両岸から十八枚
二枚目の宿代を出すと、銀貨はリディアの掌に冷たい円を二つ残した。王暦二百十九年、春第2月第19日、第1鐘。城下の公共旅籠で、主人は空き部屋の札を指で押さえている。二泊目を取るなら、今ここで二枚。それがこの宿の決まりだった。
リディアの財布には、旅程の受払札が折らずに入っていた。第14日の欄は、持参三十一枚、王都の一夜二枚、通常馬車と街道宿二夜と道中食で十二枚、戻り十七枚。昨夜、城下へ着いてから払った一泊二枚は別の札で、今朝の持参分は十五枚だった。
「第5鐘までなら部屋を置いておくよ。そのあとは夜客へ回す」
主人の声に、戸口の鈴が重なった。入口では幼い子を連れた旅人が、今夜の空きを聞いている。入ってきたのは公爵家の色を着けた使者ではなく、共同調達受渡し所の灰衣だった。差し出した到着札には、発議者として両岸の水番が一名ずつ記されている。
二つの提示が揃えば、今夜から共同宿舎の一床へ移れる。揃わなければ、二枚を持ってここへ戻る。リディアは銀貨を財布の口へ戻し、部屋札には触れなかった。
第2鐘、白鹿共同調達受渡し所には、二つの机が離して置かれていた。リディアは片方の前へ先に座らず、二箱の封番号が読める中央で立った。
右の箱にはヴァルハルト白鹿保守口の預託三十三枚、左の箱にはルメリア国境水利院の三十三枚が入っている。どちらも、技術報酬十八、宿と食事の上限九、移動と境界泊の上限六に袋が分かれていた。箱の底板まで色が違い、片方の不足をもう片方から移せない。
エーファ・トルンは、濡れた左袖の下に北倉の引継ぎ封を挟んでいた。本来なら自分で終えるはずだった屋根検査と完了報酬五枚を、今朝、別の輪番監査官へ渡してきた封だった。
彼女は二通を順に読み、初稿の一行へ定規を置いた。北倉の封が袖から滑りかけるたび、肘で台へ押し戻した。
「『白鹿周辺経路の必要情報』。誰の必要です。主語なしには押しません」
細い横線が、必要情報の上を切った。エーファはその下の時刻欄へ進もうとした。
リディアは紙を回さず、次の行を指した。エーファの定規が、時刻欄へ届く前に止まる。
「こちらもです。『関連経路』では、民生保守路の外まで読めます」
二本目の線を引くと、エーファの左袖から水が一滴、机の縁へ落ちた。彼女は拭わずに該当行を読み直し、二本目の削除時刻を自分の欄へ書いた。
「私の見落としです。二本目も削除として受けます」
向かいにいたレオンハルトは、ルメリア側の預託箱から手を離さなかった。箱の留め金へ親指を掛け、まだ開けないままリディアを見た。
「線を二本引いても、あなたがヴァルハルトに雇われていた事実は消えません」
「消しません。旧雇用の番号と満了日を、利益相反欄へ残します」
「彼が欲しい地図を、助言の名で通すなら止めます」
リディアは軍道原図、現地署名、批准票と書かれた三欄を見た。いずれにも最初から終了線が引かれ、彼女の名を書く余白はなかった。
「その時は、あなたの契約を止めてください。もう一方まで止める欄はありません」
「共同測定だけ止まり、ヴァルハルト側の助言は残るのですね」
「ヴァルハルトの施設内だけです。あなたの水番も、あなたの附属書も動かせません」
レオンハルトは頷かなかった。代わりに、自国限定附属書の袋をルメリアの机へ引き戻し、袋口を自分の印で閉じた。
二つの提示には、追加を書けば各国の認可から取り直す、削除と縮小だけなら今日の受領へ進める、とあった。リディアは成果物の公開要旨だけを自分が持つ欄を残し、患者情報と軍道由来資料の写しを受ける欄を空白にした。
監督費の台帳は、二つの預託箱からさらに離れていた。登録院がエーファへ払う報酬九枚と、旅費・境界泊の上限十二枚が緑の受払紙に載り、リディアの十八枚にも共同基金にも触れていない。エーファは二通の範囲と時刻にだけ副署し、印箱の蓋を閉めた。
第4鐘、ヴァルハルト側の受理係が最初の契約を読み上げた。リディアの前には、本人受領用の筆だけが置かれた。
「ヴァルハルト白鹿保守口技術助言、V-BH-219-19。春第2月第19日を第1暦日、春第3月第30日を第42暦日として、同日夜第2鐘に満了。報酬十八銀貨」
リディアは本人受領欄へ署名した。開始分六枚の袋を受け取ったが、仕事開始札は伏せられたままだった。もう一方の本人受領がなければ、二通とも始まらない。
第5鐘、ルメリア側の係がL-BH-219-31を差し出した。同じ期間、同じ十八枚でも、法主体も費用箱も停止欄も別だった。
受理係が最後の頁を開くまで、リディアは筆を紙へ置かなかった。片方だけを受け、古い職場の仕事へ先に入れば、ルメリア側には選ぶ余地が残らない。開始札が伏せられていることをもう一度見てから、二度目の姓名を書いた。
リディアが二度目の受領時刻を書き終えると、二枚の開始札が同時に表へ返った。ルメリアの六枚は別の受領袋へ入り、先の六枚と紐を結ばない。
渡されたのは二通の控えと、今夜の共同宿舎で使う食事・一床の利用票だけだった。城の部屋札も、地方代表票も、現地運用の署名具もない。旧雇用第二号の欄には、春第2月第1日満了の文字が残った。
リディアは財布を開き、朝に出した二枚を持参分へ戻した。十五枚の私費欄は変えず、昨夜の二枚をどちらの契約へも付けなかった。
共同宿舎の利用票を受けた時、リディアの親指は一度、鍵を掛けていた鞄の輪を探った。輪に下がったのは二通の控えだけで、城の鍵はなかった。
レオンハルトが白鹿の水位棒を仕事机へ横たえた。乾いた棒の下側には、前季の水染みが三本残っていた。
「あなたを雇ったのは、彼の案を通すためではありません」
リディアは二つの報酬袋を鞄の別々の仕切りへ入れた。水位棒の一番低い染みへ爪先を合わせる。
「明朝の荷重試験は、何目盛から始めますか」




