食卓では署名しない
朝食の皿の横で、ベネディクト・ハルムは条件変更申込書より先に限定代理状を開いた。空いた三つの給仕位置には椅子だけが残り、茶の盆はオズヴァルト自身が食卓まで運んでいた。
春第2月第6日、第1鐘。できることの欄は紙の下半分にあり、上半分には、できないことが太い罫線で分けられている。
利率を変更しない。家財を差し押さえない。壁を開けない。鍵を探さない。家帳簿全体の提出を命じない。
ベネディクトは紙をオズヴァルトではなく、まずリディアから読める向きへ回した。代理状の縁には信用組合の二重印があり、個人の取立札は付いていない。
「私ができるのは通知、債権者が事前承認した申込書の提示、金銭の受領、二日前の測量通知、非破壊測量の立会いです」
彼は黒い外套を脱がず、食卓の端に立っていた。代理状の期限と借入番号を指で押さえ、前日の受領鐘を読む。
「利率は昨日の第3鐘です。私が上げたのではありません」
第5日の第3鐘に二十四銀貨が揃わず、既存条項が四パーセントから六パーセントへ動いた。第4鐘の二十一銀貨は期限後の一部弁済で、残る未払利息は三銀貨。年間利息は三十六銀貨で、以前より十二増える。
ベネディクトは、そこで条件変更申込書を出した。債権者側が受理できる形を事前に承認した用紙だが、受理後の審査結果までは約束していない。
「この申込みの成立条件は、リディア・エルンスト本人による別個の包括保証です。伯爵が申し込んでも、本人の署名は作れません」
オズヴァルトは署名台を自分の前へ引き、筆へ墨を含ませる。
「家のため——」
最初の一画を書く位置まで筆先が下がった。墨が紙へ触れる直前、彼の指が止まる。筆先から膨らんだ雫は申込書へ落ちず、朝食皿の脇に置いた吸取布へ移された。
リディアは包括保証を拒む言葉を用意していた。
オズヴァルトは申込書を裏返した。無署名の面をベネディクトへ戻し、筆を自分の皿の横へ置く。
「私は、これを申し込まない」
ベネディクトは未署名返却と第1鐘の時刻を受領面へ記した。申込みをしなかったから利率が上がるのではなく、六パーセントはすでに有効である。測量も既存担保の確認として残った。裏返された申込書は、そのまま彼の革挟みへ戻された。
「未払三銀貨と、年三十六は」
オズヴァルトが言った。
「続きます。二十一銀貨の受領は別札です」
「分かった」
リディアの横では、三人分だけ空いた給仕位置がそのままになっていた。
第2鐘、家門の受領台でベネディクトは二日前測量通知を渡した。実施は第8日第2鐘から第4鐘。対象欄には、北書庫別棟と西倉庫賃料権の二つだけがある。
本館、居室、南側家倉庫の封印物、母の資料、青瓶事件の物は対象外。即時占有も、鍵の捜索も、壁や床の穿孔も許されない。
「外寸は公開外周から。内寸は担保別棟の公開範囲だけです」
「西倉庫は」
「建物を測りません。賃料簿の対象期間と受領額を閲覧台で確かめます」
オズヴァルトが通知の受領欄へ自分で名を書いた。リディアの立会印は、通知時刻欄だけに置かれた。ベネディクトは家門の受領台に一部を残し、同じ内容の一部を持ち帰った。二日前の砂時計が返され、家側で第8日の印へ合わせられた。
第8日、第2鐘。測量人二人は、太さの違う縄を一本ずつ持って北書庫別棟へ来た。
外寸縄は建物の北西角から始まり、公開されている外壁沿いに張られた。窓枠、煙道の張り出し、階段室の外形は別の短札へ落とす。測量人は角ごとに縄を止め、ベネディクトが寸法を復唱した。霜で縄が縮まないよう、最初と最後に同じ鉄尺へ当てる。
内寸縄は閲覧者が通常入れる廊下と書庫室だけを通った。棚は壁から動かさず、床板も上げない。通常の扉には鍵穴があり、帳簿棚にも小鍵が掛かっていたが、どれも古い北書庫鍵に合うか試されなかった。西倉庫の担当者は別の閲覧台で賃料簿の対象期間だけを開き、建物側へ測量人を入れなかった。
リディアは内寸の起点と終点を見た。二本の縄は、同じ壁の前で張りを揃えて並べられる。
外寸から既知の壁厚を引く。煙道の幅を引く。階段と踊り場の厚みを引く。残った値と、公開範囲の内寸を照合しても、北側だけが合わなかった。
「六尺」
一人目の測量人が言い、二人目が別の目盛で確かめた。外寸縄の端は北壁の角にあり、内寸縄の端は書庫側の白墨線で止まっている。起点を入れ替えて測り直しても、その間に六尺の差があった。
六尺は、そこに部屋があるとも、扉があるとも示さない。煙道図にない空間の用途も、中に物があるかも分からない。測量人は「説明不能な壁内空隙」とだけ記し、鑿も探知具も出さなかった。ベネディクトも開口申請を作らず、既存代理状の範囲で止めた。
オズヴァルトは北壁を見た。薄い測量線の下には、古い椅子が一脚置かれている。
「鍵の受払簿に、一行ある」
ベネディクトは代理状を開いた。
「全簿の提出を求める権限はありません」
「私が、その行だけ見せる」
六尺差の記録時刻より後であることを確認し、オズヴァルトは任意提示同意へ署名した。家帳簿保管者が鍵受払簿を抱えて来る。閲覧台の透明押さえの下へ一頁だけ開き、ほかの行を二枚の覆いで隠した。
対象行には、マリアンヌ・エルンストが旧北書庫鍵一口を受け取った記載があった。鍵番号の字体は古く、現在の鍵束と照合した印はない。返却欄は空白だった。
日付と受領名を見ても、その鍵が今も残るとは決まらない。返却を書き忘れたのか、別の時に返したのかも、この一行からは出ない。現存するどの鍵穴に合うか、六尺の空隙へ通じるかも確かめられていなかった。
リディアは両手を頁の端から膝へ戻した。
「提示範囲は、この一行だけですね」
「そうだ」
オズヴァルトが答えた。家帳簿保管者は対象行を閉じ、覆いと透明板を外す。ベネディクトは原簿を受け取らず、任意提示の時刻と対象行だけを自分の立会票へ記した。
第4鐘前、測量人は外寸縄と内寸縄を別々に畳んだ。西倉庫賃料簿の対象期間を確認し終えると、二本を肩へ掛け、北書庫別棟から出る。外寸縄には霜の水気が付き、内寸縄には書庫床の白い埃が残っていた。
家帳簿保管者も鍵受払簿を元の棚へ戻した。旧鍵の現物は提示されず、壁も開かれない。北壁には白い測量線が一本あるだけで、鏨の傷は一つも付かなかった。




