今夜帰る家
「王都の仕事を得ても、得なくても。北へ来る月も、ほかの村へ行く月も。悪い道を帰った話を、あなたから聞きたい」
一度、息を継いだ。
「私と結婚してください」
リディアは明日の選考を考えた。
採用なら一年の予定が決まる。不採用なら、また求人札を探す。どちらでも、目の前の男を選ぶ理由にはならない。
仕事がない自分で承諾すれば、あとで養われたと思う日が来るかもしれない。逆に採用を待てば、自分の力だけで立ってから選んだ顔ができる。
どちらも、断られた時に傷つかないための順番だった。
リディアは水車を止めた日を思い出した。全部確かめてから動こうとした日も、確かめずに急いだ日も失敗した。今は、分からない明日を残したまま言える。
だから、明日まで待つ必要もなかった。
「はい」
アレクシスが瞬きをした。
「もう一度、言ってくれ」
「煮込みが冷めました」
「そちらではない」
「結婚します」
彼は笑った。戦で勝った時にも見せないような、ひどく安心した顔だった。
リディアは卓の上に開いたままの掌へ、自分の右手を重ねた。震えは消えていない。アレクシスは包み込まず、重さが落ち着くまで下から支えた。
「婚礼は、大広間以外がよいです」
「私もだ」
「四十人まで」
「三十人では?」
「招く人を減らしたいのですか」
「人前で道を間違える確率を減らしたい」
「会場の中で迷わないでください」
婚礼の日は、仕事の返事を読んでから二人で決めることにした。採否で結婚を変えず、移動日と当番だけは変わる。アレクシスは濡れた求婚の紙を裏返し、そこへ候補日を二つだけ書いた。
「これは契約ですか」
「忘れないための控えだ」
「なら、わたしの候補日も足します」
二つが三つになり、どれにも王家や公爵家の印は付かなかった。
指輪はなかった。
「用意していないのですか」
「大きさを知らない」
「泥道で手を掴んだでしょう」
「あれで測れるなら、手袋職人になれた」
「花も?」
「好きな花を、まだ聞いていない」
北へ来た夜から、彼は変わった。けれど、肝心なところで驚くほど進んでいなかった。
「白い花は好きです」
「本当に?」
「あなたが三束迷うところも含めて」
夕食の鐘が鳴った。
二人は冷めた煮込みを、固いパンですくって食べた。
暖炉の前で、濡れた本の頁が一枚めくれた。表紙はまだ逆さだった。
明日の仕事も、婚礼の日も決まっていない。
今夜帰る家だけは、二人の鍵で開いていた。




