(五)
「それなら、夜の間は君が傍にいればいい。俺が殺されないように」
「え、」と無乃はあからさまな顔をした。
案外初めて見る素直な反応に羅冴流は意表を突かれ、ひょっとすると胸が騒いだりもしたのだが、直後の冷ややかな声にはさらに大きな衝撃を食らった。
「嫌だよ」
少しもためらわずに口にした無乃だった。続けざまに冷たくあしらう。
「だって君、私のことを寝ぼけて殺そうとするだろう。私も命が惜しいからね」
「薄情なやつ」
蛇に間違われて殺されてほしくないと言っておきながら、隣にいろと提案すればそっぽを向くなんて。羅冴流は息を吐いて呆れたように前髪を掻きあげた。
――嫌だよ、なんて、少しも歯に衣着せない言い方。それに、あの寧太丁にさえ笑顔を崩さなかった無乃が、羅冴流に対しては一切取り繕わずに冷たく言い放ったことを、羅冴流は平然を装わなければならなかった。
「無乃、絶対に一緒に君と寝るよ」
にっこりと微笑む羅冴流に、無乃はそれ以上の美しい顔で微笑みかけた。
「何度も言わせるな。絶対に嫌だよ」
まさか本気で嫌がっているわけではないだろうなと、無乃の顎をぴんと指先で軽く持ちあげる。
「俺が死んで、悲しくないとは言わせない」
「何を意地になっている」
無乃の少し驚いたように見開いた目。涼しげな微笑をすぐさま浮かべて無乃は軽く瞼を伏せた。
「けれど、そうだね。私は忘れていたようだ。君が名の通った、剣客だということを。君ほどの男が簡単に死ぬはずがなかったね」
「死ぬ? 剣客?」
一体、夜の添い寝の話しからなぜ剣客へ話しが飛ぶのか。
羅冴流すぐにはかみ砕けず、思い切りもんどりをうっていた。
もしかして、評価しているつもりだろうか?
しかし巧妙に話題をはぐらかされた困惑さえ覆されてしまうほどの、寄せられたほんの小さな信頼の言葉だ。それが羅冴流の毒気を抜き、じんわりと胸を温めてしまう。
なんなのだ、この男は――
一晩貸し与えられた部屋へ、思いがけず丸め込まれてしまった羅冴流が、妙に心拍の上がった胸をかくして足早に階段を上っていく。
その後ろではゆっくりと背中に両手を組んだ無乃がにこにこと満足そうだ。
尋問もうまくいかない、からかっても返される、薄情なんだか、人誑しなんだかよくわからない。遠回しな言葉をようやく理解したとき、まるで遅効性の毒のようにじわりじわりと照れるようなことを、平気で口にする。
晩景門の主座の常套手段に、まさか陥っているわけではないだろうな。
ようやく羅冴流はそのことに気づいてますます眉を顰めていた。
蝋燭の橙色にゆらめく火影は部屋の中に吸い込まれ、廊下は再び真っ暗闇に閉ざされた。
「羅冴流、茶番はここまでだ。私と口裏を合わせて」
羅冴流が部屋に入ると無乃は素早く囁き、背後でぴたりと扉を閉ざした。
ゆっくりと部屋の中程まで進み、静かに口を開く。
「もし病ではなく、行方不明だというなら、魚になった四人はどこへ行くのだろうかと考えていたんだ」
羅冴流は壁に寄りかかり蝋燭の明かりを吹き消した。一筋の煙を残して部屋の中は一段と静けさにのまれる。射し込む月明かりが、講師のように自信溢れる無乃の姿をやわらかく浮かび上がらせた。
「あの草庵は、どうやら違うらしい」
羅冴流の言葉に無乃はやわらかく微笑んだ。
「あそこには誰もいなかったよ」
「中まで見たわけじゃない。本当はいたかも」
「いるはずがないよ。草庵に続く道は私たちが掻き分けて作った新しい道しかなかった。誰もあそこをつかっていない」
「なら、彼らはどこへ消えた?」
「……私は今でも自分で見たものが正しいと思っているし、自分の考え方にそれなりの正しさがあると思っているんだ。もし自分を疑っていたら、私は一体何を信じて考えるべきか見失うだろう。けれど、もしかしたら、本当に病かもしれないと……」
羅冴流をまっすぐみつめる無乃の眼差しだった。臆するものなど何もないかのようだ。左右の目の色が、若干違うことを、闇の中なら悟られない。
だから無乃は深い夜のときだけ打って変わって自信に溢れ、勇ましく、つかみ所のない美丈夫らしさを垣間見せる。
羅冴流はふっと唇をゆるめた。はっきりとした無乃の顔つきが、やはり好ましい。それなのに口調は相変わらずの無乃らしさに、心地良かった。
「習慣から外れたことをすれば必ずどこかで不都合が生じる。いつもと違うことをする人というのは、目立つからね。だから誰にも見られず、人を消してしまえるなんてことはできないよ……」
無乃はそっと扉の向こうの気配に問いかけた。
「人を魚にすることで、誰にとって都合がいいのか。魚になったなかで一人だけ食われていない人がいる」
羅冴流は無乃の言葉を聞いて、ハッとした。
扉の向こうの正体を暴くように思わず答えていた。
「老僧……?」
無乃がちらりと羅冴流をみる。いたずらっ子のようにくすりと笑った。その含み笑いはなんだと、羅冴流の顔が赤らんだ。
「食べられなかったのは、恨まれていたからではなくて、殺生を嫌ったからだよ、羅冴流」




