第六十一話 辺境の灯は罪ですか
王都大祭の失敗から十日あまりが過ぎた頃、教会本部に赤い紐で綴じられた告発書が提出された。差出人は、教会旧派の三名の高位神官。表題には、こう書かれていた。
「ヴァルハルト領における祝福権限の越境使用について」
その写しがヴァルハルト領へ届いた時、リディアは祝福記録局で治癒院への返書を整理していた。机の上には、王都治癒院から届いた五人分の経過記録がある。眠れた子、熱が下がった兵士、変化が少なかった老人。その一つ一つに、リディアは小さな注釈をつけていた。そこへ、告発書が置かれる。
黒封ではない。今度は赤い紐だった。
「僭越、ですか」
エリオが文面を読んで、渋い顔をする。
「辺境祝福が王家の灯を奪い、教会の秩序を乱した、とあります」
ミナが驚いたように顔を上げた。
「奪った? リディア様が、王都から何かを」
「奪っていません」
リディアは静かに言った。声が静かすぎて、部屋の者たちはかえって息を止めた。告発書は、言葉の選び方が巧妙だった。
王都大祭の不調。辺境の灯の安定。リディアの回答書。
それらを並べ、まるで辺境が王都の祝福を横取りしたかのように見せている。治癒院の患者が助かった事実は「証拠」としてではなく、「越境した影響」として扱われていた。アレクシスは文面を最後まで読み、机へ戻した。
添え状には、先に予告されていた王宮の正式照会団を、この審問に統合すると短く記されていた。王宮は自分の名で問う席を、教会の赤い紐の後ろへ移したことになる。
「王家が壊した道を、辺境が盗んだ道に見せたいわけだ」
「はい」
リディアは告発書の余白に、小さく印をつけていく。事実と推測。記録と感情。
責任の所在と責任転嫁。赤い紐で綴じられた言葉は強い。だが強い言葉ほど、何を隠しているかを分ければ弱点が見える。
「反論しますか」
エリオが問う。
「反論だけでは足りません」
リディアは王都治癒院の経過記録を手に取った。
「この告発書は、祝福が誰に届いたかを見ていません。王家の灯、教会の権限、辺境の越権。どれも大きな言葉です。でも、寝台で眠れた子どもの名前がない」
ミナは唇を結んだ。
「また、人が消えています」
「はい」
消えた人を戻す。それが辺境でリディアたちがしてきたことだった。今度は、国政の机の上で同じことをしなければならない。
アレクシスが椅子から立つ。
「領主として、正式抗議を出す。告発を無視するのではなく、審問の場を求める」
リディアは彼を見た。
「私を守るためだけなら、不要です」
「あなたを守るためだけではない」
彼は告発書の赤い紐を指で押さえた。
「この言葉が通れば、辺境の井戸も治癒所も学校も、誰かの権限争いの道具になる。領として、それは許せない」
その言い方に、リディアの胸が少しだけ軽くなる。守るものは、自分一人にとどまらない。だから、彼女も逃げずに立てる。
窓の外では、記録局の前に領民が並んでいた。水路の小さな不調を伝えに来た者、治癒所の薬草名を訂正しに来た者、学校の文字札を借りに来た子ども。告発書の中に、彼らの姿はない。だからこそ、リディアは筆を取った。
「審問の場で、誰の祝福なのかを問います」
赤い紐の告発書は、辺境の灯を罪と呼んだ。リディアはその言葉に、初めて国の机で答えることになる。その夜、告発書の写しは祝福記録局の閲覧机にも置かれた。
誰でも読めるようにするためというより、何を告発されているのかを、関わる者が知らないまま証人にされるのを避けるためだ。王都はそういうところをよく省く。省いた後で、知らなかった者の沈黙を同意として扱う。井戸番の老人は、赤い紐を見て眉をひそめた。
「わしらの水は、誰かから盗んだものなのか」
「違います」
リディアは即答した。
「なら、それを王都で言ってくれ」
老人は井戸の水質表を机へ置いた。紙の端には、水桶を持った手の濡れ跡がついている。次にミナが治癒所の記録を置き、ガルドが街道の巡回表を置き、ニナが古文字札を両手で抱えてくる。エリオは積み上がった紙を見て、顔をしかめた。
「王都まで運ぶ箱代だけで、もう告発した側に請求したいですね」
「請求書は後で考えます」
「本当に出していいですか」
「証言の箱が足りなければ」
そのやりとりで、閲覧机の周りに少しだけ息が戻った。翌朝、記録局の前には小さな札が増えた。
「王都へ出す証言は、強制しない」
札の下には、名乗る者用の紙と、名を伏せる者用の箱を分けて置く。リディアの指図なしに、夜番の文官が勝手に作ったものだった。筆跡は曲がっている。リディアは直さなかった。最初に箱へ入った紙には、井戸の名だけが書かれていた。




