!」
炎が、剣に集まる。
今までより、ずっと強い光。
僕は息をのんだ。
まずい。
あれを放たれたら、魔物たちが危ない。
「……ポヨ!」
ぽよ!
「みんなを下がらせて!」
ポヨの身体が、銀色に光った。
魔物たちへの魔力分配が止まる。
その直後。
バルドが剣を振り上げた。
「燃え尽きろ!」
炎の斬撃が、こちらへ飛んだ。
僕は、動けなかった。
速すぎる。
避けられない。
そう思った瞬間。
ぽよおおん!
ポヨが、僕の前へ飛び出した。
「……ポヨ!?」
青い身体が、大きく広がる。
炎が、ポヨに直撃した。
ぼうっ!
凄まじい熱。
僕は反射的に顔を覆った。
そして。
「……ポヨ!」
叫んだ。
でも。
返事はなかった。
炎が消える。
そこには。
小さく縮んだ、青い塊が落ちていた。
「…………」
僕は、息をのんだ。
ポヨ。
動かない。
身体の中の銀色の光も、ほとんど消えている。
「……ポヨ?」
僕は、ゆっくりと近づいた。
抱き上げる。
いつもの、ひんやりした感触。
でも。
軽い。
あまりにも、軽い。
「……ポヨ」
僕の声が、震えた。
視界に文字が浮かぶ。
【個体名:ポヨ】
【状態:重度魔力消耗】
【生命力:低下】
【共鳴能力:一時停止】
【警告:連続使用により魔力循環が損傷】
「……そんな」
僕は、ポヨを抱きしめた。
昨日も。
今日も。
ポヨは、僕を守ろうとしてくれた。
僕は、何もできなかった。
いや。
違う。
僕は、ポヨに無理をさせた。
「……ごめん」
声が震える。
「ごめんね、ポヨ」
そのとき。
バルドが、剣を持ち上げた。
「……終わりだ」
僕は顔を上げた。
バルドの目には、まだ怒りが残っていた。
「その魔物は、もう使い物にならん」
「…………」
「さあ、次はお前だ」
僕は、ポヨを抱きしめたまま立ち上がった。
そして。
「……バルドさん」
「何だ」
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「……何だと?」
「ルシアンは、どうしてポヨのことを知っていたんですか?」
バルドの顔が、わずかに変わった。
「……それは」
「僕が追放される前から、何か知っていたんですか?」
沈黙。
その瞬間。
僕は、バルドの腰に下がっている小さな金属板に気づいた。
侯爵家の命令書を封じるための魔道具。
そこには、日付が刻まれていた。
僕が追放された日の、三日前。
「……え?」
僕は、思わずつぶやいた。
「……三日前?」
バルドが、はっとした顔をした。
そして、慌てて金属板を隠した。
「……貴様には関係ない!」
でも。
僕は、もう見てしまった。
僕が追放される三日前。
その時点で、騎士たちには何かの命令が出されていた。
つまり。
僕の追放は。
最初から、決まっていた?
「……ルシアンが?」
僕は、小さくつぶやいた。
バルドの表情が、さらに険しくなった。
「……黙れ!」
剣が振り上げられる。
その瞬間。
「きゅうううっ!」
ルナが、僕の前へ飛び出した。
青白い炎が、三つ。
いや。
四つ。
五つ。
六つ。
「……ルナ?」
僕は目を見開いた。
ルナの身体が、淡い金色に輝いている。
【個体名:ルナ】
【種族:幼体妖狐】
【進化条件の一部を達成】
【信頼対象への自発的防衛行動】
【幻炎制御能力:上昇】
【新規能力:幻炎分身】
次の瞬間。
ルナの姿が、三つに分かれた。
「……なっ!?」
バルドが、目を見開いた。
三匹のルナが、同時に走る。
右。
左。
正面。
バルドが剣を振る。
けれど、刃は幻を切り裂いただけだった。
その隙に。
本物のルナが、バルドの背後へ回り込んだ。
「きゅうっ!」
青白い炎が、騎士の足元で弾けた。
ぼっ!
「ぐあっ!」
バルドが、再び転倒する。
今度は、剣を手放した。
がしゃん!
剣が、僕の足元へ転がってきた。
僕は、それを見つめた。
そして。
ゆっくりと拾い上げた。
バルドが、顔を上げた。
「……何をする気だ」
僕は、剣を握った。
重い。
昨日まで、僕はこの人に一度も勝てなかった。
剣術でも。
魔法でも。
何一つ。
でも。
今、目の前にいるバルドは。
ポヨとルナに、何度も倒されていた。
「……バルドさん」
僕は、剣を地面に置いた。
「もう、帰ってください」
「……何?」
「ポヨは、渡しません」
僕は、まっすぐに彼を見た。
「それから」
少しだけ、声を強くした。
「もう二度と、僕の友達を傷つけないでください」
バルドは、しばらく僕を睨んでいた。
けれど。
周囲には、三十七匹の魔物たち。
ルナの幻炎。
そして、入口を守る古代遺跡の防護結界。
バルドは、ようやく剣を拾った。
「……後悔するぞ」
低い声だった。
「ルシアン様は、必ずお前を潰す」
僕は、何も答えなかった。
バルドは、騎士たちを連れて森の奥へ去っていった。
その背中を見送りながら。
僕は、ポヨを抱きしめた。
「……ポヨ」
小さな身体は、まだ動かない。
でも。
かすかに、温かかった。
僕は、ほっと息をついた。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、つぶやく。
「絶対に、治してあげるから」
そのとき。
妖精が、僕の肩に飛んできた。
「……王よ」
「……うん」
「ポヨ殿を、治す方法がございます」
僕は、顔を上げた。
「……本当!?」
「はい。ただし……」
妖精の表情は、今までになく真剣だった。
「この森の奥にしかない、特別な魔力結晶が必要です」
「……森の奥?」
「はい」
妖精は、小さくうなずいた。
「そして、その結晶がある場所には……」
言葉を止める。
僕は、息をのんだ。
「……何がいるの?」
妖精は、震える声で答えた。
「……銀狼王」
その名を聞いた瞬間。
僕の肩にいた霊鳥が、悲しげに鳴いた。
ぴぃ……。
そして。
僕の頭の中に、また光景が浮かんだ。
黒い鎖。
青白い炎。
巨大な銀色の獣。
その瞳から、涙のような光がこぼれていた。
『……助けて』
僕は、息をのんだ。
その声は。
今度は、はっきりと聞こえた。
そして、視界に文字が浮かんだ。
【緊急情報】
【個体名:ポヨ】
【魔力循環損傷:進行中】
【自然回復:困難】
【必要素材:月光魔晶】
【推定入手場所:北部封印領域】
【警告】
【銀狼王の精神侵食率:九十三%】
【封印崩壊まで:残り六日】
僕は、しばらく動けなかった。
六日。
あと六日で、銀狼王の封印が壊れる。
そして。
ポヨを治すためには、その銀狼王がいる場所へ行かなければならない。
「……ポヨ」
僕は、小さな身体を抱きしめた。
ぽよ……。
かすかな返事。
それを聞いて、僕は決めた。
「……行こう」
妖精が、目を見開いた。
「王よ!?」
「ポヨを治したい」
「しかし、銀狼王は災厄級の魔物です!」
「……うん」
「今の我々では、到底勝てません!」
「……わかってる」
僕は、ポヨを見た。
そして、ルナを見た。
霊鳥を見た。
三十七匹の魔物たちを見た。
みんな、僕を見つめている。
「……だから、勝ちに行くんじゃない」
僕は、ゆっくりと言った。
「助けに行くんだ」
妖精が、息をのんだ。
「……銀狼王を、ですか?」
「うん」
僕は、霊鳥が見せた光景を思い出した。
黒い鎖に縛られた、巨大な獣。
苦しそうな声。
助けを求める瞳。
「……あの子も、苦しんでるんだと思う」
僕は、少しだけ笑った。
「だったら、ポヨと一緒に助けたい」
妖精は、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと、頭を下げた。
「……王よ」
その声は、震えていた。
「この命、あなた様にお預けいたします」
「……いや、命は預からないよ」
僕は慌てて言った。
「みんなで、生きて帰ろう」
妖精が、顔を上げた。
そして。
涙を浮かべながら、笑った。
「……はい!」
その夜。
僕たちは、初めての遠征準備を始めた。
目指すのは、北部封印領域。
災厄級の銀狼王が眠る場所。
そして。
ポヨを救うための、唯一の手がかりがある場所だった。
◇
同じ頃。
アルヴェイン侯爵家。
ルシアンは、報告を聞いていた。
「……何だと?」
バルドが、片膝をついている。
「申し訳ございません。レオン様の魔物は、予想以上に……」
「スライムだぞ?」
ルシアンの声は、静かだった。
「ただの、スライムだぞ?」
「……はい」
「それに負けた?」
バルドは、答えられなかった。
ルシアンは、ゆっくりと立ち上がった。
そして。
机の上に置かれた、一枚の書類を手に取った。
そこには、古い文字が記されていた。
【古代契約施設・調査記録】
【推定所在地:灰霧の森】
【認証条件:特定血統】
【優先確保対象:エレシアの遺品】
ルシアンは、書類を見つめた。
「……兄上」
その口元が、ゆっくりと歪む。
「やはり、持っていたんですね」
彼は、窓の外を見た。
灰霧の森がある方角。
「……母上の石を」
そして。
静かに笑った。
「ならば、予定を早めましょう」
バルドが、顔を上げた。
「……予定、ですか?」
「ええ」
ルシアンは、机の引き出しから一通の手紙を取り出した。
黒い封蝋。
そこには、王国の紋章ではない、見知らぬ紋章が刻まれていた。
「北方の協力者に、連絡してください」
「……協力者?」
「彼らは、ずっと待っているんです」
ルシアンは、微笑んだ。
「古代施設が目覚める、この瞬間を」
そして、手紙をバルドへ渡した。
「兄上には、感謝しなければなりませんね」
その声には、冷たい喜びが混じっていた。
「無能な兄上が、ようやく役に立ってくれたんですから」
――その夜。
灰霧の森の北部で。
黒い鎖に縛られた銀狼王が、苦しげに身を震わせた。
そして。
その首に埋め込まれた、小さな黒い結晶が。
不気味な赤い光を放ち始めていた。
【強制進化実験・第七段階】
【対象:銀狼王】
【精神侵食率:九十四%】
【最終処理まで:六日】
暗闇の中で、誰かが笑った。
『……ようやく、器が目覚めた』
『あとは、継承者を連れてくるだけだ』




