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第3話 森の奥に眠る、忘れられた遺跡

「……ポヨ。大変なことに気づいた」


 ぽよ?


「僕たち、今日寝る場所がない」


 ぽよん。


「いや、そんな元気よく返事されても」


 灰霧の森に夜が近づいていた。


 木々の隙間から差し込んでいた夕日も、今ではすっかり弱くなっている。


 森の中は昼間とは別の顔を見せ始めていた。


 遠くで聞こえる獣の声。


 枝の上を走る何かの足音。


 そして、ときどき響く、正体のわからない低い唸り声。


 正直に言おう。


 怖い。


 ものすごく怖い。


 さっきはポヨのおかげで灰牙狼から逃げられたけれど、同じような魔物がもう一匹現れたら、今度こそ危ない。


 僕の魔力はまだほとんど回復していないし、左腕も痛む。


 何より、お腹が空いていた。


「……パン、あと半分か」


 鞄の中を確認して、ため息をつく。


 すると。


 にゅるん。


 ポヨが鞄の中へ身体を伸ばした。


「……ポヨ?」


 ぴたり。


「何してるの?」


 ぽよ?


「そのパン、僕のなんだけど」


 ぽよぽよ。


 どうやら、聞こえないふりをしているらしい。


「……半分こにしようね」


 ぽよん!


 元気な返事だった。


 僕は少しだけ笑った。


 こんな状況なのに、不思議と寂しくはなかった。


 たぶん、ポヨがいるからだろう。


 僕はパンを小さく割り、一欠片をポヨに渡した。


 そして、残りを口に入れる。


 固い。


 ものすごく固い。


 でも、今は贅沢を言っていられない。


「さて。監視小屋はどこだろう」


 父から渡された地図を広げる。


 森の外縁部に、小さな印がついていた。


 けれど、目の前にあるのは木ばかり。


 地図と景色が、まったく一致しない。


「……もしかして、道を間違えた?」


 ぽよん。


「だよね……」


 僕は空を見上げた。


 このまま森を歩き回るのは危険だ。


 木の上で夜を明かすことも考えたけれど、灰牙狼のような魔物がいる森では安全とは言えない。


 せめて、雨風をしのげる場所があれば。


 そう思った、そのときだった。


 ポヨが突然、僕の腕から飛び降りた。


「ポヨ?」


 ぽよ、ぽよ、ぽよ!


 地面を跳ねながら、森の奥へ進んでいく。


「ちょっと、待って!」


 慌てて追いかける。


 ポヨは倒木を飛び越え、茂みを抜け、細い獣道へ入っていった。


 その動きには、どこか確信めいたものがあった。


「……何か見つけたの?」


 ぽよん!


 ポヨの身体の中で、銀色の光が瞬いた。


 共鳴スライム。


 先ほど進化したばかりのポヨには、周囲の魔力に反応する能力がある。


 もしかすると、何かを感じ取っているのかもしれない。


 僕は少し迷ってから、後を追った。


 そして。


「……え?」


 木々の間に、石の壁が見えた。


 苔に覆われた、古い石造りの建物。


 半分ほどが土に埋まり、屋根には太い木の根が絡みついている。


 長い間、誰にも使われていないようだった。


「……遺跡?」


 僕は思わず足を止めた。


 灰霧の森には、古代文明の遺跡が点在している。


 その話は知っていた。


 けれど、実際に見るのは初めてだった。


 石壁には、見たことのない文字が刻まれていた。


 円と直線が複雑に組み合わさった、不思議な模様。


 僕は指先で、そっと触れてみた。


 すると。


 胸元の石が、かすかに温かくなった。


「……また?」


 母の形見。


 灰色の石。


 さっきポヨが進化したときにも、光っていた。


 偶然だろうか。


 そう思った瞬間。


【古代魔力反応を検知】


【未登録施設】


【施設状態:休眠】


【内部魔力循環:停止】


 視界に文字が浮かんだ。


「……施設?」


 僕は建物を見上げた。


 ただの廃墟ではないらしい。


 ポヨが、壁の前で跳ねた。


 ぽよん!


 身体の中の銀色の光が、また瞬いた。


「ここに入りたいの?」


 ぽよぽよ!


「でも、入口が……」


 建物の正面には、巨大な石扉があった。


 高さは三メートルほど。


 表面には、古い紋章が刻まれている。


 けれど、扉の隙間には土や木の根が入り込み、とても動きそうになかった。


「……無理そうだね」


 僕がつぶやくと。


 ぽよん!


 ポヨが扉に張りついた。


「……ポヨ?」


 にゅるるる。


 身体が細く伸びていく。


 そして、石扉のわずかな隙間へ入り込んだ。


「えっ、そんなところ通れるの!?」


 ぽよん!


 返事だけが、扉の向こうから聞こえた。


 僕はしばらく待った。


 すると。


 ごとん。


 扉の奥で、何かが動いた。


 続いて。


 ごごごご……。


 重い音とともに、石扉がわずかに開き始めた。


「……うそ」


 僕は目を丸くした。


 扉の向こうから、ポヨが飛び出してくる。


 ぽよーん!


「すごいよ、ポヨ!」


 僕は思わず抱き上げた。


「どうやったの?」


 ぽよぽよ!


「……うん。全然わからないけど、ありがとう」


 ポヨは得意げに震えた。


 僕は開いた扉の隙間から、建物の中をのぞいた。


 暗い。


 けれど、奥には広い空間があるようだった。


 雨風をしのぐには十分そうだ。


「……ちょっとだけ、入ってみようか」


 ぽよん!


 僕たちは、慎重に中へ進んだ。


     ◇


 建物の内部は、想像していたより広かった。


 中央には円形の広間。


 壁沿いには、いくつもの小部屋。


 天井は高く、ところどころ崩れているものの、主要な柱は残っていた。


「……ここなら、雨は防げそうだね」


 僕は周囲を見回した。


 古い石床には埃が積もっている。


 けれど、魔物の足跡は見当たらない。


 少なくとも、今は誰も住んでいないらしい。


 僕は少し安心した。


「よし。今日はここで休もう」


 ぽよん!


 ポヨが広間を跳ね回る。


 そのたびに、埃が舞い上がった。


「……ポヨ。掃除が必要だね」


 ぽよ?


「いや、君も手伝ってよ」


 ぽよん!


 ポヨは元気よく跳ねた。


 そして。


 ずるるるる。


 床に積もった埃を、身体の中へ取り込み始めた。


「……え?」


 僕は目を見開いた。


 ポヨが通った場所だけ、石床がきれいになっていく。


「……掃除もできるの?」


 ぽよぽよ!


 どうやら、できるらしい。


 しかも、本人は楽しそうだった。


 僕はしばらく、その様子を眺めていた。


 そして、ふと思った。


「……これ、すごく便利じゃない?」


 侯爵家の屋敷には、何十人もの使用人がいた。


 毎日、広い廊下や部屋を掃除するだけでも大変そうだった。


 でも、ポヨなら。


「……いや、さすがに屋敷全部は無理か」


 ぽよん!


 ポヨが抗議するように跳ねた。


「ごめんごめん。ポヨならできるかもしれないね」


 ぽよぽよ!


 なんだか、少し誇らしげだった。


 僕は笑いながら、広間の奥へ進んだ。


 そこには、古い台座があった。


 円形の石。


 表面には、複雑な模様。


 そして中央には、小さなくぼみがあった。


「……何だろう」


 僕は台座に近づいた。


 その瞬間。


 胸元の石が、強く熱を帯びた。


「……っ!」


 思わず革袋を取り出す。


 中の灰色の石が、淡い銀色に輝いていた。


 台座のくぼみと、ほとんど同じ大きさだった。


「……まさか」


 僕は息をのんだ。


 母の形見が、この遺跡と関係している?


 でも、どうして?


 母は、ただの優しい人だったはずだ。


 少なくとも、僕はそう思っていた。


 僕はしばらく迷った。


 そして、石を台座に近づけた。


 そのとき。


 かさり。


 背後で、小さな音がした。


「……え?」


 振り返る。


 広間の入口。


 崩れた石柱の陰に、何かがいた。


 小さな影。


 赤茶色の毛並み。


 大きな耳。


 ふさふさした尻尾。


「……狐?」


 そこにいたのは、一匹の小さな狐だった。


 まだ子どもらしく、身体は僕の腕ほどの大きさしかない。


 けれど、その目は鋭かった。


 金色の瞳が、じっと僕を見つめている。


 僕が一歩近づくと。


「……きゅっ!」


 狐は威嚇するように鳴いた。


 そして、尻尾を大きく膨らませた。


「……ごめん。驚かせちゃった?」


 僕は足を止めた。


 狐は、僕ではなく。


 僕の腕の中にいるポヨを見ていた。


 ぽよ?


 ポヨが首をかしげるように震えた。


 すると。


「きゅうっ!」


 狐が、さらに大きな声で鳴いた。


 ……どうやら、ポヨが気に入らないらしい。


「……仲良くできないかな」


 僕がそう言った瞬間。


 視界に、文字が浮かんだ。


【種族:幼体妖狐】


【状態:空腹・警戒】


【進化可能性:複数】


【希少進化候補:幻炎狐】


【未発見進化:??????】


「……え?」


 僕は目を見開いた。


 まただ。


 ポヨのときと同じ。


 魔物の進化先が見える。


 しかも。


【注意】


【対象個体は、通常の幼体妖狐より高い魔力適性を有しています】


【ただし、現在の成長環境では進化条件を満たせません】


 僕は狐を見た。


 小さな身体。


 警戒した瞳。


 そして、わずかに震える足。


「……君も、お腹が空いてるの?」


 狐は答えなかった。


 でも、その視線が、僕の鞄へ向いた。


 ……ああ。


 なるほど。


 僕は鞄を開いた。


 残っているのは、パンの欠片だけ。


 正直、これが最後の食料だ。


 でも。


「……食べる?」


 僕はパンを小さくちぎって、床に置いた。


 狐は動かなかった。


 しばらく、じっと見ている。


 そして。


 そろり。


 一歩だけ近づいた。


 僕は動かずに待った。


 狐はパンをくわえると、素早く石柱の陰へ戻った。


 そして、夢中で食べ始めた。


「……よかった」


 僕は小さく笑った。


 そのとき。


 ぽよん!


 ポヨが僕の腕から飛び降りた。


 そして、狐の方へ跳ねていく。


「……ポヨ?」


 ぽよぽよ!


 狐が顔を上げた。


「きゅっ!」


 威嚇する。


 ポヨは止まらない。


 ぽよん!


 さらに近づく。


「きゅうっ!」


 狐の尻尾が逆立った。


 次の瞬間。


 ぼっ!


 小さな青白い炎が、狐の尻尾の先に灯った。


「……えっ!?」


 僕は驚いた。


 炎だ。


 まだ幼い狐なのに、魔法が使えるらしい。


 ポヨは、ぴたりと止まった。


 そして。


 ぽよ?


 何事もなかったように、首をかしげた。


 狐は、さらに怒った。


「きゅううっ!」


 ぼぼっ!


 炎が二つに増える。


「ちょ、ちょっと待って!」


 僕は慌てて二匹の間に入った。


「喧嘩しないで!」


 ぽよん!


「きゅっ!」


 ……どうやら、どちらも納得していないらしい。


 僕はため息をついた。


「……これから、賑やかになりそうだね」


 そのときだった。


 広間の奥で。


 かちり。


 小さな音が響いた。


 僕は振り返った。


 台座の上。


 まだ置いていないはずの灰色の石が、僕の手の中で強く光っている。


 そして。


 台座の表面に刻まれていた模様が、ゆっくりと輝き始めた。


【古代施設:部分起動】


【継承者候補を検知】


【血統認証:一致】


【契約認証:未完了】


【施設機能:制限中】


「……え?」


 僕は息をのんだ。


 血統認証?


 契約認証?


 何のことだろう。


 さらに、文字が続いた。


【確認】


【現在、施設内に複数の未契約魔物を検知】


【契約を希望しますか?】


 僕は、ポヨを見た。


 そして、狐を見た。


 契約。


 魔物との契約は、魔物使いが行うものだ。


 魔力によって魔物を従わせ、命令を聞かせる。


 そんな話を、授業で聞いたことがある。


 でも。


 僕は少し考えた。


 ポヨは、僕の友達だ。


 狐だって、今はまだ警戒しているけれど、できれば仲良くなりたい。


 それを、無理やり従わせるなんて。


「……嫌だな」


 僕は小さくつぶやいた。


「一緒にいてくれるなら嬉しいけど、無理やりは嫌だよ」


 その瞬間。


 台座の光が、ぴたりと止まった。


 僕は驚いた。


「……あれ?」


 何か、間違えた?


 そう思ったときだった。


【回答を確認】


【強制契約:拒否】


【自由意思による共生を選択】


【古代契約理念との一致を確認】


【継承者適性:上昇】


 僕は目を瞬かせた。


「……何?」


 その直後。


 台座の奥から、低い音が響いた。


 ごごごご……。


 床が、わずかに揺れる。


 壁の一部が、ゆっくりと動き始めた。


「……えっ!?」


 石壁が左右に開く。


 その向こうには、暗い階段があった。


 地下へと続く、長い階段。


 そして。


 その奥から。


 かすかな光が、漏れていた。


 僕は思わず息をのんだ。


「……地下室?」


 ポヨが、嬉しそうに跳ねた。


 ぽよん!


 狐も、警戒しながら階段を見つめている。


 僕は少し迷った。


 危険かもしれない。


 でも。


 この遺跡には、母の形見と関係する何かがある。


 それだけは、確かな気がした。


「……少しだけ、見てみようか」


 僕はポヨを抱き上げた。


 そして、狐に声をかけた。


「君も来る?」


 狐は、ぷいっと顔をそむけた。


 ……どうやら、まだ嫌われているらしい。


 僕は苦笑した。


「じゃあ、ここで待っててね」


 そう言って、階段へ足を踏み出した。


 その直後。


 とととっ。


 小さな足音がした。


 振り返ると。


 狐が、少し離れたところをついてきていた。


「……来るんだ」


「きゅっ!」


 怒ったように鳴く。


 僕は笑った。


「うん。よろしくね」


 こうして僕たちは、古代遺跡の地下へと進んだ。


 その先に、何が待っているのかも知らずに。


     ◇


 地下の最深部。


 長い年月、誰にも触れられていない石室。


 その中央には、巨大な水晶が浮かんでいた。


 水晶の内部では、小さな光が明滅している。


 そして。


 誰もいないはずの部屋に、声が響いた。


『……継承候補者を確認』


『血統一致』


『強制契約拒否を確認』


『……あり得ない』


 声が、わずかに震えた。


『あの方と、同じ選択を……?』


 水晶の光が、強くなった。


『エレシア様』


『あなたの願いは、まだ……』


 そこで、声は途切れた。


 代わりに。


【警告】


【封印領域への接近を検知】


【監視対象:レオン・アルヴェイン】


【保護機構:起動準備】


 赤い文字が、石室いっぱいに浮かび上がる。


 そして、暗闇の中で。


 何かが、ゆっくりと目を開けた。

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