街道は剣だけで守れない
越冬薬草を積んだ三台が、予定より一刻早く南見張りを通過した。その伝令が着いた時、坂の警告灯はまた消えていた。トーマの荷馬車が転覆した曲がり角だった。
灯油は残っている。硝子も芯も傷んでいない。ガルドが持ち帰った時と同じく、火だけが冷えている。
「隊商を止めてください」
リディアが言うと、街道警備長は北の空を見た。
「日が落ちれば森で夜営です。薬草の匂いに寄る獣がいる」
「警告なしで、この坂へ入れる方が危険です」
「だから、灯を直して通す」
ガルドの後ろで、副官ベルトが隊列札を二つ用意していた。
赤は荷車を守る配置。青は人を先に退かせる配置。
「どちらを出します」
「赤だ」
「森に動きが出たら」
「その時に変える」
ベルトは赤札を外套へ差したが、青札も捨てなかった。
ベルトは待機位置から半歩出た若い騎士を、「ヨナス」と名で呼んで戻した。声はガルドより柔らかい。手甲の縁には、白い糸で小さな修繕がしてあった。
「奥方の仕事ですか」
リディアが聞くと、ベルトは手首を回した。
「サラは、縫い目が曲がったまま出歩くなと言うんです。今季が終われば、店を手伝う約束で」
「騎士団を辞めるのか」
ガルドの声が変わった。
「願い書はまだ机の中です」
「俺より先に、妻へ言ったのか」
「あなたは引き留めるでしょう」
ベルトは青札の紐を結び直した。
リディアは警告灯の台座へ銀筆を入れた。
坂の灯は、街道を守る古い契約から枝分かれしている。石台の下を走る線は路肩の歪みを拾い、森側の線は一定以上の魔力を持つものが近づけば、位置に応じて硝子の色を変える。台座の外周には、旧設置場所で小型獣が灯を避けたという観察符号も残っていた。
「再点火すれば、小型の魔物は近寄れないはずです」
「大型は?」
ベルトが聞く。
「少なくとも、位置は分かります」
リディアは試験線を引き、ガルドが現地確認欄へ署名した。アレクシスが時刻と灯番号を指定して封じた一回限りの起動札を、ガルドが台座へ差し込む。公爵印から光が走り、硝子の底に青い火がともった。森の北側に、小さな赤点が三つ浮かんだ。続いて二つ。動いている。
「灰角獣だ」
ガルドが剣の柄へ手を置いた。
角で馬の腹を裂き、群れで荷を囲む。雪解けの時期なら、まだ深い森にいるはずの獣だった。
「灯が点けば、散るのでは」
リディアは台座の外周を見た。
赤点は止まらない。
古い観察符号は、黎明門で記されたものだった。北街道へ付け替えられた台座が示すのは危険の位置だけで、獣が同じ光を避ける根拠にはならない。硝子の赤点は獣の位置だけを追い、その足を一歩も遅らせなかった。
「隊商へ青信号を。坂へ入れず、南の黒岩まで下げます」
ベルトが笛を吹いた。
返事は、すぐ近くから来た。
伝令の後ろから、薬草便はすでに最初の曲がりへ入っていた。三台目の車輪が、ぬかるみで空転していた。赤点が七つへ増えた。ガルドは一度だけ灯を見て、赤札を外套から抜いた。
「前二台を南へ。三台目は荷を捨てる」
御者が振り返った。
「冬の三分の一です!」
「荷車ごと置け」
「公爵様へ何と」
「俺が言う」
ベルトは青札を掲げた。
「ヨナス、前の馬を引け。エルクは二台目の左。ハイン、御者を降ろせ。荷に戻るな」
名前を呼ばれた者から動いた。
三台目の留め縄を切る。薬草の布包みが荷台で崩れ、苦い香りが風へ広がった。森から灰色の背が現れた。
最初の一頭は、点いた警告灯の脇をそのまま走り抜けた。青い火は赤へ変わったが、獣の毛一本も焼かなかった。
騎士たちが円を作る。戦って勝つためではなく、人と前二台を坂の下へ出すための幅だった。
「下がれ!」
ガルドが一頭の角を盾で逸らす。
三台目の御者が、切ったはずの手綱へ戻ろうとした。馬が荷車との間で暴れている。ベルトが先に入り、手綱を支柱から外した。
灰角獣の爪が手甲の上を裂く。白い修繕糸が切れ、前腕に血が走った。
「副官!」
「ヨナス、馬! 俺を見るな!」
若い騎士はベルトではなく、馬の鼻先へ飛びついた。荷車から離れた馬を二台目の後ろへ送る。ガルドが青札を地面から拾い上げた。
「全員、南へ。三台目へ火を入れろ」
油を掛けたのは荷ではなく、車輪と覆いだった。火が上がると、灰角獣の群れは匂いの強い荷車へ集まった。
前二台は坂を下りた。
ベルトも歩いている。傷は浅いが、右の手甲を外せないほど腫れていた。
最後尾が黒岩を越えたところで、ガルドは追撃を止めた。冬用の薬草一台分は、炎と灰角獣の間に残った。城へ戻る前に、リディアは現場で記録を取った。
三台のうち二台が通過し、一台を失った。失った薬草は、冬越し備蓄の三分の一に当たる。負傷者はベルト一名で、御者三名、騎士六名、馬三頭は全て帰還した。
ガルドは血のついた盾を地面へ置いた。
「荷を守れなかった責任は、私に」
「人を出すために荷を捨てた、と書きます」
「結果は三分の一の損失だ」
「はい。理由と一緒に残します」
ベルトが左手で記録を受け取り、自分と部下の名を確かめた。
「名まで書くんですね」
「無事だった人も、損失の内訳です」
彼は切れた白糸を指で押さえ、紙を返した。
「サラは、そういう帳面なら読んでくれるかもしれない」
警告灯の修理記録を、トーマの事故日の巡回記録と並べた。どちらの日も、消灯の半日前に点検済みとなっている。点検者の名は違った。
その横に押された、三つ葉形の補修印だけが同じだった。




