聖女の光が痛む夜
祈りを強くするたび、イルマの右脚は硬く跳ねた。
「止めて」
寝台の女が、敷布を掴んだ。
王都東治癒院の公開祈祷室には、患者の家族だけでなく、神官局の書記と王宮広報官も入っている。四病棟の配送停止から十日。聖女候補の祈りで治療再開を示す予定だった。
「もう少しです」
セレスティアは両手の光を消さなかった。
イルマは染色工房で湯釜を倒し、腰から脚へ深い火傷を負っている。薬師と外科医が熱を下げ、傷を洗った。それでも右脚の感覚が薄れ、夜になると息が浅くなる。今日の祈りが通れば、明日は自分で娘の髪を結えるかもしれない。
そう説明された時、イルマは歩けるかではなく、明日ひとりで座れるかを聞いた。
「うちの子、左の編み込みだけは嫌がるんです」
いま、その指は寝台の端を白くなるほど握っている。
「聖女候補様。出力を」
神官長が低く促した。
見守る者たちの前で、失敗はできない。
セレスティアが王都へ迎えられた日、村の礼拝堂から城門まで、知らない人が名を呼んだ。母は生まれて初めて借りた馬車の中で、彼女の髪を三度編み直した。選ばれれば、誰にも戻れとは言われない。祈るたび、そう思えた。
指先の光を強める。白金の流れが寝台へ向かい、床の金線へ落ちた。その瞬間、熱い針を足裏から刺された。
痛みはセレスティアの脚を上り、膝、腰、胸の奥へ折れ曲がって進む。自分の身体を傷つける祈りではない。床下の経路が、流れきれない光を押し返している。鼻の奥に、焼けた銅の匂いがした。
イルマの脚がもう一度跳ねる。
「強く」
神官長の声が聞こえた。
セレスティアは出力を落とした。
目に見えていた白金の光が細くなる。広報官のペンが止まり、神官たちの衣擦れが重なった。床から返る痛みも弱まる。
イルマの右手が敷布から離れた。荒かった呼吸が、少しずつ長くなる。
「そのまま」
薬師が寝台脇から言った。
その声で、セレスティアはようやくイルマの顔へ視線を戻した。
セレスティアは細い光だけを保った。傷を消すほどではない。熱が上がりきるのを抑え、薬師が包帯を替える間、呼吸を支えるだけ。祈りを終えた時、イルマは眠っていた。
右脚の傷は残っている。薬師が足裏へ触れても、指先は動かなかった。
「命に危険は?」
娘が尋ねる。
「今夜を見ます。熱は下がっています」
「脚は」
「しびれが残る可能性があります」
娘は母の動く右手を両手で包んだ。
祈祷室を出ると、神官長は記録板を閉じた。
「なぜ力を落としたのです」
「床下の経路が焼けています。強く流すと、患者へ返りました」
「経路を診る資格は、あなたにはありません」
「痛みました」
口にしてから、セレスティアは自分の胸元を押さえた。
「私の中ではなく、床から。光が通るたび、同じ場所が」
神官長は周囲の書記を見た。
「本日の記録は、聖女候補の出力不足。患者は薬師管理へ戻す」
「不足では」
言い切れば、何が起きるだろう。
経路の異常を正式に申告すれば、公開治療は止まる。次の王都大祭も延期されるかもしれない。床下を読める契約官を呼び戻せという話になる。リディアが必要だったと、セレスティア自身の口で認めることになる。
認めたくないのは、彼女が嫌いだからだけではなかった。もし民が見ていた奇跡の半分が、床を見ていた人の仕事だったなら、自分が選ばれた理由は何だったのか。
村へ戻れば、礼拝堂には別の祈り手がいる。家には、王都へ出した娘の寝台を薪置きにしたと、母の手紙に書いてあった。
「……出力不足で、構いません」
書記がその言葉を書いた。
自分で選んだ沈黙は、神官長に命じられた時より重かった。
夕刻、ユリウスが治癒院へ来た。イルマの寝台へは近づけず、硝子越しに容体を尋ねる。広報官から渡された報告には、患者生存、祈祷出力不足、右脚しびれ、とある。
「次の大祭で示せばよい」
廊下を歩きながら、彼は言った。
「一度の不調で、聖女候補の価値は揺らがない」
「床の経路が痛むのです」
ユリウスは足を止めた。
セレスティアは続けようとしたが、次の言葉は出なかった。
「恐怖が痛みに感じられることはある」
彼の声は穏やかだった。
「大祭には各国の使節が来る。王都の光が保たれていると示せば、薬も技師も集められる。今は休み、当日に備えてくれ」
各国の使節も、薬も、技師も、国には必要だった。硝子の向こうで、イルマの右脚は動かないままだった。
セレスティアは頷いた。もう一度説明して、価値がないと思われる方が怖かった。ユリウスは廊下の机で書記官を呼んだ。辺境へ出す召還状の文面を口述する。リディア・エルンストがただちに帰参するなら、王家への無礼と職務放棄は不問とする。
セレスティアは、イルマの部屋から聞こえる包帯をほどく音を聞きながら、訂正を求めなかった。




